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目には目、歯には歯、暴には暴。(映画『サユリ』感想)

最高の夏休み映画

 ホラー映画『サユリ』を観てきました…! 映画館を出てSNSに投稿したのがこれ。

 監督・白石晃士、原作(漫画)・押切蓮介。原作漫画は読了した状態でこの映画を観たのですが、映像化に伴う原作からの変更箇所もとても納得感があり、作品世界にさらなる広がりと意味を持たせていて、いわゆる「映像化に伴う原作改変」が議論のテーマとなってしまう昨今において、漫画ファンも納得の映像化ではないでしょうか?

 あらすじは公式サイトにある通りなんですが、予告編を観ていただいたほうがわかりやすいので、下記をどうぞ!

 この予告編、ほぼあらすじそのものです。中古住宅に引っ越してきた家族が怪異のために次々と命を落とし、残された少年と痴呆症から覚醒した祖母が怪異に復讐を試みる、という話。

 もちろんこの「復讐」がどうなるかは本作品の肝で、ここが痛快であるだけでなく、観客に生きている者としてその根源は何であるかをストレートに伝えてくるため、ホラー映画なのに(「なのに」という言い方は変かもしれませんが)謎の感動があります。

 そして、「怪異の正体・謂れ」はホラー映画で注目されるポイントではあるのですが、そこもわかりやすいため、ホラー作品にたまにある「因果が意味不明なので萎える」ということは一切ありません。この要素の劇中開示についても、怪異への復讐が成るや成らざるや!? というノリにノリまくったタイミングでサユリの過去が開陳されるので、「ぬおおおお! 心の置きどころに困るぅぅぅぅ!」となります。なりました。

 もちろん、きちんと劇中の理路に従った結末が用意されているので、「なんかよくわからんけど怪異や人間ドラマが有耶無耶にされてしまった…」となることはありません。おれがゲンナリする代表例は、ホラーだと思って観ていたらチュパカブラみたいな宇宙人が出てきて体育館に籠もって応戦するようなやつなんですが、そういうこともありません。

 頭から尻尾までギュッと詰まった海老天のような充実感。怖さ、エグさ、元気ハツラツ、やり場のない困惑からの劇中理路に沿ったしっかりとした着地。ホラー映画はジャンルとしてなかなかお勧めしづらいみたいなところありますが、本作はめっちゃオススメです。

 上映館も追加されたということで、過ぎゆく夏にどうぞ!

(ここからはネタバレを含みます)


白石晃士監督、ベストマッチ!

 白石晃士監督は、怪異に対して物理攻撃で対処するシーンが印象的なホラー作品を多く手掛けていて『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズ、劇場版『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』が顕著なんですけれども、『貞子VS伽椰子』も、『オカルトの森へようこそ! THE MOVIE』も、とにかく「暴」の匂いが漂っています。

 この『サユリ』についても、怪異に対して物理というか肉体を健全にし、生命力をアップすることで復讐を成していくんですが、霊力VS霊力ではない因果の鎮め方なのがめっちゃ良いです。

 考えてみれば私たち現実世界の住人は、霊なんてものも居ないし、社会というものを別にしたら、「力」という言葉の示すものはすなわち暴力なわけです。万一、超常的な現象によって私たちの肉体が傷つけられるという脅威が発生したとして、実際に頼れるのは権力や財力ではないですからね。実は暴力です。

 この、現実世界における物理的存在な私たちが行使できるのは暴力であるというリアリティと、作品世界でのリアリティが一致している。スクリーンの向こうでも暴力を駆使しなければならないんだな、というところが一致している。そういう心地よさがまずあるわけです。

 原作も、怪異への逆襲を表現したいというところから描かれたということなので、なんというか、こんなにベストマッチなことってあるんですね……。

 もしこの『サユリ』で初めて白石晃士監督作品を知ったのであれば、他の作品もサブスクなどで気軽に見られるので、是非体験してみてください!

案外原作と違う!?

 原作改変の良し悪しについてですが、この劇場版でも、かなりオリジナル要素が盛られているんですね。それでいて、原作を壊すことなくテーマやディテールをブーストしている、ざっと挙げると次のよう。

  • サユリの武器がバール
    →主人公家族を殺戮する武器として、九条家の人々を制裁する武器として、サユリが振るうのはこのバール。原作より物理攻撃に特化した印象があり、逆説的に主人公側が物理的・肉体的に対抗することが自然に感じられる。もちろん、サユリの過去回想において、バールの意味づけもきちんとされている。

  • 「命を濃く」するための食事やトレーニングに加えられた太極拳
    →太極拳は特訓に相応しく、かつモーションが大きい割に殴る蹴るではないので、静と動が織り交ぜられてメリハリがついている。太極(陰と陽)という概念も死者と生者のイメージにピッタリ。

  • 食事による状況描写
    →引越し蕎麦、鍋といった頂点から、スナック菓子、コンビニの菓子パンといった落ち込みがあり、また肉鍋へと登っていく。ストーリー進行に合わせた表現がとても良い。

  • 「元気ハツラツ!おま○こま○ま○」の掛け声
    →中学生男子の溢れる活力って、性衝動を源泉としている部分も確実にあるのだし、それに対してポジティブなのが良い。この性(生)への渇望が、ラストバトルでも効いてくる。そりゃちょっと好いてる女の子とおま○こしたいと思い浮かべたら無限のパワーが湧くよね。

  • 主人公家族、とくに姉と弟の死に方がより一層バイオレンスに
    →父親が死ぬ際、姉の部屋へ入って絶命するのだが、これがそうではないのにインセスト・タブーを思い起こさせる。もちろんサユリの過去が絡んでくる故の演出なんだけど、なんであんな雰囲気を醸せるんだ……。姉と弟の最期もとんでもなくホラー。原作だと怪異に取り込まれて死骸はラスト付近まで出てこないんですが、劇場版ではきちんと死ぬことで遺影が増える効果を生んでいる。

  • 霊媒師が登場して即退場する。祖母が探偵に調査依頼するカットがある。
    →どちらも無くてよさそうなのだけれども、ホラー映画に「怪しい霊媒師」は絶対に欠かせないし、祖母が九条家の人々の所在を知るのも探偵経由なら自然。しかも霊媒師は怪異に負けるのではなく、祖母に体術で負けてしまう。これも後半のトーンを統一するのに役立っている。もし怪異に殺される役なら、前半に登場していないとおかしいですからね。

  • こまめに警察が非常線を張って現場検証してくれる。
    →祖母が誘拐してきた九条家の人々のことについてそれほど咎められない顛末になるんですが、警察が不審死の連続発生に疑問を持ってとやかく言ってきたりしない作中世界の裏付けがそこまでの間でできているので、ご都合主義ではなくこの世界では当然のことに見える。

  • サユリの過去
    →原作よりも深堀りされており、前述したインセスト・タブー、性的虐待を受けていたという事実が表現されている。『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』も性暴力が怪異の根幹にあったし『オカルトの森へようこそ』にもカルト教団のくだりに性的虐待が出てきます。

  • 霊体ミミズ
    →サユリの怪異体を構成している触手群。たぶん白石晃士監督作品をマルチバースたらしめているのはこの霊体ミミズ。

  • ラストシーン
    →原作以上に爽やか。もし婆ちゃんが療養所から出てきてる日じゃなかったらぜったい二人、ヤッてんだろ!?

……とまあ、結構違うな!?と思うことは思うんですが、一つも改悪にあたる内容がないのに驚きです。原作を読み返してみると、思ったより原作のほうは物理的解決じゃなかった!? となる。不思議なもので、初めて原作を読んだときは、サユリの親族を誘拐してきて脅し返すという、「こんな対処の仕方があったのか!」って喜びみたいなものがあったんですが、映像化されてより一層「暴」の度合いが増していると、「これだよ、これ!」となってしまう面白さがありますね。エンタメに振るってことは、様々な要素をセックス、ドラッグ、バイオレンスへとどうやって言い換えていくかって話ですからね。

暴には暴

 ということで、感想というか、言いたかったことはもう書いてしまいました。いつも映画の感想となると長文になりがちなんですが、本作に関してはつまるところ「観て!」の一言に集約されてしまうから仕方が無い。

 余談ですが、ぼくは知らずのうちに白石晃士監督流の「怪異への処し方」を刷り込まれてしまっていて、最近別名義でホラー小説を書いたんですけど、怪異に対して主人公が何の衒いもなく物理で対抗してしまっているんですよね。影響が窺い知れる(笑)

(了)

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