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曲は好き!歌詞はペラペラ:UDAGAWA GENERATION
希釈しすぎたうっっっすいカルピスみてーな歌詞だな。
我らが櫻坂46の11枚目シングル"UDAGAWA GENERATION"の音源が公開されましたね。
曲いいじゃん!!
どうもBuddiesの前評判は振るわなかったけど、曲、いいじゃないですか。
・イントロのアカペラで「Yeah Yeah Yeah…」から始まり、ワンフレーズ終わったら楽器が入ってくる入り方。これ好き。ライブで超盛り上がりそう。MC明けの1曲目に持ってきたい。
・そして歌い出しがひかちゃん。彼女の声が好きなので嬉しい。
・ちゅけも以前ラジオで言っていたけど、最近の傾向を踏襲してベース音が気持ちいいと思った。ベース好きなので嬉しい。
・特に1サビ最後のフレーズ「UDAGAWA GENERATION」で一瞬楽器が無音になって、歌い終わりにベースが入ってくるのすごい好き。かっこいい。
・大サビでテンション高く畳みかけるのが良い。これはライブで盛り上げるぞ。
・最後にクラップで終わるの、オシャレで良い。もっとクラップ長くてもよくってよ。最後のクラップを「マンホールの蓋の上」に繋げたらバチクソ盛り上がりそう。
・全体的な雰囲気で、SMAPのSHAKEっぽさをちょっと感じた。あそこまで明るくないけど、軽いノリで一緒に上げてこうぜみたいな。
歌詞は極薄だぞ!真面目にやってくれ!
ただ、ただよ。歌詞はかなりイマイチというか、秋元さん鼻くそほじりながら書いたでしょというか。欅坂時代から積み上げてきた資産を切り崩しているような、そんな悲しさを感じましたよ。
「Z世代なんて言葉は誰かが作ったマーケティング私は私だ Yeah Yeah Yeah」が象徴的で、自分たちの定義は自分たちでする。勝手に決めるなという意思を感じるし、それは欅坂時代から一貫している彼女たちの表題曲の底流にある思想だと思う。
「UDAGAWA GENERATION」宇多川世代、っていう言葉は一般的なものじゃないと思うけど、だからお仕着せじゃない、「Z世代?勝手に決めないでよ。私たち宇多川世代だから」みたいな、世間や他者の視点からの独立宣言のように感じる。
この「私は私」「私の定義は私がする」というスタンスは、欅坂時代から一貫していて、この宇多川というのが渋谷宇田川町を指しているのだとしたら、欅坂のルーツなわけであって、その欅坂を継承しているメタ的なメッセージも込められている気がする。
・・・のだけど、もう「欅坂を継承しているエモさ」に頼るのはやめない?って思ってしまう。
櫻坂としての転換点になった"Start Over!"以降もう完全に、欅坂には依存しない櫻坂としての独自性を確立したと思うので、もう今更そこに頼るようなことしなくていいんじゃない。
今回の"UDAGAWA GENERATION"は、「私は私」「We are UDAGAWA GENERATION」と宣言している割には、じゃあどういう世代なの?ということが明確に示されていないし、そこに至るまでの心情描写も薄いんだよな。
「やりたいことはないし、この先何があるかなんて分からないから今を楽しみたい」「私は私なんだから勝手な価値観を押し付けないで。私は変わりたくない」てなことは言っているんだけど、ガキっぽい。
「浄化作戦でハロウィンで騒げなくなって追い出される」とか「あの子はWelcome私はNG」とか、どことなく被害者ヅラが鼻につく感じもある。
何より、彼女たちに合っていなくない?この歌詞で語られているようなメンタリティで、彼女たちがこれまでの活動をしてきたわけがないじゃん。それはBuddiesみんな知ってるじゃん。
ファンからすると、苦しい時期から腐らず努力し続けてきた姿を見てきているから、「変わらないって最高じゃない?いつまでも遊んでいたいよ」とは真逆で、悩みながら、自分たちのアイデンティティを模索して、変わらないところは変わらないけど、それ以外の部分は恐れず変化し続けてきたのが今の櫻坂46じゃない。
今回の歌詞は、そういう彼女たち歌い手のストーリーが全然投影されていないと感じる。聴き手としての自分は30半ばのおじさんなので、櫻坂46のメインターゲットじゃない自覚はあるんだけど、それでも「この歌詞刺さってる誰かがいるの?」と疑問。
社会風刺としては上っ面撫でたようで弱い。「Z世代なんて誰かが作ったマーケティング」なんてゆとり世代の俺らだって友達同士で話しているように、「○○世代」と括られてきた全員が知っていることじゃん。風刺って、みんなが違和感を感じているけど言語化できていないことの本質をバシッと見抜いて表現に昇華するから刺さるんじゃん。
「私は私」メッセージという観点でみても、「私」像の掘り下げも、そのメッセージに至るまでの心の動きの描写も、だいぶ浅いところに留まっている感じがしてしまう。
欅時代から櫻坂まで変わらずに貫いてきていることを継承はしているんだけど、そのエッセンスを思いっきり希釈して曲の体裁にしましたみたいな。うっっっすーいカルピスみたいな歌詞だと感じてしまった。こんな、今までの資産を切り崩すような真似していたらヤバいぜ。
とはいえ曲は好きなんだ。MV公開で手首ギュルンギュルンさせてほしいな。