10月3日の日記
今回はさっきノートに書いた日記の共有。
短いけれど、面白く読んでもらえたら嬉しい。
ちょっと読みやすく改変している。
先週末にお金を使い過ぎてしまって簡単な節約生活をしているけれど、改めてお金を使うということは難しい。単純に2倍使ったからといって2倍幸せになれる訳ではないと思う。まず、買ったものについて・払った金額について、良く考え吟味する。そして、それが自分のためになる、むしろ自分のためにするのだと主体的にお金を使えた時に、それは幸せにつながると思う。自分はお客なのだからと受け身の姿勢があったり、しっかり考えずに購入を決断したものが私を幸せにしてくれることは少ない。というか、そんなことはあった試しがない。
今週末あった飲み会Aは結局$180かかった。
一食2万円!今考えても高すぎるけれど、とても楽しかった。
2万払ってもいいと素直に思えるほどに!
一方、同じく週末にあった飲み会Bは$60くらい。全然面白くなかった。
$60なのに高く感じる。
これは明らかに私の心の持ち方が問題だったと思う。特にお店に良し悪しはなかった。誘ってくれた友人達にも差があった訳ではない。どちらも素敵なお店で美味しい料理だった。どちらも私にとって仲を深めたいと思う人物が集う飲み会だった。
その飲み会に本当に行きたいのか、それを楽しむマインドを持っていたのかという部分にしか差を見いだせない。
これまでもバイトのお給料を使うことはあった。本もたくさん読んで、お金には「使う」以外の活用の仕方があることも知ってる。お金を使うことなんて簡単で、しっかりそれを自分の幸せに繋げられていると思っていた。両親も、無駄遣いしないことや、貯金すること、余剰は投資すること、必要な時にはしっかり使うことを口頭と行動で教えてくれていたと思う。
それでも本当に恥ずかしいことだけれども、この「使う」を社会人一年目にして本当の意味でやって見て、こんなに難しいことはないと感じている。
最初シンガポールについて友人から聞いたこの国の特徴。
「シンガポールではお金がないと幸せになれない。」
その通りだと思っていたが、今はちょっと違う。
「シンガポールでは、お金は正しく使わなければ幸せになれない。」
だと思う。
どのくらい使うか。どのくらい持っているか。どのくらい入ってくるか。
これらはとても大切だけども、一番幸せに直結しているのは
どのくらいその購入を意識して「価値」に転換できたかだと思う。
きっとこれは私がお金よりも心に注視し過ぎていたタイでは気づけなかったことだ。一つ学びがあったと、しておきたい。