見出し画像

退屈な大学から抜け出せ

シンガポール渡航まで2週間ほどとなった。思えば去年の夏にタイに来てから、毎日が予想もしないことの連続だった。家がなかったり、お金がなくなったり、携帯がなくなったり、仕事がなくなったり。仕舞いには全く想像してすらいなかったシンガポールで働くことになった。

今回はタイにくる就活開始前の振り返り。
後で見返した時に何かの役に立つかもしれない。

退屈

2022年4月。大学4年生の春。その日は大学の講義だった。
内容は「家庭の社会学」
話される内容はこれまで個人的に読んできた本の内容そのままだ。
ディスカッションがあるわけでもなく教授がただ話すだけ。

周りの学生達は遠く後ろの席で昼寝の真っ最中だ。講義で一番前に座るとそれだけでやる気のある学生だと思われる。なので、私は一番前の教授の目の前に座って鼻をほじりながらウマ娘をしていた。もう知ってることをおばさんの口から聞いても何も面白くない。授業の終わりには必ず適当にそれっぽい質問をしに行って点数を稼ぐ。

退屈。
そろそろ就活をしないといけない。

キャンパスは建物ばかり綺麗で中身は何も行われていない

私は学生の間、日雇いのバイトをしていた。
結局5社くらい人材派遣会社に登録して色々なクライアントと仕事をした。

これまで働いていたクライアントの中で面白そうな企業に2、3連絡する。

「〇〇社□□様。突然の連絡すみません。以前、〇〇のイベントでお世話になった者です。実は現在就職活動中で、以前のイベントの際に御社の仕事に大変興味を持ちました。一度お話伺えませんか。ご連絡お待ちしております。」

それから、2週間後くらいには適当に内定が2つか3つ出た。
はい。おしまい。

これでいいのだろうか。大学で太鼓をやめてから楽しいことはGeekSalonしかなかった。そのGeekも結局やめてしまった。このまま退屈な会社で適当に20代を終えるのか?20代どころではない、ここで退屈な会社に入ったら一生退屈な人生になるかもしれない。

いつから私の日々は退屈になったのだろう。それはなぜなのか。そこから抜け出せなかったのは何故なのか考えた。

なぜ退屈になったの?

やはり一番は太鼓をやめたことが大きな原因だと最初に考えた。
太鼓をやっていた中学高校、研修所、ドバイでは「退屈だ」などと感じたことはただの一度もなかった。本当に楽しかった。夢中。文字通り夢の中でも太鼓のことを考えていた。
そう、夢中になれる何かが必要だ。Geekでプログラミングに夢中になっている時は確かに退屈していなかった。

しかしだ。
プログラミングは太鼓と比にならないほど短い期間で辞めてしまった。結局プログラミングは私が退屈から抜け出すための媒体になりえなかった。「夢中」は私を本質的に射止める要素ではないようだ。

ならば、何が私を夢中にさせるのか。

私が太鼓をやめたのはこの「何か」が失われた、もしくはそれを享受できない状態になった。その結果太鼓をやめて退屈になった、と考えれば辻褄が合う。

そう考えると私が太鼓に求めていたものは太鼓自体ではないのではなかったのではないだろうか。太鼓が与えてくれる太鼓以外の何かが私を退屈させなかった、と考えた。つまり「太鼓の要素」のようなものだ。それは何か紙に書き出して見る。

なぜ太鼓をやめたのか。
確かに演奏機会や環境がコロナで激減したことは理由になりそうだ。しかし、それでも環境はいくらでも自分で整えられる。やり方はいくらでもある。よって、環境を整えるだけのコストが「何か」に釣り合わなくなった。

太鼓は私自信を磨いてくれた。歴史や芸術、身体能力の視点を大いにもたらしてくれた。太鼓は出会うはずの無かった人に出会わせ、行くはずの無かった場所に私を連れて行ってくれた。

新しい視点
成長
出会い
相互理解
探索
・・・・・・・・。

なんとなく核心に近づいてきた。

私がこれらの要素を最大限に享受したのはドバイだ。
異なる文化の中での演奏は私が紙に書いた全ての要素を余すことなく私にもたらしていた。ドバイでこれまでに無いレベルで「太鼓の要素」を享受した結果、国内での活動の張り合いが相対的に薄れた。だから太鼓をやめた。そして退屈になった。

なんとかして「太鼓の要素」を取り戻せないだろうか。


ノリ

2022年6月も終わり頃。就活も終わったのでゼミの友人Uと酒を飲んでダラダラしていた。覚えたての麻雀を淡々と打つ。Uは私の2歳下だが、私より大人びている。勉強熱心で真面目、理論立ててものを言う男だ。Uと話していると頭が整理される。

私たち地球社会共生学部5・6期生最大の屈辱は本来2・3年生で企画されているタイ・マレーシアへの留学がコロナで中止になったことだ。この日も確か留学中止の愚痴が話題に上がった。

「本当なら、就活の自己分析は留学してからやりたかったよな。その方が新しい視点で自分のやりたいことを見つめられた気がする。」
私の愚痴にUが淡々とこたえる。
「まあ、それはあるけど。しょうがないな。むしろ、留学できなくてその時間で何をしたかが重要じゃん?」
Uは論理的なだけでなく前向きな男だ。
傲慢な私は酒を片手に続ける。
「俺はその時間でプログラミングしてたからOKよ。まあ、もう就活終わったからいいんだけどね。」

麻雀はUが役で上がる。私は絶対Uに勝てない。

Uが一言。
「後期どうしようか。」
後期か。私は前期で単位は取り終わって後期は週休7日が訪れる。卒論も研究もない。酔った勢いで私は言う。
「なんもないからバックパッカーとかやりたいな。」
「・・・。いいじゃん。国内?」
「いや、タイでしょ!留学で行けないなら自分で行ってやる!バックパッカーでどこまで生き残れるかサバイバルだ!」
「まじかっw」
Uも少し興奮気味だ。

その場でPCをカバンから引っ張り出して、BKKへの片道切符の航空券を買ってしまった。

翌朝。どうせならこの航空券でただバックパッカーするだけでは勿体無く感じた。

『本当なら、就活の自己分析は留学してからやりたかったよな。その方が新しい視点で自分のやりたいことを見つめられた気がする。』

この機会にタイで就活をやり直したら面白いのではないか。
絶対に面白い。少なくとも後期の半年をただダラダラ過ごすより余程いい。
初めて行く土地で何ができるか考えることは太鼓の要素を取り戻すのに一役買いそうな気がした。
タイでできるインターンはないだろうか。講義中に調べると出てきた。「TLS タイ言語学校」
内定をもらった日本の企業に辞退の連絡を入れる。

Soi カウ 

こうして、あまりにも忙しい一年間は始まってしまった。
あれから退屈することは本当になくなった。
大学時代が本当にアホらしく感じるほど充実している。
ちょっと休みたいくらいだ。

シンガポールでも何があるかわからない。
家がなくて道端で寝ることになるかもしれない。
お金がなくてそこらへんの人にご飯をねだらないといけないかもしれない。
携帯を無くして30km歩くことになるかもしれない。
パワハラにあって仕事が無くなるかもしれない。

どうなっても鼻をほじりながら講義を聞くよりよい。



















いいなと思ったら応援しよう!