出されたものは何でも『自分』と言う朝鮮人慰安婦 朴永心(パク・ヨンシム)
彼女の証言の多くが頻繁に変化しました。
自主的にポン引きについて行ったとの証言まであります。
また、彼女は『出されたものは何でも自分』と言う人だったようで、どう考えてもそれは違うだろうということまで自分と証言していました。
顔が明らかに彼女ではないヌード写真についても『自分の写真』だと言い、アメリカの National Archives の日本人捕虜の妊婦についても『自分だ』と言っていました。
https://twitter.com/jyoutani_kk/status/1640704910592442370
(騰越の写真館の裸婦写真の画像は、城谷さんがTwitterに投稿された画像をお借りしました。🙇🏻♀️)
しかし、彼女が自分自身だと述べていた National Archives の写真や、慰安婦の動画とされている映像では、中国軍の捕虜になる前も後も腹は割かれてはいませんでした。
朴永心(パク・ヨンシム)の証言履歴
彼女もコロコロ変化する証言を繰り返しています。
2002年5月 女性国際戦犯法廷の全記録
➡ 軍服を着た日本の巡査
2003年12月 戦場の『慰安婦』
➡ 店に赤い帽子を被り黒い制服を着た、恐ろしい顔の日本人の巡査
(軍服はどこ行った?)
2005年5月19日 証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集
➡ 憲兵に脅された
(巡査はどこ行った?)
『朝鮮人女性の人肉を食わされた』設定については、あまりにも嘘くさいと思ったのか、朝鮮新報「<日本の過去を告発する>『慰安婦』として連行された朴永心さん(83)」(https://chosonsinbo.com/jp/2005/05/sinbo_050519-4/) 以外の証言では見られませんでした。
翌年出版された『証言 未来への記憶 アジア『慰安婦』証言集』にもありませんでした。
中国軍第八部隊によって捕虜にされた女性は朴永心(パク・ヨンシム)ではない
『日本人捕虜の写真』としか書かれていないアメリカの National Archives (国立公文書館アメリカ国立公文書記録管理局)の写真を、朝鮮人慰安婦の写真だと言っている人の証拠としてよく使われているのが、米兵向けの新聞『ROUND UP』でした。
その ROUDND UP の記事によると、インタビューに答えた朝鮮人女性は1942年に慰安婦になっています。
しかし、朴永心(パク・ヨンシム)自身は1938年に慰安婦になったと証言しており、これも朴永心(パク・ヨンシム)がこの写真の女性ではないことの証明になっています。
また、朝鮮人慰安婦について書かれた公文書では、朴永心(パク・ヨンシム)が1938年に慰安婦になったと述べているのに対し、公文書では1939年に慰安婦になったことになっており、こちらも朴永心(パク・ヨンシム)とは別人です。
ちなみに、当時の朝鮮は日本と併合されていたため、国籍は『日本』でした。
しかし、理由はわからないですが、米国の公文書の大半は『朝鮮人』と『日本人』を区別していますので、『日本人』と書かれている人物の大半は、本当に日本人だったのだと思います。
彼女について、城谷さんがかなり詳しく情報を収集し、分析を行ってくださいっています。
さらに朴永心(パク・ヨンシム)の件についてお知りになりたい方は、城谷さんの作成された記事を御覧ください。🙇🏻♀️