蛙と中毒者
シンガポール生活3ヶ月目になる。
この1ヶ月間はタイに帰ることを目指してBKKでの仕事のオファーを探しまくっていた。ついに先週、受けたいと思える内容のものが2つ現れた。
これがメールで届いた時は嬉しかった。
「またタイで働ける。」
しかし、何か引っかかる。
結局私はこのオファーには両方とも返信しないことにした。
深さを知っているのか
和太鼓演奏家Bは和太鼓界でも指折りの個人演奏家だ。
Bは鼓童という和太鼓チーム出身。
私が高校生だったとき、顧問とのつながりで時間を見つけて部活の練習を見にきてくれていた。
私は特段Bと深いつながりがあったわけでもないが、今のシンガポールでの状況に役立ちそうな言葉をBから受け取ったことがある。
2016年3月。
高校三年生の私は鼓童研修所への入所を直前に控えていた。
この時の私は正体不明の研修所の生活に怯えていた。
高校では真面目に勉学に励む友人を横目に太鼓ばかりしていた。
好きな太鼓を続けられるのは嬉しいが、厳しい共同生活にどこまで耐えられるだろうか。不安を拭えるように周りには、
「ワクワクしている!楽しみだ!」
と伝えていたが内心では安心させてくれる要素を探し回っていた。
どこかのタイミングで顧問の先生とB、そして私の3人で飲み会をセッティングしてもらったことがある。もちろん私はソフドリだった。(今ではすっかり酒好きになった。時の流れを感じる。)
先生は少しでも私が島に行ってからの生活に備えられるように場を整えてくれたのだと思う。Bはもちろん研修所を経験し、そこで生き残ったのであるから、Bの話は私にとって今まさに血肉とすべき内容であるはずだと。
その予想は大当たりだった。研修所で生活のポイント。周りとの差の付け方。誰と仲良くすべきか。私の現在の強みと弱み。
もちろん研修所はBの言葉をそのまま再現すれば安易と過ごせる甘い場所ではなかったが、少なくとも私の乏しい想像力を補い、覚悟と勇気を与えるには十分すぎる内容だった。
心が支えられた気がした私は自分が紬だせる可能な限りの言葉をBに伝えた。
「本当に私が何も分かっていないことがよく分かりました。不安でどうしたら良いのか結局入所するまでわからないとは思いますが、今できることを頑張ります。本当に井の中の蛙ですね。」
間髪入れずBは言い放った。
「そうだね。でも『井の中の蛙大海を知らず。されどその深さを知る。』」
これは本当に恥ずかしい話なのだが、私はこの時までこの蛙の慣用句に下の句を付け加えられることを知らなかった。今でこそ、年配の男性と話をするとこの言葉はよく出てくる。時に説教じみた形で、時には寄り添うような形で。当時Bが何を意図して、どんな雰囲気でこの言葉を言ったのかは忘れてしまった。何せかなり昔の話だ。しかし、当時この言葉を知らなかった私には効果バツグンだった。
その日の日記が今でも残っている。
とにかく私はこの言葉に安心させられた。
研修所では何があるかわからない。
何も知らない。まさに狭い水溜まりで泳ぐ蛙だ。
大海が怖い。
しかし過去を見れば私は5年間、中学高校で真剣に和太鼓と向き合ってきた。その『深さ』だけは疑えない。絶対に事実だ。
大海中毒
そこから8年ほどを私は色々なところで過ごした。
自身の身分・身を置く国。さまざまな形で本当に色々やった。
しかし、どこでも1年として同じことを続けられなかった。
一つの場所にいると自分が水溜まりで泳いでいる気分になる。
これを一歩出てみると今まで知らなかった世界に出会う。
大海がパッと開けて美しく輝くように。
その解放感に私は中毒になってしまった。
これは面白いことだが『大海』を渡り歩くほどに高校生の時に逆戻りするように心から平穏が失われて不安を抱えることが多くなった。
シンガポールに来るまでそれは私の私自身への理解不足が原因だと思っていた。自分のやりたいことに自ら耳を澄ませても、それをしっかりと発し・聞き取っていないために魂と現実に乖離が起きているのではないか、と。
あるいは、自分の力の足りなさだと感じていた。直近では特に『今いる環境に満足する力』が不足していると認識していた。現実を踏まえた上で目標を描く妥協力や夢想力が自分には足りていないのではないか、と。
でも、答えはもっとシンプルだったかもしれない。
大海に挑むのは簡単でない。簡単でないことを頻繁に続けていたらそれは消耗する。頻繁に行うにしてもそこには裏付けとなる心の支えが必要だ。
確かに、狭い井戸の中でチャプチャプと遊ぶようだったかもしれないが、高校当時の5年間という時間は次の大海を目指すためのエネルギーを与えてくれた。
単純に『満足しよう』とするのではダメで、今いるこの環境に興味を持ってまさに遊ぶように深さを知らなければならない。それにはある程度時間が必要だ。
タイはたった1ヶ月で良いオファーが2つも出たのだから、戻りたければいつでも戻れる。
知ろうとしないものをどうして楽しめるだろうか。
シンガポールの深さを私は何も知らないのにどうしてここから去りたいと思うのか。
少し潜って遊んでも良いじゃないか。