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ぼんやりとした不安キャンセルしたい界隈

日々、ぼんやりとした不安に襲われている。
浅く激しい呼吸、空腹を満たすことで心を満たしたと感じる欺瞞、それを吐き出す罪悪感。
どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもなく、心が遠くなっていく。

芥川龍之介が語った「ぼんやりとした不安」中学生の頃の私は自分の気持ちを言語化されたことに嬉しく感じた。けれど同時にこんなぼやけた言葉でしか自身を言語化することができないのだと思った。
毎日ぼんやりとしている。精神科に行けずに、長い時間眠って、バイトなんて到底無理で、ぼんやりとしている。自己認識なんてものはとっくになくなった。
そもそもなかった。生まれた時からぼんやりしていた。風呂に入れなくてぼんやりする。手を繋いで風呂場まで連れて行かれて服を脱がされてやっとお風呂に入るけどどうにも頭を濡らすことですらできない。全裸でぼんやりしている滑稽な女子大生がそこにいるだけである。頭皮は水で洗うだけで60%は綺麗になるらしい。そんな言説を信じて洗うというより泡立てただけでお風呂に入ったと言い張る。

全然そう、今風に言うなら睡眠キャンセル界隈だとか風呂キャンセル界隈だとか労働キャンセル界隈だとかそれこそぼんやりとした不安キャンセルキャンセル界隈だとか結局はリタイアすることにごまかしの言葉をもとめている。しにたくはある。しねないのだと。あきらめるのことでしか、どうしようもないって何度も思い知らされている。

最近健常者でいるよりきち(自主規制)精神疾患でいる時間の方が人生の比率が多くなった。寛解どころか全く治らず。無駄に無駄に無駄に生きている。憎む人間なんていないのに、何もかもにくたらしくて、殺して欲しくて、でもそんなこと誰にもこぼせなくて、言葉を飲み込みすぎて体内がおかしくなっているとかそんなことであって欲しいと思う。
もうとっくに治らないのだと、もうとっくに全能感なんてものはなくなって、将来に対してのぼんやりとした不安が募って、動悸がして死にたくなって誰かに助けを乞うとその人に鬱がうつってしまって、鬱病はうつる。蔓延する。しかもそれがインフルエンザみたいに病原菌を特定できるわけじゃない。わたしだ。わたしがただいきながらえているのが悪いのだ。

死にたく思う。しねなくいきている。しにたくおもう。シンクに溜まった洗い物。洗濯機に詰まった洋服。髪の毛が落ちたフローリング。死にたく思う。
最後自炊した記憶は遠のいていて、死にたく思う。許されたく思う。死にたく思う。死ねないでいる。
結局死ねないで遠くを見つめて老いていく、知ってるよ。未来の私なんてものは、ぼんやりとした不安なんでしょう。

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