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諦めのウダジェネ、希望のNothing special

櫻坂46の11thシングル"UDAGAWA GENERATION"(以下「ウダジェネ」)、曲だけを聴いた段階で「歌詞ペラペラじゃん」と思っていたけど、早計でした。

ウダジェネは曲単体ではなく、MVと、同シングル収録のバックス曲"Nothing special"と対になって完成する世界でした。

このことに気づいたきっかけが、Real Soundのインタビュー。
愛しの大園玲ちゃんと、「ゆーづ」こと"Nothing special"のセンターを務める中嶋優月さんが出ています。

"Nothing Special"に対するゆーづの向き合い方が良いんですよ。

私、〈何も起きなくたっていい Nothing specialでいい〉っていう最後の1行の意味をすごく考えて、TAKAHIRO先生ともたくさんお話ししたんです。

「何も起きなくたっていい、何も特別じゃなくたっていい、君は君のままでいいんだ」っていう応援なのか、それとも諦めなのかどっちなんだろうって考えたんですけど、今は「結局どっちもなのかな」って思うようになって。

私自身も「別に何か特別じゃなくていいんです。私はこんな感じでいいんです」って言葉にしつつもどこか希望を捨てきれない、そういう相反する部分があるので、言葉と心が必ずしも一致しないっていうことをこの曲で表現したいなと思ったんです。

だから、ずっと大丈夫って言いながら大丈夫じゃない、平然としている自分と、それでも諦めたくない自分を曲に重ねて、それでも希望に手を伸ばしたいなっていう思いを込めてMVは撮影しました。

ここ!

ゆーづはいつも明るく振る舞っているけど、同時にバラエティ番組やライブのMC等の場面で、求められることを理解して行動する、自分を俯瞰でみる冷静な一面もあって、その気質がこの発言に現れているなぁと。

で、特に素晴らしく示唆深いなと思ったのは以下。

「何も起きなくたっていい、何も特別じゃなくたっていい、君は君のままでいいんだ」っていう応援なのか、それとも諦めなのかどっちなんだろう

「君は君のままでいい」というのが、前向きな意味なのか、それとも「特別になんてなれないんだから、受け入れよう」という諦めからくるものなのか、という二項対立ですね。

で、これはNothing specialの話ではあるんだけど、この「君は君のままでいい」の主語を変えて「私は私のままでいい」にしてみると、最近どこかで見たじゃないですか。そう、ウダジェネです。

Z世代なんて言葉は
誰かが作ったマーケティング
私は私だ Yeah Yeah Yeah

UDAGAWA GENERATION

ゆーづの提示した問いを持ってウダジェネのMVを改めて見てみると、私が早計にも「ペラペラ」と感じていたものとは違う世界が立ち上がってくるのでした。

UDAGAWA GENERATIONは明るいだけの歌じゃない

ウダジェネって、明るい曲調と裏腹に、歌詞にどこか受動的だったり、厭世的な感じが漂うなぁと思っていたんですよ。

普通に歳取るその都度Boring
やりたいこととか何にもNothing
ああしろこうしろ言われたくない
流されて行けばどこかに着く

受動的

ここで騒ぐことすら 今じゃできなくなりました
ハロウィンなんかもうどうでもいい
浄化作戦 追い出されてしまう
あの娘(こ)はWelcome 私はNG?

拗ねてる

シャッター閉められ 拒否されちゃったら
ずっとこのまま しゃがんでいたいよ
だから…全然…
夢なんか見たくない

諦観を感じる

そしてMVで、更にそれが感じられた。一見楽しく踊りまくっているんだけど、「から騒ぎ感」「無理してる感」がうっすらある。(ただ、それ故に振り切りまくった夏鈴ちゃんの笑顔は最高でした。感謝)

で、それを裏打ちするような話を夏鈴ちゃんが「さくみみ」や、インスタライブで話していまして。

・やりすぎなくらい演技をする。
・ある意味大根役者っていうくらいに。

やっぱりあの明るさは演技だったんだなと。そう捉えると、とにかく明るいMVからも、違う風景が見えてきます。

みんなポコポコ出てきてかわいい

例えばこの場面。
箱からメンバーが出てきてコミカルかつかわいい場面なんですが、箱に"FRAGILE"って書いてあるのが示唆深いんですよ。

表に出ている、人から見える部分は明るいんだけど、中身はFRAGILEなんだよ、と。やっぱり明るいだけの曲、MVじゃない。

UDAGAWA GENERATIONとNothing specialのリンク

そしてこの2曲は、明らかにリンクしている箇所があります。

I wanna go!I wanna go!
呪文のような独り言
世界で唯一 退屈じゃない街
疲れた朝陽 何度見ただろう
そんな…こんな…
自由とは愚かかい?
You know! I know!
何も期待していない
Forever
We are UDAGAWA GENERATION

UDAGAWA GENERATION

Sunrise Sunrise Sunrise
やがて 今日の陽が昇り
Sunset Sunset Sunset
あっけなく陽が沈むよ
Starlight Starlight Starlight
珍しいことではなくて
Anytime 何度も Everything 繰り返した
More More More あれは そう 希望だ

Nothing special

曲の落ちサビで、「いつもの繰り返しの朝陽」が昇る同じ光景を見つつも、ウダジェネではそこに諦めを見出し、Nothing specialでは希望を見出す。

同じ事象に対して違う解釈をする、別の2人の物語という見方もできるけど、ウダジェネを経てNothing specialに至る1人の物語という捉え方もできると思います。個人的にはその方が好き。

Somewhere specialだと思っていた街に来て、Someone specialになれると思っていたけれど、Something specialなことなんて起きない。特別に見えるあの娘を横目に、自分は特別な存在じゃないかもしれない、という疑いが出てきて、徐々にそれは自分という存在への諦観に至る。

でもそんな毎日を繰り返しているうちに、Something specialなことはやっぱり起きないけれど、日常の中で小さな喜びや幸せを見出したり、大切だと思える人ができたりして、過去に思い描いていた「特別」じゃないかもしれないけれど、愛や希望が見出せるようになる。

最後には希望を見出す形で締めていて、ジーンとくる。Nothing specialだけでも希望は感じるけど、ウダジェネがあることでそこに万感がこもる感じがする。

で、これをウダジェネとNothing specialの2曲でやっているのがエモいなぁと思っていまして。

それぞれ表題曲とバックス曲なので、この2曲合わせると櫻坂46の全メンバーが漏れなく揃うんです。ALL櫻坂で1つの主題を表現しているって捉えると、グッとくるものがある。

ウダジェネだけ聴いて、「いやぁ、今回はあんまりだな」とか思っていた私が浅はかでした。すみません。

MVのハンドサインのリンクを解明したい

この2曲、歌詞だけでなくMVでもリンクしていて。

というのは、どちらの曲にも手話?なのかわからないけれど両手を使った意味あり気なハンドサインが入っている。

手話かな?と思って調べたけど、どういう意味かはわからなかった。どこかで解説されるといいな。きっと、曲同士でメッセージの渡し合いがあるんではと踏んでいる。



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