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調べればすぐにバレる嘘を言う金福童(キム・ボクドン)


少し調べればわかる嘘を長らく垂れ流し続けていた自称・慰安婦が、金福童(キム・ボクドン)です。


終戦後もシンガポールで軟禁?

彼女の証言の中で一番奇妙なのがこれです。

1994年3月 女性の人権アジア法廷
「女性の人権アジア法廷」「女性の人権」委員会編 明石書店

このようにただ戦争が中断したとだけ聞いたものですから、日本軍が降伏したということも知らないままで、国が解放されたのかどうかも秘密にされていたので、私たちにはわかりませんでした。
このようにして、八年を過ごしたのです。
解放された国に帰ることもできなかったのです。

第二次大戦後、日本軍は完全に撤退し、日本の代わりにイギリスがやってきてシンガポールを再植民地化しましたから、終戦後に彼女がシンガポールにいて数年間も軟禁状態にあったのだとしたら、イギリス軍がやったと言うことになります。🤡

2013年5月19日「沖縄タイムス」
金さんは14歳のころ旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と言われて連行され台湾、広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシアなど前線地で8年間、22歳になるまで慰安婦として従軍させられた。

『8年間』は沖縄タイムスなどの日本のメディアでも証言しています。

2013年5月20日「沖縄タイムス」
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。
アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。


ところが、これはおかしいと気がついた人から指摘があったことに気がついたのか、2015年のCNNのインタビューでは、期間が大幅に短縮され『5年間』になってしました。🤡

旧日本軍の性奴隷として扱われた1940年から5年間の悪夢は、今も鮮明によみがえるという。
「私の唯一の願いは、過去についての記録を正すことだけ」

自分の間違いに気がついて証言を変更しましたね。🤡
どうせどっちも嘘でしょうけど。🙄


書類の金福童は別人

ところで、この金福童(キム・ボクドン)と言う人については、証拠みたいなものが出てきています。

それがこれです。
(出典元:https://getnews.jp/archives/355483

反論用画像にも書いたのですが、上の文書には『南十陸病』『スマトラ係』『婦人 20 8 31』『金福童』『21才』と書かれてあります。

これをもって金福童(キム・ボクドン)が日本軍に居た証拠と言われていますが、『南十陸病』(南方軍第10陸軍病院)は、金福童(キム・ボクドン)が居たと証言している『陸軍15師団』の所属ではありません。

南方軍第10陸軍病院『陸軍第25軍』の所属です。
陸軍第25軍はスマトラ(インドネシア)で終戦を迎えています。
シンガポールではありません。🤡


洋公主 (ヤンコンジュ) 疑惑

他の自称・朝鮮人慰安婦の中にもいますが、金福童(キム・ボクドン)にも洋公主 (ヤンコンジュ)疑惑があります。

15、16歳の幼い頃、爆弾が降り注ぐところで生き延びました。
そのときは朝鮮でした。今は大韓民国です。

朝鮮に激しい爆撃が行われたのは朝鮮戦争時です。

フランスで鳴り響いた絶叫・・日本は謝りなさい
アジア経済(朝鮮語) 、2013年9月20日

慰安婦被害ハルモニらを代表して証言者になったキム・ボクトン、ハルモニ(88)は「朝鮮戦争当時 日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。
日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて」と話した。

朝鮮戦争時に日本軍は居ませんでした。
金福童(キム・ボクドン)の頭の中では、米軍と日本軍が入れ替わっています。🤡


とまあ、この金福童(キム・ボクドン)も非常に怪しい証言をし続けた人で、彼女の件については、日本側はしっかりと反論できるようになりたいですね。


📓 日韓併合時の捏造情報に対する反論資料集

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