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女神はさようならなんて言わない

<前回までのあらすじ>
 アイドル小説家に道を照らされ、本当に作家となってしまったぼく。アイドルと同じ地平を眺めたい一心で、陰鬱とした時代を乗り越えようともがいているうちに、推しの「かずみん」がグループからの卒業を発表してしまう……。

※一連の記事は下記マガジンに束ねています。https://note.com/sionic4029/m/mae74d1eb6131

新しい気持ち、新しい一歩

 首の皮一枚というのはこのことだ。

 ぼくはシングル曲『君に叱られた』のAmazon特典でついてきたデカジャケット(シングルレコードサイズにカットされたジャケ写)を額に入れて飾りながら、そう思った。

 本来なら9月末で卒業するはずのかずみんは、歌番組などの収録は無くなってしまい、放映される歌は生田絵梨花の卒業ソング『最後のTight Hug』にスライドした。かずみん卒業後に『君に叱られた』の裏センター位置は誰が務めるのだろうと思っていたら、その心配はなくなった。

 12月にリリースされる乃木坂46の10周年記念ベスト盤CDは、各メンバーの写真をジャケットにあしらった特別版が存在する。だが、かずみんは本来なら9月末には卒業しているのだから、そのバージョンは無い。まだグループにいるのに、いないことになっている商品が出てくる。こればっかりは仕方ないが、つらい。

 とはいえ「卒業は延期になってしまったのですが」という前置きつきの自己紹介であることさえ気にしなければ、クイズやバラエティ番組などで、引き続きかずみんの活躍を目にすることができた。

 東京ドームコンサートが、すなわちかずみんの卒業公演となる。なんとかチケットを当てて、送り出したい。馳せ参じたい。

 それに、祝花を送ることも忘れちゃいけない。今年の乃木坂46バースデーライブは配信だったけれども送ったし、今回も……。

お祝いのスタンド花などは、会場スペースの都合により、大変申し訳ありませんが受け取ることが出来ません。祝花は、大小に関わらず送らないようにお願いいたします。
(引用元)
https://www.nogizaka46.com/news/2021/11/462021-final.php

乃木坂46公式サイト

 ……ッ、会場スペースの都合!? そりゃドーム公演となると日本中から花が送られてきてしまうのだろうが、無念。

 こういう煮え切らない日々を、アイドル本人はどう送っているのだろう。
 10月からカラッと気持ちを切り替えて、新しい気持ちで生活を送れていたりするのだろうか?

 実はぼくは、役員をやっている会社とは別に、10月1日に新しい会社の登記を済ませていた。執筆や講演や顧問業などの仕事はこれまで個人の確定申告で雑所得扱いにしていたのだけれども、今後、法人格が無いと請けられない仕事も出てくることを予期してのことだ。

 せっかくだからかずみんの新しい一歩となる日と同じ日にしてしまえと、大雨の中、渋谷公会堂の裏にある法務局まで行ってきた。資本金10万円、登記税6万円。乃木坂の事務所と同じLLC(合同会社)にした。ちなみに、AmazonもiTunesも国内法人はLLCです。

 アイドルが新しい道を歩み始めるからって、合わせて会社設立するか?

 ってツッコミたくなるのが普通の人の感覚かもしれないが、これまで一連のドキュメントを読んできた人ならご理解いただけるはずで、同じ地平を見たくて作家になり、同じ握手をする職業だからと都知事選に出馬したのだから、同じ新しい日を迎えたくて会社くらい作ってしまうのは、とくに変なことではない。

 時を同じくして緊急事態宣言が解除されて、人出が戻ってきた。新型コロナウィルスの感染者数も、日々の自治体からの発表を見る限りでは落ち着いていた。

 街が新しい一歩を踏み出した、ように、感じた。

何度目の邂逅か?

 そんな折、ぼくにとって三回目の参加となる「乃木恋」のリアルイベントが開催されることになった。コロナ禍で開催が危ぶまれていたとはいえ、諦めずに入賞しておいてよかった。

 当日。前回と会場が変わったのだけれども、似たような貸し会場を備えたオフィスビルで、一度来たことのある建物だったので場所に迷うことはなかった。身分証の提示や荷物検査、コロナ予防の消毒などの手順を経て、ぼくは会場へと通された。

 前回と同じ20位だったけれど、今回の部屋では「3列目の一番端」だった。上手側。かずみんは、シングル表題曲において、ステージ上でのポジションは3列目の上手側を宛がわれることが多かった。アイドルとファンは、アクリル板を隔てて鏡の如く反転する。なんだか嬉しくなった。それに、出入り口にも一番近かったから、たぶんここからかずみんが入ってくる。

 周囲を見渡すと、前回、前々回と同じ顔ぶれが見つかった。皆、どんな気持ちで座って待っているのだろうか。

 出入り口からスッと気配がして、会場内の空気が一変する。

 アイドルが、いた。

 ステージ上で、全員マスクで声を出せないぼくたちファンを一人一人確かめるように見てから、少しずつ、言葉を探すようにして、かずみんは伝え始めた。

 開演前からかかっていたBGMは、CDアルバム『今が思い出になるまで』の曲が順番にかかっているだけで、かずみんにゆかりのある曲というわけでもなく、開演後もずっとその調子だった(※)。だから、かずみんはそれに気をとられてしまって言葉に詰まることがあった。

(※註:「これ誰の歌だっけ……」で会場が微妙な空気に。衛藤美彩の卒業ソング「もし君がいなければ」だったんだけれど、客席は基本的に声を上げられないのでいかんともしがたかった。前回もBGMが気になってかずみんが困っていたので、運営からのアンケートに当時意見を書いて送っておいたというのに!)

 卒業を発表する前もその後も、悩んでいたこと。以前から、卒業は絶対にコンサートをしたいと思っていたところ、コロナ禍で開催が危ぶまれ、色々な希望が叶ってきたとはいえ、最後の最後の希望は叶えられないのかと落ち込んでいたのだという。

 10月から乃木坂46としての仕事もほぼ組まれておらず、それでも在席しているので、メンバーへのアンケートなども回ってくる。今日の衣装も、ベスト盤のジャケットでメンバーそれぞれが好きな衣装を回答していたところ、かずみんが一番にしたのは今日着用したこの衣装なのだという。「でも他のだれもこれは選んでなかったんだけど」とはにかんだ。

 ぼくはこの衣装について記憶を探ったのだけれども、表題曲の衣装ではないし、カップリング曲に割り当てられた衣装やMVで使われた衣装でもなさそうで、正直、ちょっと混乱した。さっき貼ったインスタのコメント欄でも、ファンが狼狽している。

 ただ、二年ちょっと前の「だいたい全部展」の全衣装展示ではハンガーにかかっていた(そこだけ写真を撮ってよいエリアだったし、ネットを検索するとそれっぽいのが映ってる)はずなので、初期の頃の何らかのイベント衣装だろうと考えている。ファンとして情けない限り。

 かずみんが東京ドームコンサートのチケット抽選が当たった人は? と尋ねたところ、会場は微妙な空気に包まれた。SNSを見ても、とにかく当たっている人のほうが少なく、悲痛な叫びが投稿されてばかりの状況だったからだ。チケットを買えた人ですら、遠慮がちに小さく手を挙げる始末。その状況を見て、かずみんはなんと言葉をかけていいのか、少し戸惑っていた。優しい人だな、と思った。

「私は他のメンバーに比べてファンが少なくて、8~9割が昔からのファンの皆さんで、皆さん濃い方々なんですけれども、その1割の新しいファンの人たちに、もうアイドルとしての新しい姿は見せられないのが残念」と言った。そして握手会やイベントで出会うファンの人たちを色で表わすなら、と、かずみんは天井の電球を指した。暖かい色だと、そう言ってくれた。

 そして、乃木坂46時代としては最初で最後となる彼女のソロ曲が、コンサートに先駆けて、かずみんの歌唱で披露された。

『私の色』

 いま全てが重なり合って、やっと「かずみんの曲」として頭の中に固定された。

 MVや配信で聴いたときは、なんだかもう遠い人のような気がして、声さえ違って聞こえたのに。それはたぶん、かずみんの卒業ということに、ぼくが向き合えなかっただけなのだろう。

 人前で披露するのは初めてだという。コンサート当日はきっとうまく歌えないだろうから、と。

 それでも、ジムに通って体力づくりをしたり、喘息の薬が効いていて咳が出なくて済むようになったり、Switchのゲーム『マリオパーティ』で掌に水ぶくれができてしまったり、そんな日々を過ごして、来たるべき卒業コンサートに向けてのイメージを欠かさない。

 コロナを憎むことだけはしないようにしよう、と彼女は言った。

 ぼくは日々、ウィルスと人類との生存を懸けての戦いだと思っているし、憎しみという感情よりは、本能としていずれ駆逐せねばならず、一瞬でもそれを忘れれば全人類の勝利はないものと思っている。コロナ禍で、だからこそ、一日一日を憎むことなどなく過ごそうというかずみんの考えに、目が覚めるような気持ちになった。

 逡巡する想いがありつつ、結果、コンサートが11月下旬まで延期された。

 9月に開催するよりも世間が落ち着いた状況で迎えられることができそうでよかったと、そんなことを彼女は言った。

『失いたくないから』

 そして彼女が次に歌ったのは、これまでの日々やファンへの想いを載せたナンバー。乃木坂46『失いたくないから』。デビュー曲『ぐるぐるカーテン』のカップリング曲。

 秋元康作品の詩情は、シラフで聴き、歌詞カードで読むとこっぱずかしいのに、いざアイドルを前にその歌声が耳に届くと、自分に「無かった青春」が一瞬で脳内に構築されてしまう。

 かずみんの卒業ソング『私の色』では、あんなにも残酷だなと思った、そのプロデューサー・作詞家の作品なのに。

 アイドルがアイドルであることを、そしてアイドルであったことを遡って「言い当てる」かのように、かつて耳にした作品たちが襲いかかってくる。

 歌とトークのひとときが過ぎ、かずみんは出口で、名残惜しむかのように、入ってきたときと同じ、全てのファンの顔を確かめながら、ずっと手を振っていた。

 ぼくのほんとうにその目の前で、ずっと。

結果を示す言葉

 イベントの余韻が冷めやらぬうちに、モバイル会員先行抽選で落ち、メール会員先行抽選で落ち、一般販売の抽選では……

「ご用意することができませんでした」とか、努力したみたいに言ってくれるな。

 ……やはり落ちた。

 どうでもいいが「厳正な抽選の結果、チケットをご用意することができませんでした」ってちょっと変な文章だよね。「厳正な抽選の結果、落選となりました。従ってチケットは用意されません」ならわかるのだけれども。抽選の結果と、その後に発生する行動を繋げられても困る。落選というショッキングな言葉を避けたいのだろうけれど。抽選したのだから当選と落選があるのは普通だ。それを受け入れるくらいの度量はある(ない)。

 それに「ご用意することができませんでした」って言われると、用意への何らかの努力が成された後のことのように感じてしまうわけだけれど、おまえ、おれにチケットくれるつもりゼロなわけじゃん。抽選しただけだし。抽選した上で、おれをハズしたわけだし。

 しかしまだ希望はある。なにしろ2020年の乃木坂46バースデーライブは、「機材開放席」という僥倖があったのだからな。

 東京ドームくらい大きな会場で、コロナ対策で少なく見積もった座席割り当てだとするなら、世間の緩和具合から追加席を出してもおかしくない。それに、映画館で観るライブビューイングだって案内されていない。映画館は入場規制が解けて久しい。

 水色とピンクのスティックライトを持って、かずみんの卒業を送り出したい。

Next…

※この物語は、フィクションです。

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