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18年前からの夢を叶えた今、思うこと

入社9年目。現在はデジタルコンテンツ部でweb系を中心にディレクターをしている中村です。
このブログ、みんな声を揃えて言っている「何書こう・・・」
私もどうしようかなーと思って色々考えてみました。
【この業界目指し始めたのっていつだっけ?】→【なんか小学校の卒業文集に書いた気がする】→文集探す、見つける→【将来の夢:獣医&芸能人スタッフ・マネージャー】

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「&」の使い方を間違えてるこのおバカな12歳当時からエンタメ系の仕事には興味あったみたいです。業種は違うけど、似たような業界を夢見てた頃から18年。
この機会に振り返ってみようかなと思います。
こんな何処ぞの誰かも知らない一個人の人生、さぞかし興味ないかと思いますが、一服するついでに、トイレでスマホいじって暇つぶししてるそんなお供に読んでもらえたら嬉しいです。

人生最初にハマったテレビ

一番古いテレビの記憶は5歳くらい。
この年代ってみんな狂ったように見るのが「おかあさんといっしょ」。だけど私は専らフジで放送してた「ポンキッキーズ」でした。
今じゃ考えられない豪華な出演者(あの安室奈美恵さんがウサギの格好して踊ってた)が朝8時にスチャダラパーの「GET UP AND DANCE」の曲に合わせて「おはよーさ〜ん!皆さん準備はいいですかー?」の掛け声で始まるなんともファンキーな番組。(ちなみに私の初恋はこの番組のMCだったスチャダラパーのBose君)
バリバリ洋楽かかるし斉藤和義さんがテーマソングだし子供番組にしちゃオシャレすぎるこの番組に毎朝釘付けになり、幼稚園の制服のブラウスボタンを閉めずテレビにかじりついて見てました。しまいには「幼稚園に行くか、テレビ見るかどっちかにしなさい!」と謎にテレビを見る選択権を与えてくれるそんな天然母に怒られた記憶があります。
この頃はテレビの中ってキラキラしてておもちゃ箱みたいに輝いて見えてました。

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(テレビ見たくて幼稚園行きたがらなかった時)

子供たちの心に残る。会話のネタになる!テレビってすごいんだな

小学生になると、朝登校してみんなまず話すのはテレビの話。
「昨日の『学校へ行こう!』見た!?」が鉄板トーク。
何処ぞの学校が「<未成年の主張>に当選した」だの「でも校長が反対して取り消された」だの多分全国の学校で同じ会話が飛び交ってたと思う。それくらい『学校へ行こう!』ブームってすごくて。
学年1勉強のできる出来杉くん(仮名)からも「昨日の『学校へ行こう!』見たよ!」って話しかけられた時は、『あの出来杉くん(仮名)も見るテレビってすごいな!次の日の会話のネタになってみんなで盛り上がるんだもん!』って思って。
そこから「楽しい、面白い、悲しい、感動、怒り」という感情とか経験とか思い出とか、人の心の中を動かして影響を与えるテレビやエンタメの世界ってすごいなーって思ったのがこのくらいの年でした。

「何かを企画する、構成する」が楽しいと気づいた思春期

そして甘酸っぱい青春時代なんて過ごさず、吹奏楽部で先生に怒鳴られ、朝から晩までしがみ付きながら命を注いでいた高校時代。
毎年ワンマンコンサートを県内一大きいホール借りて盛大にやるんですけど、衣装とか曲とか全部自分たちで考えるんです。そこで私が担当したのが構成係。曲を少し編曲したり舞台上の演出を考える係で、それがめちゃくちゃ楽しかった!
特に『ハリウッド万歳』って曲が大好きで(あの『世界まる見え!テレビ特捜部』のテーマ曲でお馴染みといえば分かる人多いはず!)。
この曲の演出はそれはもう気合入れまくって、ピンスポットグルングルン回して舞台の幕使って照明を何小節目で全開にするかなど、演奏の練習そっちの気で考えてました。

たかが1秒にも満たないそんな演出をみんなであーだこーだ考える時間が楽しくて。そうやって1つのものをみんなで作り上げていく、そんなことをずっと出来たらいいのにって思ってたのが17歳の春。

自主制作の映像で心を動かした実感を得た22歳

将来を考え始める18歳。
興味があることってやっぱテレビとかエンタメとかを作る世界。
なので大学はそういうことが学べるところを選びました。
スタジオや収録カメラを所有している学校で、授業では映画見たりシナリオ書いたり、自分たちでカメラ回して取材して朝から晩まで編集室にこもって編集して・・今とほとんど変わらないことをやってましたね。

4年生最後に作った作品(卒業制作)は祖父の密着にしました。
祖父は戦争でシベリアの捕虜になっていたのでその当時の話を映像に残したくて取材しました。
その一年後、祖父は亡くなってしまうのですがそのお葬式で私が作った作品を流してくれました。
そしたらもう何年も祖父に会えなかった親戚の方から「生前の動いている姿を見れたことが嬉しい、ありがとう」とすごく喜んでくれてお礼を言われました。
その言葉を聞いて映像の持つ力というか、人の感情を動かせたことを体感して、やっぱりすごい仕事だなと実感しました。

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(大学時代、卒業制作編集中)

この業界に入ってみて

そう考えると人生の半分以上はエンタメに魅了されてますね。

いざこの世界に入ってみて、ありきたりな言葉だけど「毎日が文化祭の準備」ってまさにそれで。
もちろんしんどい時辛い時の方が何百倍も大きいし、投げ出したいって何億回も口に出してるけど、その分放送して見てくれた人からの反響を聞くと、本当不思議で謎だけど、しんどかったことを忘れるんですよね。
だからここまで続けてこれたんだなって思います。

それに普段体験できないこともたくさんさせてもらいました。
一週間寝泊りなんて当たり前で(今はそんなこと絶対あり得ないけど)
スッピンだろうが髪ベトベトだろうが気にせずやってたのも今思えば青春って感じだったし。

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(絶対誰もが1枚は持ってる寝落ち写真)

海外ロケにはたくさん行かせてもらったし(今は難しいけど絶対また海外ロケは行きたい!)

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(タイは2回行かせてもらって人は優しいし食べ物は美味しいし楽しい記憶しかない!)

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(イギリスは一人の時間が欲しくて夜中一人でスーパー行ってたら危ないだろ!って怒られた)

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(イタリアは初ディレクターロケ。景色が綺麗すぎてそれでなんとかメンタル保ってた)

スタッフ・出演者と1か月の共同生活では、山にこもり大嫌いな虫と格闘したし。

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(プライベート皆無だったけど一緒にやったスタッフはみんな大好きな人たちでしんどい時は同期と中島みゆきの「ファイト!」熱唱しながら乗り越えた想い出)

大好きなディズニーで大好きな「スター・ウォーズ」のお仕事ができたときはもうありがとうございます!って気持ちしかなかったし。

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たくさん泣いて笑って愚痴吐きまくって酒飲んで、私自身も色んな感情動かされまくった感じです。

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これから時代は変わって色んなメディアコンテンツが増えてエンタメもどうなっていくか分からないけど、ついこないだ8歳の姪っ子から「のんちゃん!!ぺこぱに会ったことあるの!?」って目をキラキラさせながら駆け寄ってきた姿が、テレビに食いついて見ていた幼少期の自分と重なりまだまだ今の時代も子供の感情を動かしまくってるテレビ、そしてエンタメってやっぱすごいなって考えさせられたところです。だからおばちゃんもう少し頑張ってみようかなって思います。

株式会社シオン
ディレクター
中村望美

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