僕を支えてくれている「マリエちゃん」と「鉄川くん」。
テレビ業界に入るきっかけ!?「パーマン事件」
あれほど明確にイメージできたことはあっただろうか―。
扉が開けられた玄関へ向かって、まっすぐと伸びる急階段。
2階の幼馴染の部屋から出て、その最上段に差し掛かった時、僕には確かに見えた。そこを蹴り出し、玄関をくぐり抜け、空へと飛んで行く自分の姿が。
昨日テレビで見た、パーマンのように!
「マリエちゃん、見てて!」
はっきりと覚えているのはそこまでで、今僕の顎には一文字の傷跡が残っている。
後に聞くと、裂けた皮膚から骨が見える程の大怪我。
幼馴染宅からの急報で駆け付けたオカンは泣きじゃくり、血まみれになりながらも、5歳に満たない“ヒーロー成り損ない”を病院まで抱えて行ったそう。
10軒ほどしかない小さな住宅街での小さな事件であったが、記憶を辿る限り、僕が初めて想像力を働かせた大きな出来事でもあった。
現在、39歳。
地元大阪でテレビ業界に足を踏み入れ、今では東京で『ニノさん』と『マツコの知らない世界』のディレクター。
特段に“テレビ好き”という訳でもなかった僕が、なぜこの世界に身を投じたのか?
この文章を書くにあたり「パーマン事件」が源流にあるのでは、と思い至った。
他にも、幼い頃は遊びを考案したり、新しいイタズラを試してみたり、大学時代には学園祭スタッフとして企画をしたり…
“楽しいことをする”のは、僕にとって自己表現の1つだったのかもしれない。
テレビディレクターは“楽しいことをイメージ”し、それを“可能な限り実現”させ、“視聴者に届ける”。そんな職業である。
余談だが、「パーマン事件」に登場する幼馴染マリエちゃんは僕の初恋相手。
“空を飛ぶかっこいい姿”を彼女に届けたい!と思っていたに違いない。
さて、人生を振り返るのはここまでにして。
テレビ業界歴17年の中で特に印象的だった出来事を1つ紹介したいと思う。
上記した通り、大した動機もなく始めた仕事だが、「続けていて良かった」と思えた話なので、お付き合い願いたい。
▼「パーマン事件」あたりの僕。
顎を切った写真は見当たりませんでしたが、常にどこか怪我をしていました。
▼飛びたい願望がありそうな僕と初恋相手のマリエちゃん!
テレビディレクターを誇りに思わせてくれた「鉄川くん」
「チャッ!チャッ!チャッチャッ!」
関西人ならこの4音を聞けば、何のテーマ曲かが分かる。
未だに視聴率が20%を越えることもある、大阪のお化け番組『探偵!ナイトスクープ』。「一般視聴者からの依頼を探偵に扮した芸能人が解決する」ロケバラエティーで、僕が初めてディレクターになった番組でもある。
関西人以外でも、ご存じの方はいるのではなかろうか?
1年半程前、西田敏行さんからダウンタウン・松本人志さんに局長(司会者)が代わり、ニュースにもなっていた、それである。
▼AD時代の僕。目から野心が見てとれます。
▼色んなことを経験させて頂きました。。。
そんな番組で僕が25歳の時にディレクションした、とある依頼がある。
「亡き父にそっくりな飯田選手とキャッチボールがしたい」
依頼者は長崎県に住む、当時18歳の鉄川さん。
7年前に亡くなった父親は、元プロ野球選手の飯田哲也さんにそっくりで、中学野球部の監督。
兄である自分は父とのキャッチボールが一番の思い出だが、12歳の弟にはそれがない。そこで父とそっくりな飯田さんに弟とキャッチボールをしてもらえないか、というもの。
飯田さんにはキャッチボールだけでなく、依頼者家族に様々な思い出を作って頂いた。12歳の弟は肩車をしてもらったり(飯田さん、だいぶ重そうでした…)、亡き夫に想いを馳せた母は、思いきり抱きついてしまったり(飯田さん、苦笑いしていました…)。
自分で言うのもなんだが、笑いあり涙ありの良いVTRになったと思う。
…それから13年後の昨年。とても印象的な出来事が。
なんと依頼者の弟「鉄川くん」と再会したのだ。
場所は僕が大阪時代に働いていた会社の後輩の結婚式会場。
「山口さん、僕を覚えていますか?」
なにせ13年の時を経た容姿である。説明されるまで思い出すことは出来なかった。
「あーあのロケの!でもなんで、ここにいるの?」
「実は、僕ADやってるんですよ!山口さんに憧れて!」
「えー!!!」
咽るほどに驚いた。
彼によると、あのロケでの僕の姿がとても楽しそうに映ったらしく、いつしかテレビディレクターになることが夢になったのだという。
そして、僕の会社をネットで調べ上げ、そこに入社してしまったというのだ。
(残念ながら、彼が入社する2年程前に僕は東京に来てしまっていましたが…)
テレビディレクターは“楽しいことをイメージ”し、それを“可能な限り実現”させ、“視聴者に届ける”。そんな職業である。
よって、あのロケでの僕は“自分の頭に思い浮かべたことを実現させよう”と奮闘していた。
ただし、目的は視聴者に届けることであって、まさか近くにいる12歳の子どもにそんな影響を与えていたなんて!
晴天の霹靂であった。
しかし同時に、この「テレビディレクター」という仕事を誇らしくも思えた。
警察官や消防隊員のように子どもが憧れる素敵な職業なんだと!
“楽しいこと”は、どんな人の気持ちも動かせるのだと!!!
▼僕と鉄川くん!(目から野心はみてとれません。)
最後に…
これを読んでいる方々は、少しでもテレビ業界に興味を持って下さっているのでしょう。そんな皆さんに、他にも伝えたい楽しい話はたくさんあります。
今田耕司、内村光良、中居正広、二宮和也、マツコ・デラックス…その司会技術の違い。
なぜか映画監督・犬童一心とYUKIのPVを手掛けた話。
100kmを2人組7チームが歩き続ける番組で、素材150時間を1時間にまとめるという、地獄の編集話…。
そして、なぜAD時代の僕はあんなにも脱いでいたのか?(笑) などなど。
いつかお会いすることが出来たら、お話ししますね!
もちろん“楽しいこと”というのは、テレビに限りません。
映像業界はYouTubeを始め、様々な広がりを見せていますし、エンタメというジャンルは、もはや無限の可能性を秘めていると思います。
(弊社の社長は「ワクワクするなら、別に会社で飲食店をやってもいいんだよ」と言っています。
楽しいですよね!)
「パーマン事件」から35年。僕も、もうすぐ40歳。
あれほど明確にイメージできたことはこれまで無かったのかもしれません。
あの階段からも今では飛ばないでしょう。失敗しますしね…
ただ、“楽しいことを実現させる”というのはトライ&エラーの連続です。
「四十不惑」という精神には、まだまだ到達できそうにありませんが、あの日文字通り、“イメージへ飛び込んだ勇気”だけは忘れないでおきたいなと思います。
ありがとうございました!また!
株式会社シオン
ディレクター
山口耕平
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