LIFE紙の鉄条網の生首
これも時々見る写真です。
鉄条網の柱に乗っかってる生首で、口に何かを突っ込まれています。
これの出処は例の如く『LIFE紙』です。
(LIFE紙発多すぎ)
🔳 LIFE 1938年1月10日 (51ページ目)
この写真には記事がついてまして、その記事の日付が普通におかしいのであります。😑
(私の日本語もなんかおかしい)
LIFE紙に書かれてある英語は⬇です。👀
南京陥落の直前の12月14日、鉄条網に挟まれた持ち主が頑固な反日家であった中国人の首が、南京郊外の鉄条網に挟まっていた。
日本では12月12日に南京占領が祝われたが、それは凍えるような寒さの中でも良好な状態を保ったまま、13日、14日、15日と通しで征服者に向かって火を噴き続けた南京の方角を向いており、16日、上海の日本軍報道官は「南京が100%静かになったとは言えない。恐らくあと2、3日はかかるだろう "」と認めている。
時空のゆがみが発生しました。
日本軍の南京占領は12月13日です。😑
またしても時空のゆがみが発生しました。
日本軍の南京占領は12月13日です。😑
12月12日はまだ戦闘中で、しかも挹江門事件が発生したりして中国軍が自滅したりとど修羅場の真っ最中です。
南京入城パレードは12月17日です。😑
ところで、日本軍が南京に到達する前、南京戦の前の南京でも『漢奸』の処刑が行われていたようです。
(詳しくは⬇をご覧ください)
『漢奸(Hanjian)』とは『裏切り者(betrayer)』と言う意味で、当時の中国では処刑対象でした。
親日的な人々の多くが処刑されました。
日本に留学した中国人も処刑されたそうです。👀
当時の中国では、自国民への激しい粛清が行われていました。
(中国っていっつも粛清してんな 😑)
LIFE紙の記事では、日本軍の『どの部隊』が『いつ』『どこで』『誰を』殺害したのかなどの詳細情報はわかりません。
『南京郊外』で『日本軍』に処刑された『反日男性』と言うぼんやりとした情報のみです。
結局のところ、あの生首は誰が処刑したのかはわからないけど、日本叩きがムーブメントっぽいし日本人叩いても特に問題は起きないから日本軍のせいにしとけってのがホントのところなのだと思います。
(これが捏造情報に一々反論していったほうが良い理由です)