小学校の頃つけられていたアダ名
こんばんは。今回は僕が小学生の頃につけられたアダ名と、なぜそうなったかについてのエピソードを少しだけ紹介していきたいと思います。
なお、全て嘘です。
1.『ジェット』
僕が小学3年生の頃、牛乳早飲み対決が流行りました。給食の時に毎回出されるタカナシ牛乳ですね。ルールはいたってシンプルであり、その牛乳を1パック早く飲み切ったものが王者になれるというものでした。女子の反応は冷ややかなものでしたが周りの目線など気にしないのが小学生。担任は男性だったのですが、止めるというよりも一緒になって爆笑してました。さて、僕も例に漏れずその一気飲み対決に参加していたのですが、シンプルではあるけれどこれがけっこう危険な競技なのです。僕はとにかく勢いよく牛乳を胃に流し込みました。すると喉を通過できるキャパシティをはるかに超えた量の牛乳が僕の体内に流れこもうとし、限界を迎えます。結果はご想像の通り、牛乳は出口を求め逆流してきました。勢いよく流し込んだ牛乳は勢いよく鼻から射出され、その際に僕の身体はホバーマシンのごとく空中で数秒間浮遊したのです。そうして経緯で僕は『ジェット』と呼ばれるようになり、牛乳早飲み対決のブームもほぼ同時に終了しました。
2.『ジャック・ハンマー』
小学4年生の遠足のときのお話です。遠足といえば、お菓子を持参して良い唯一の学校行事ですよね。僕が選んだお菓子のチョイスは「ハイレモン」「ヨーグレット」「コーラパンチ」などなど。見たことがある人には分かると思うのですが、それらは薬局で処方される薬のように包装されているという特徴があります。僕は当時薬を大量にキメるのがカッコいいと思っていて(危ない薬だとかオーバードーズだとかはあまり知らなくて、とにかく薬を飲みまくることがカッコいいと思っていた)、お弁当を食べた後これ見よがしにあらかじめ箱から出しておいたそれらのお菓子を一気に頬張り噛み砕いてお茶で流し込みました。「フゥーーッ」と一息ついて周りを見回すと皆ぽかんと僕の方を見ているのです。その光景が、勝利のためには明日を捨て極度のドーピングを厭わないジャック・ハンマーを彷彿とさせることからこのアダ名がつきました。あと当時身長が2m43cmあったことも少なからず寄与しているのかもしれません。
3.『我が子を食らうサトゥルヌス』
確か小学5年生の頃だったと思います。僕は2時間目と3時間目の間に30分ある中休みに校庭でドロケイをして遊んでいました。僕は逃げる方が好きでドロを望み走り回っていました。中休みももう終わりが近づき、そろそろ教室に戻らなければならなくなった時にコトは起きました。普段通り走っていただけなのですが左足を盛大にグネッてしまい、重度の捻挫を負ってしまったのです。足を地面につけるだけで激痛が走りうまく歩くこともできません。友達は気がつかずどんどん教室に戻っていってしまいます。僕は涙目になりながらなんとかケンケンで階段を登って行きました。ちょうどその時何の企画かは忘れてしまったのですが(多分6年生の卒業アルバム制作?)、カメラマンが来ていて写真を何枚も撮っていました。そのカメラマンは小学生に合わせてか、結構ノリが軽い人で突然カメラを向け、子供のあるがままの写真を撮ることがしばしばありました。僕が大変な苦労をしながら階段を登っているところにそのカメラマンは突然やって来ます。手を貸してくれるのかなと思ったら急にカメラを構えだし、一枚撮りました。その際に撮られた写真がほぼ『我が子を食らうサトゥルヌス』と同じ構図、表情だったため後にそう呼ばれることになったのです。なお、カメラマンに事情を説明すると、保健室まで丁寧に担いで運んでくれました。
4.『夢のかがやき』
僕の小学校では朝にまず歌う時間がありました。小学2年生の頃、「君がいたから」という合唱曲を歌う時間がありました(久しぶりに聴こうと思ったら同じ題名の曲が多くて探すのに少し苦労しました)。その曲の歌詞のなかで「グラウンドのそらと かなたに ゆめのかがやき」というフレーズがあります。僕はその「ゆめのかがやき」の部分の、リズムというか曲調を気に入り、毎回そこだけかなり力を入れて歌唱しました。小慣れてくると玉置浩二くらいくずしながら歌唱することもありました。しかしマイノリティは目立つもので、そこだけ圧倒的な力を入れて歌う僕を揶揄し、『夢のかがやき』君と呼ばれるようになったのです。朝に歌う曲はだいたい一ヶ月で変わるので、このアダ名は一ヶ月間のみでした。でも僕は自分を曲げることなく一ヶ月間この歌い方はやめませんでした。さぞ、うっとうしかったと思います。
他にもまだあるのですが、今回はこの辺にしておきます。では。
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