義和団の乱の頃の写真
これは南京大虐殺の写真ではなく『義和団の乱』の頃の写真です。
処刑人はみな辮髪(清王朝の時代のヘアスタイル)で、西欧の兵士がいます。
中国人に辮髪が強制されていたのは1911年までで、1911年以降は辮髪の強制はなくなります。
中国人、特に漢民族は辮髪が大嫌いで僧侶になる人までいたので、辮髪の強制がなくなってからは、辮髪頭の中国人は激減しました。
写真にもそれがよく現れてて、処刑人や観客が辮髪かどうかは年代を判断する一助になります。
義和団の乱の時代に中国に大量の西欧の兵士がいるのは、『義和団』と言う新興カルト集団と清王朝が組んで外国勢力を排斥するために外国人やその施設に襲いかかって来たためで、自国民警護のために欧米諸国が中国に自国軍を駐留させたからです。
これも年代の判断材料になります。
南京大虐殺があったとされていた頃の南京には欧米の軍隊は多くなく、義和団の頃や上海爆撃の頃のような大量の外国の軍隊は見られません。
この時代はかなりの処刑が行われたようで、この頃の処刑斬首写真は他にもかなりあります。
ちなみに、義和団の乱の後、西欧諸国は清王朝+義和団との戦闘に勝利したので、清王朝に対して多額の賠償金を請求。
清王朝に対し、自国民保護のために軍隊を駐留させる約束を交わしたのでした。
(北京議定書)
ちなみに、日本は賠償金請求額は多くなくて控えめだったそうです。
(欧米は色々と容赦ないな。😑)
📓 南京大虐殺・731部隊・上海事変の捏造情報