トラウマを書き出したら忘れられるのだろうか。
私にはいくつかトラウマがある。
夜寝る前に急に思い出して眠れなくなる。忘れたくて仕方がないけれど。なかなか忘れられない。
新たな試みとして、書いて忘れる、が出来るのか試してみようと思う。
高校生の頃、私はうまく学校に通えなかった。
夏休み明け、1ヶ月ほとんど学校を休んだこともある。理由は書かない。
どんな事情があってもテスト期間というものはある。
テストを受けないと流石に進級が怪しくなってしまうと、当時の担任の教師に言われ仕方なくテストを受けた。もちろん、ほとんど授業を受けていないため点数は取れない。どの教科も10〜20点代だったと思う。ほとんどの教科が赤点だった。
特に苦手だと感じていなかった、数学のテストで9点を取ったのは流石に少しショックだったことを覚えている。
とはいえ、ほとんどの教師が私が授業を受けていないことを理解していて、なにも言われなかった。
9点を取った数学の教師も、テスト返却の際、点数を見てしかめ面だったのに私の顔を見てぼそっと「あぁ仕方ないわ……」と少し慰めるように呟いていた。
本来、赤点を取ると補習を受けなければならなかったが、事情があるから受けなくて良いと担任の教師にも言われていた。各教科の教師にも伝えておくから、と。
私は、授業を受けていないとはいえ赤点であったことはショックだったしそれなりに落ち込んでいた。 ただ、学校に通うということが難しい時期であったため、家族と相談の上、担任の教師に甘えることにした。
それから、数日後。
歴史の授業だったと思う。非常勤の教師だった。
授業開始直後、何故補習を受けなかったのかとクラスメイト全員のまえで叱責された。
私としては、担任の教師に受けなくても良いと言われたし、各教科の教師に伝えておくとも言われ、いちいち説明が必要だとは思えなかった。
事情を説明しても何故か非常勤教師はイラついた様子で、私はよくわからない言い訳をする無断で補習をサボった生徒に見えていたのだろう。
最終的にその教師はこう言い放った。
「そんなこと言われても知らない。信用ないよ。」と。
私に非があると責め立てるように言い渡されたその言葉は私を全否定されたように感じた。
確かに、私はテストで点が取れず赤点だった。補習だって受けていない。
けれど、そこまでのことを言われないといけない程だっただろうか。
私だって学校に通えるものなら通いたかった。理由があって授業が受けられなかった。赤点なんて取りたくなかった。
その日の授業はなにも聞こえなかった。
帰宅後、母にその事を話すとそれはおかしいと学校に電話をしていた。対応したであろう担任の教師になんとなく申し訳なく思った事を覚えている。
それから数日後、歴史の授業後。
私を全否定した非常勤教師に呼び出され、上っ面だけの謝罪をされた。
「信用ないなんて言ってごめん。ちゃんと信用してるから。」と。
私は別に信用して欲しいわけじゃない。クラスメイトの前で全否定されたことに傷ついていたのに。なんて見当違いな謝罪なんだ、と思った。ただ、これ以上非常勤教師の顔も見たくなかったためすぐその場を立ち去った。
私をクラスメイトの前で全否定しておいて、自分は授業が終わって休み時間に軽く謝罪。随分といいご身分だ。
結局、私の怒りも悲しみも対して浄化せずこの件は終わりである。
あーあ、もっとブチギレておけば良かった。
今ならそう思う。
理不尽に怒鳴られ、立場が上の人間に言われたから仕方なくしたであろう謝罪を受け入れざるを得なかった過去の私を思い出して眠れなくなる。
高校生の私にとって、大人はどうしたって敵わない強さを持っていた。大きな声で怒鳴られれば萎縮してなにも言い返せなくなる。
結局、この件は担任教師の伝達ミスだったのか、非常勤教師が話を聞いていなかったのかわからない。
けれど、私は後者であると思う。
だって、授業を受け持っていた教師の中で他にも非常勤の教師が担当していた授業もあったけれど、唯一歴史を担当したこの非常勤の教師だけが私を責め立てたから。
それと、勘違いしてほしくないが、私は補習を受けなかったと叱った事を怒っているんじゃない。
クラスメイトの前で全否定したにも関わらず、謝罪をクラスメイトの前でしなかった事を怒っているのだ。
たかがそんな事で、と思うかもしれない。けれど、高校生の私にとってはとても大きく、そして、悲しい出来事だったのだ。
当時を思い出しながら書いてみたが、自分的には大分短くまとめてしまった。きっと細かい何かは色々と抜け落ちているとは思う。けれど、忘れられずにいる怒りと悲しみはかなり書き出せたと思う。
いつか、この時の私の怒りと悲しみが浄化する日が来るのだろうか?