ジョーカーに捧げる詩

・家でタバコを失くした。
まだ10本くらいあったのに。全然吸えるのに。

おれの今の部屋は6畳くらいのせっまい部屋なんだけど、そんな空間でものを失くしたら絶対見つかると思わないっすか
でもないんすよ
鍵とかも頻繁にどっかいく(どっか行くって、おれが悪いんだけどさ)。鍵はいまんとこ最終的に見つかってるからいいんだけど。
こっちに越してきてから、メガネが二個くらいどっかいってる。これはマジでヤバい
一応スペアのメガネなんだけど、結構思い入れのあったメガネだったんだよなぁー
でも今メインで使ってるメガネもたまにどこかに消えるし
メガネよ?メガネですよ?
いつも顔面に装着しているもので、なくなったらおれの生活が破綻するような、そういう代物だぜ?
それを失くすなんて、かなりヤバい。


はーーーー
なんでおれっていつもこうなんだろ!


・髪が伸びすぎている。
髪が伸びすぎているっていうのってなんかダサいなって思うんだが、この嫌さってなんだろうね
まあいいわ

髪が伸びすぎて前方が見えない
髪が伸びすぎてたまに耳の穴の中の髪が入ってきて「ウワッ」って思う
髪が伸びすぎて寝癖がとんでもないことになってしまっている

早く切れ!



・この間、友達とジョーカー2こと「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を見てきた
ジョーカーは面白い映画だった
アーサーという冴えない男がジョーカーになり変わっていく過程、そしてそれを産んだ弱者を虐げる社会の仕組み、ジョーカーとその信者たちによるゴッサムシティの破壊。
かなり面白い映画だし、演出や音楽にも細やかな配慮がなされている。


しかし、問題は続編が出ることだった。
なぜだ。
ジョーカーはかなり完璧な映画だった。終わりを含めて。1作目を見て2が出るな、と思うやつは多分いなかっただろう。
だから非常に困った。しかし、逆に見たい自分もいる。面白い映画だったからこそ、2も面白いのではないか、というある種ギャンブルのような気持ち
サブスクで映画を見るのとは全く違う。前情報なしで、1500円とか払って、面白いか面白くないかの二択を突きつけられる。スマホで見ている映画は途中で切ることもできるが、映画館だとそれも難しい。2時間を最高の体験にするかドブに捨てるか(ドブに捨てるは言い過ぎか)。これはかなりギャンブルである


そしておれは、そのギャンブルに、負けた。
ジョーカー2を見ていて、正直、正直意味がわからないシーンが多くて、それでいて複雑なことも多くて(ジョーカーという作品は画面で起きていることがアーサーの妄想なのか本当に起きていることなのかが区別しづらい)、おれはかなりがっかりした。
あーあ。見なきゃ良かった。クラウドよろしく、ジョーカーという作品は思い出の中でじっとしておくべきだったのだ。2を見たことで何かが狂ってしまったと思った。


しかし。
ジョーカー2に対して不満を抱いていたおれはずっと考えていた。この作品はなんなんだろうと。
これが初見の興味ない映画だったらそうではなかっただろう。
でも好きだったジョーカーの作品だからこそずっと思考を巡らすことができたのではないだろうか
その結果、「意外と悪い作品ではなかったな。」と思うようになった


まあネタバレないんだけど、意味のわからなかった作品をしっかりと考えて、それで自分の落としどころを作るって大事なことだよなっていうことに改めて気付かされた
映画、あるいは漫画とかアニメとかアートとかに限らず、人間であったり、あるいは自分でもそうかもしれない。
意味のわからないだとか不快なものについて考えをめぐらせて、自分の中で一つ納得できるポイントを見つける。
おれはかなりカスで卑屈なので、結構いろんなものを最初は斜めに見てしまいがちで、それは嫌だったんだけど、こういうふうに一つ自分の中に安置的なものを作っておくことは、生きていくストレスを軽減できるかもしれない
そして、それで出した結論は自分で見つけたものなので、それに関して自分は自分で誇りを持つこともできる。嫌という感情が好きとか普通になるのは、けっこうすごいことだと思う
他人の意見を見て自分の意見を変えても良い。意見を変えて、ポジティブに生きることってすごい大事だなってジョーカー2を見て感じた
そういう最近でした。


・最近はどんどん寒くなっている
自分を含めてみんなもあったかくしてぬくぬく生きよう。この寒い冬を乗り越えて、今度は花粉症を乗り越えて、さらに次は暑い夏を乗り切りましょうや。

そりでは

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