みんくるに捧げる詩

・みんくるの着ぐるみに抱きついて10分くらい泣きついていたいと思う今日この頃

ダメか。
みんくるはみんなのアイドルだしな。
おれが独占していいわけない。

Twitterにみんくるの動画が流れてきて思うのだが、みんくるを初めて生で見てしまったら多分本当に泣いちゃうのではないか
あの無垢さにきっと全部太刀打ちできなくなって
自分の薄汚さとか矮小さに打ちのめされてしまう

かわいいみんくるよ、永遠なれ



・全然前なんだけど「カタシロ」をやったんだった

cocでもかなり有名なシナリオで色んな人がやっている。
こうしてTRPGの輪が広がるのは良いことだ
ただし、自分もシナリオを遊ばないと他の人がやっているのを見れないという重篤な問題もある。
やっぱりTRPGとかマダミスみたいなものって、自分の体験がもっとも大切なゲームと思っているので、初見でやらないと面白さがかなり失われてしまうと思う

そんなのはどうでもよくてプレイした感想を述べていこうかな
一応ネタバレには配慮するけどまだやってない人は見ない方がいいかもね。
ストーリーに触れるより遊んだおれ自身の所感という感じ。




・それで今回のは特にキャラクターとかは作らないで、自分の人格+ステータスや技能という感じの遊び方をした。
したというか、KPのひとがそうすると言ったからそうした。実際にはそのことを全然知らなくてキャラクターを作っていたのだが、なんか手応えのない軟体生物みたいなキャラクターだったから消滅して良かった。南無。

で、このカタシロっていうゲームは思考実験みたいなものを通して最後にどういう判断をPLが下すか、という感じのゲームで
かなりセラピー的というか
会話によって積み重なって明らかになった自分の価値判断基準が、最後にどういうその人なりの理屈を持って下されるのかっていうところに帰依しているゲームだなと感じた。
それはかなり面白くて
思考実験というものの例えを通して、自分はこうだったらこうするな、というのが明晰になっていく感じが、シナリオを通じて新しく自分でもわかるというか、再発見できたというか。

KPのひとが自分の人格で来てね、と言ったのがなんとなくわかる。
というか、キャラクターを演じ、自分の脳で考えて他人の思考や意見をトレースするのってかなり難しいと思うから、逆に助かったまである。
実際のところ、自分でないキャラをRPをするのも醍醐味だと思うのだけれど。


自分がゲームをして感じたのは「自己矛盾」ということだった
思考実験を通じて、自分はこういう考え方をしています、というところが明らかになった。
では最後の局面で判断が迫られる。
そこで、発生したのが“自分が下したい判断”と、“先程まで積み上げてきた自分の価値判断基準”に矛盾が生じてしまったのであった。

自分は辛いものより甘いものが好きだっていう結論が先の話し合いで出て、昼飯どこいく?ってなったらめっちゃ辛いものが食いたくなってきた、みたいな感じ。
違うかも。でもそういう感じ。

遊んでいた時は、なんとか頭を働かせて、とにかく自己矛盾しないような結論を出さないといけないと、必死に折り合いのつけ方を考えていたように思う。
別にどうだっていいんだと思う。
これはネタバレなんだけど、その判断というのが、人を助けるかどうかというものだからだ。
人を助けるのに理由はいらないというかっちょいい理屈で、今までの積み重ねを全部ぶっ壊したっていいと思う。
しかし、自分はずっと自己矛盾にこだわり続けてしまった。


ここに「あ、自分らしさが出たな」と振り返ってみる。


思うに自分は自己矛盾するのが怖いのだ
これは、前から思っていることで
自分はたまにダブルスタンダードとはまた違う、別の人格みたいなものがある気がしている。
それは別に自分はサイコパスだぜケヒヒみたいなものではなくて
自分という軸があった時に全く別の軸があるような
或いはいつもしているとは全く別の思考プロセスが存在していて、時折そいつが顔を覗かせてくるかのような
そういう感覚。

男性的な自分と女性的な自分、全部どうでもいい自分と全部面白がりたい自分、死にたい自分と生きたい自分、自分を愛する自分と自分を嫌う自分、陽気な自分と陰気な自分、バカな自分と賢い自分

そういう二項対立的な相反するおれがいる。
どうだろう、意外と他の人もそうなのかもしれない。でも、みんなあんまりこういうこと言わないよな。教えて欲しいけど。
他人はともかく、おれはそういう性質があることに前から疑問を呈していた。
軸が定まっておらず、常に自分の中で自己矛盾を繰り返す歪な存在。
常に自分の意見を否定し、常に自分の意見を肯定し続ける。
そんなことをしていては気が狂う。もしかしたらもう狂っているのかもしれない。
そういうわけで、おれは自己矛盾をするのが嫌いだし、怖い
だから、カタシロをやった上で、自分が演算してきた結論と、自分が下したい結論に矛盾があったことが自分で許せず、それ故に悩み抜いた
それがこのゲームの全てだったと思う。


あと、KPの人に言われた言葉もけっこうクリティカルに刺さったなぁ
その人にとっては、RPの結果出てきた言葉なのかもしれないけど、「君は他者に評価の基準を置いているんだね」と言った。
それは、全くその通りだ。
上の自己矛盾の話にはさらに続きがあって
自己矛盾しているのはまあ確かに嫌なのだが
そのダブルスタンダード性を他者に指摘されるのがより怖いのではないか。

さっきも言ったが、別にゲームだし、他人を救うためだし、積み上げてきたものをぶっ壊したって別にいいと思う。
でも、自分の中で折り合いをつけて、他の人が納得できるような答えを出さなければならなかったのではないか、という強迫観念のようなものがあった。
おれがとある結論を出した時に「でもさっき言ってたことと違うけどなぁ」と思われたら、爆散して死にたくなる。
それが結局自己矛盾を忌避する理由に帰ってくのではなかろうか。


長く書きすぎた。
そういうわけで、自分は自己矛盾する存在で、そしてそれが嫌で仕方ない。
このゲームをやって、改めてそれに気がついたと言える。
気づいたというか、実感を伴って理解したというのが近いだろうか。

すごいゲームだな。まさにカウンセリングだ。
このゲームをプレイして、自分の内面のメカニズムが少し紐解かれてしまった。
そして、そういう他人や自分の内面を知れるからこそ、このゲームは根強い人気があるということもなんとなくわかった。
そりゃあみんなやるよな。
おれだって他の人がどういう考えを持っているのか気になるし。


このゲームを通じて思うことも色々あったが、それでもやっぱり面白かったな
こういう自分の内面を知れる他のシナリオとかもやりたい。
いや、それは最初からカウンセリングに行けばよいのでは...?
そうか。
じゃあみんなでカウンセリングに行こう!



・なんか推敲のために読み返してみたけど全体的にしっちゃかめっちゃかな文章だな。
全部消してぇー
リライトしてぇー
まあ生きてりゃあピントがあってない日記だってあるわな。アロワナ🐟


こういう時は何も考えずに勢いで投稿するのだっ!

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