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日本情景論

— 感慨と感動 —

情景と光景、風景の相違は一体何によるのであろうか。光景、風景は一人称による一方的な語り、説明であるが、情景は語りではなく「会話」である。それは必ずしも言語を介する事を必要としない「会話」である。他方、それは感慨と感動の相違でもある。つまり、西洋人間中心主義社会には神(創造主)により人間は展望される目前の光景、風景の全てを一方的に与えられて「生きる」もしくは「生かされてる」という生への絶対的肯定、畏怖的感動はあるが、自らが万物万有の「いのちとかたち(アンドレ・ベジャン)」共々に連用して「生きている」、生のみならず生と死が同時に一つの秩序として奇しくも成り立っている奇跡的な情景に身を置いているという感慨はない。つまり、「生きる意志」を根拠に持つ西洋キリスト教文化は全てにおいてそこから斉らされる感動(それも一方的な感動)がなければ成立しない感動文化であるに対して日本文化は自性(本心)する利他的な「生きている事の申し訳なさ」という思い(実存的内省)を他者という鏡を介して改めて見い出しえた事への感慨に根ざす感慨文化であるといえる。しかし、情景が作り出す日本の感慨文化は他の非西洋圏諸国の文化とも又相違する。それは「生きている」ただなる自らが作りだす利己的な文化と自然との連用のなかに自らの実存をみる利他的な「生きていることの申し訳なさ」という思い、つまり、実存的内省が斉らす文化の相違である。

芥川賞作家の坂東眞砂子は現在タヒチに在住している。以下は坂東氏が或る新聞に現地から寄稿した「火炎樹の夢」と題する一文の抜粋である。「ポリネシア語では、“昨日”はイナナヒ、“明日”はアナナヒとよく似ている。それは過去も未来も曖昧なところにあることを示している。“過去”はテ・タウ・タヒト、“使われた時”という意味だと言う。それでは“未来”は何というか聞くと、タヒチの女友達はとても困った顔をした。“そんな言葉はないわ”と答え、少しばかりの沈黙の後、“私たちは今しかないから”という返事が返ってきた。タヒチ人たちにとっては、“今日”しかない。過去とは“使われた今日”でしかなく、未来は実存しない。彼等は自然の大きな恵みの中で、ただ充実した“今”だけ生きているのだ。そこに入ってきたのがヨーロッパの植民地文化である。・・・タヒチ人はキリスト教徒となり、フランス語を喋ることを強いられたのである」。要するに、タヒチ人は近代に至るまで、自らを取り巻く自然との間に親和的な、そして利他的な相互関係を築くことなく、ひたすら今という時の上に「生きている」自らを忠実にそして不断のうちに首肯してきたのである。そこには、「時間を創作」しないという点において日本文化と相通じ調和する部分が少なからずある事に気づかされる。しかし、とは言え、どこか違うのである。

つまり、タヒチには情景が欠落しているのだ。タヒチにあるのは、宗主国の西洋キリスト教人間中心主義社会の人間の手によって整理、管理された光景、風景とは又異なる情景を創り出すことのない「生(き)」のまま「生きている」光景、風景である。そんなタヒチ人がここに近代を迎えるにあたり、その南国固有の「生(き)」の光景、風景は自らに利益を斉らす経済的価値を持つ事、つまり、それが利己的な財産文化と成りうる事があらためて語り出され、説明され始めたのである。

しかし、坂東氏が言うように、タヒチ人が「自然の大きな恵みのなかで、ただ充実した“今”だけ生きている」を寄り所としている事に変りはなく、そこには自然と自らとの間にかかわる生と死それぞれを対等する秩序として織りなされる光景、風景を自らの手で描き直した情景は見られないのである。つまり、タヒチには、利己的な生のままに「生きている」という連用はあるが利他的な「生きていることの申し訳なさという思い(実存的内省)」がないのである。

こうしたタヒチ人の「生きている」を根にする人々の文化には、坂東眞砂子が言うように、今や否応のないグローバルの名のもとに強請される「生きる意志」による「時間の創作」が作り出す資本主義経済の受容、そして、これを自らに与えられた宿命として背負うことへの鮮明な覚悟と決意が要求されるのである。しかるに、こうした文化的強請に対してこれを果敢に受け止め、それを代謝し相対化してしまう厚みを持った独自の対抗文化がタヒチにはなかったのである。つまり、西洋キリスト教人間中心主義社会による経済に名分化された「植民地文化」化の圧迫に対して、タヒチ人達は「ただ充実した“今”だけを生きている」自らを頼りにキリスト教を受け入れ、近代人間社会という複雑な現実的立場への参加を明確にしたのである。

それはタヒチを今日の近代タヒチたらしめる為の苦渋の選択であったようにも見えるが、それは決して自らの意志に反した蹉跌の道であったのではなく、逃れようのないタヒチの必然の道、つまり、民族的宿命だったと言えるのである。

こうしたタヒチと日本の相違、つまり生(き)の光景、風景と情景の相違とは異なり、西洋キリスト教人間中心主義社会のもとで語られる光景、風景と日本の情景は、感動と感慨の相違として現れることは先に述べた通りである。

西洋人間社会における光景、風景は一人称による感動の一方的な語り、説明である。つまり、自らが納得できる説明を求めて止まない西洋の光景、風景は人間が説明する事ができなければ感動されないのである。逆に言えば、説明できないような光景、風景は、西洋人間社会においては、光景、風景とは認められないのである。

理性主義者カントを尊崇してやまないカント哲学者の中島義道は、その著「醜い日本の私」の中で、看板が林立し、無数の電線が交差する狭い露地をはさんで立ち並ぶ、日本の商店街の写真をこれ見よがしに掲げこう説明する。「この商店街で人びとは毎日買い物をし、ここを朝夕通過しても、この醜さに吐き気がすることはない。醜さを告発する市民運動が盛り上がることはない。ここが問題なのである」と。

つまり、彼は日常目にする日本の光景、風景を説明し得ない「理性」を欠いた光景、風景とし、そこに感動とは無縁な醜さを感じとっているのだ。今、彼の脳裏では、西欧的光景、風景として広く定着、イメージ化された階調する街並みと街路、そして徹底的に従属させられている自然、それは全てが人間の手によってシンメトリックに加工され、その手から逃れ得たものが見当たらないと思わせる光景、風景と日本のそれとの比較がなされているのである。しかし、地質学的に安定したヨーロッパ大陸に比し、日本列島は我が先人達の数多くの血と涙そして汗をのみ込んだ地震(そもそも西欧においては地震の経験知が希薄であり、地震が人間そして神の手をもってしても及ばない巨大な自然現象であるという認識が薄い)という逃れ難い宿命を負っている。日本人はこの宿命がいち早い災害の復旧、復興の名のもとに“醜さ”を代償しているとしても、そこによび起される悲しみという感慨を見こそすれ、それも宿命である事を理解し誰もそれを訳知り顔に中島のように貶めようとは思わないのである。こうした日本の立ち位置を知ってか知らずか彼はカントの目を借りて見た「理性を欠いた」日本の光景、風景に苛だちをつのらせるのである。その目は全くもって西洋的知性が持つ目、即ち「生きる意志」が持つ醜さを排除し、感動のみをひたすら追い求めて止まない西洋キリスト教徒人間の目である。しかし、中島の言葉を借りれば、まさに「ここが問題なのである」。つまり、西洋キリスト教人間中心主義社会の光景、風景は人間の「生きる意志」の生起によって加工され、感動という一方的に説明された光景、風景となるのであるが、対して日本の自性にあるのは、「時の流れ」に「生きている」実存的内省者がそれを情景に描き直す事によりよび起される感慨である。つまり、ここに「生きる」感動と「生きている」感慨の相違が生まれるのだ。中島が醜さの象徴として非難した先の写真にしても、日本人はそこに“醜さ”を“醜さ”としない「生きている」己れに自(おの)ずからして沸き起る実存的内省を内に秘めた情景を想いみているのである。ひるがえって、中島が「醜さに吐き気がする」という路上の電信柱や電線を地下に埋め(日本においても、その埋設化はすでに進んでいる)、看板等を全てきれいに取り払った光景、風景を想像して見よう。はからずも、日本人がそこに目にするものは、実存的内省をはらんだ新たに生まれ変ったもう一つの新たな情景なのだ。

日本人は、いわゆる“醜さ”がどのような美的価値判断によるものなのかに関わらず、それを秩序を帯した今に連用し「生きている」一幅の情景として受け入れるのであり、そこに生まれるものは感動ではなく感慨である。こうした情景は時を移し塗り重ねられる事によって又新たな情景に描き直されるのだ。タヒチの人々が生(き)の「生きている」光景、風景の中に民族的宿命をみるとすれば、日本人は中島が“醜さ”を強調してやまない日本の日常的情景を描きだす実存的内省に民族的宿命を思いみるのである。そこに生まれる無量な感慨は西洋人間中心主義文化が讃美してやまない感動なるものに下されるその美的価値判断によって斉らされたものではない。

皇室関係の仕事も数多く手掛け、今日の日本を表現する著名な服飾デザイナーの橋田いつ子は初めてヨーロッパを訪ねた時のカルチャーショックを次のように語っている。「芸術館、聖堂のすみずみまで絵画や彫刻に埋め尽くされた天井に息をのみ息苦しさを感じた。ベルサイユ宮殿の見事な庭を見て自然がこんなにシンメトリックなわけがないと思いました。・・・・・・自分も自然の一部と思っている私のような日本人はこのまねはできません」。これが偽らざる日本人の実存的内省者から出てくる感動ならぬ感慨であろう。つまり、橋田いつ子は、圧倒する西洋美術に対してそのあまりの自己とのずれにただならぬ異和感をおぼえたのである。橋田いつ子も言うように西洋の庭園は常に階調する生の美しさを讃え、強調する。そこには生は善とし、死は悪とする生死二分のキリスト教倫理が底意する「生きる意志」により一方的に説明された観る者に感動への同調を強要する光景、風景があるのである。

しかし、何をか言わん、日本人にとって「満開の桜は美しく、散りゆく桜も又美しい」のである。すべからく満開の桜に西洋キリスト教徒人間は生の躍動美を、そして感動を口にする事だろう。しかし、「敗者」として散りゆく桜には一べつもないであろう。一方、日本人は秩序を同じくする「不二一如」の生と死が織りなす一幅の情景をそこに見、感慨をおぼえるのである。古今和歌集の秋歌下に次の歌がある。

 色かはる秋の菊をばひととせにふたたびにほふ花とこそ見れ
                            よみ人知らず             

盛りを過ぎた白菊の花は時を置かず薄紅、薄紫へと色が変化する。日本人はこの「色褪せる」事にも美を見、それを見苦しいもの、醜悪なるものとはしない、そこに新たな情景美を見出しているのである。日本文化は巡りみるこれらすぐれて説明し得ぬ生死を越えた奇跡的な情景に感慨を与え、これを生み出す「生きていることの申し訳なさ」という思い、実存的内省に民族的宿命を言継ぐのである。

― 実存的内省そして実存的反省たがえる実存 ―

このように日本的情景を紡ぎ出すものは、他ならない実存的内省であるが、西洋キリスト教人間社会にはこうしたプロセスは見うけられない。何故か、それは西洋の実存主義哲学を代表とするとされるJ・P・サルトルが語る実存から窺い知れる「実存的反省」そしてその実存主義を内包する西洋キリスト教人間社会の「理性的反省」にその答えはあるのである。
 
実存主義者サルトルの実存は究極の自由を指向する創作された時間を担う「生きんとする意志」、つまり、神的課題から逃れ解放された事実存在(後に述べるようにそれは真の事実存在ではない)であるとする「生きる意志」に絶対的な裏づけを与えられた実存である。
 
この実存主義を是否もなく内包するもの、それがキリスト教理性主義を掲げる西洋キリスト教人間社会という揺るぎない大いなる構造である。かかる構造という視点に関して言えば、日本の実存はその文化構造が織りなす時間の創作を否定する「生きている」という連用を事実存在とする実存であり、それは日本的構造が包摂する「思い」によって生まれる。
 
さすれば日本文化の実存とサルトルの実存の相違、それは構造の相違、つまり単に神的課題を否定した事をもって事実存在であるとするサルトルの実存と構造を全く異にする日本文化の真の事実存在である実存との相違なのである。
 
この日本的構造に相対する西洋キリスト教人間社会は「神の前に全ての人間は本質的な存在者である」とするキリスト教理性主義に答える「理性的反省」を社会的合理性として自解する事が常に要求される社会である。そしてこの「理性主義に答える理性的反省」を取りつなぐものが本質存在によってなされる「生きる意志による時間の創作」である(拙稿「ヨハネ福音書序詞は何を語ろうとしたのか」参照)。
 
一方、実存主義の「生きる意志による時間の創作」は理性主義とは異なる「実存主義に答える実存的反省」という神的関係を負わない人間と実存を取りつなぐものであり、ここに実存的反省は西洋キリスト教人間社会の理性的反省に対する自らのアイデンティティーを、つまり、西洋キリスト教人間社会の本質的存在に対する自らの事実存在の優位性をはからずも見とどけようとするのである。
 
こんな実存主義を西洋キリスト教人間社会が内包するのは、事実存在であるとする実存主義の「生きる意志」は、たかだかパフォーマンスとしての事実存在であり、キリスト教の本義である本質存在の「生きる意志」と単に性起を異にするだけでその内容とする所はそもそも同じだからである。また、その「時間の創作」は究極の自由へ至る手立てとして問題なく首肯できる、つまり、「生きる意志による時間の創作」という営為は共有する事ができるからである。
 
しかし、内包された西洋キリスト教人間社会に対する見せ掛けの抵抗を試みるサルトル実存主義の「時間の創作」は、マルクス主義の「時間の製作」の幻影を前にして、その実存主義は、「生きる意志による時間の製作」という全く整合性のない矛盾したものに変節するのである。かくしてその偽善性を暴露したサルトル実存主義は、最終的に西洋キリスト教人間社会から見離され、ここに自滅、霧消してしまうのである。
 
いずれにしても問題は「生きる意志」に自らの根源を求め、託す事に固執する「理性的反省」そして実存主義の実存的反省は連用する「生きている」という「思い」に真の事実存在をみる日本文化の実存的内省のように、光景、風景を情景に描き直す事など有りえない、つまり、西洋キリスト教人間社会の本質存在そしてその本質的存在と内容を同じくする実存主義の擬似事実存在がその営為に思い及ぶ事はないのである。