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【場の空気】虚構は「空気」を読めって、圧力をかけてくる【すべき行動】
人生のエアダスター、空気を吹き飛ばす白鹿かかおだ。
人生に波の流れがあるように、わたしの時間は刹那の如く虚構であった。
学校でうるさい人がいれば、先生が注意する。
電車で誰かが手をブンブン回していたら、武道館のライブ会場へ案内する。
この日出ずる国、日本で生まれて。
日本で生活する人々はその場所に適した行動をしなければならない。
そう、就職をしなければならない「空気」が世の中に浸透しているのだ。
悲しきかな。
『やらなければいけない空気』
小中高の学校では、宿題をやらなければいけない空気があった。
これは教育と呼ばれる未来への投資であり、必要な空気である。
法律やビジネスマナー、倫理は守るべき空気(ルール)。
無ければ社会の秩序が崩れ、混乱することだろう。
混乱を起こさないためのシステム。
空気の仕組みは、大切であるが、絶対王政たり得ない。そこで生活する自分たちが取捨選択する。
絶対は正義か。
自由は混沌か。
ニートは空気たり得るか。
『虚構は心の叫びを正義だと思っている』
そういえば、空気はなぜ存在し、どういったものなのだろう。
まずは「空気」の研究という本から。
「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の「超能力」かもしれない。
つまり、場の空気とは絶対的な支配力を持つ判断基準ということ。
何でもないはずの「無」が支配している。
わたしたちは、それを受け入れ、そういう世界だと考えている。
学校、社会、家族。
それらは一つの「小世界」であり、秩序が支配している。
支配は正義か。
虚構は絶対か。
まあ、自分にとってはどっちでもいいが。
無職は「無」が付く漢字である。
よって、まことに大きな絶対権を持った妖怪と呼べるのではなかろうか。
『神様が存在するなら、空気は虚構と呼べるのか』
日本には、八百万の神々や妖怪がいる。
目には見えず、触ることさえできない。
しかし、信じている。
そう、昔の人々は神社を作り、祭りを行う。
わたしは奇跡があると信じている。
「運」「希望」「夢」といった虚構そのものは、存在たり得るだろうか。
わたしには分からない。
だが、信じて疑わない。
非有機物に勇気をもらい、虚構に今日1日を祝福してもらうのだ。
最後に
わたしは、決められた規則「場の空気」があまり好きではない。
でも、社会のルールが嫌だというわけではなくて、どちらかというと秩序万歳。
もしも「空気」を作るなら、わたし自身で作りたい。
グーグルで『「空気」の研究 要約』と調べたら、わかりやすく内容が載っているので、興味がある方は見てみてください。