映画の感想を書くのは難しい
こんにちは、しおです。
いきなりですが、ぼくは映画が好きです。
この前ジュラシックワールドの最新作を見てきました。
ジュラシックワールドの最新作…
ジュラシックパークから観ていた(とは言え、ぼくは95年生まれなのでリアルタイムというわけにはいきませんでしたが)ので、感慨深いものがありますね。
パーク時代のキャスト、サム・ニールが出てくることは知っていましたが、いざスクリーンに映し出されると感動です。前述しましたがパーク時代はまだ生まれてなかった・生まれて間もなかったので、リアルタイム視聴が叶わなかったこともあり、スクリーンに出ているグラント博士・サトラー博士には鳥肌が立ちました。
他にも前作に続きイアン・マルコム、ヘンリー・ウーと、ファンの心を掴むキャスト陣。
作り手のこだわりが伺えますね。
また細かいところですが、パーク時代の登場人物たちの服装は、パーク1の服装を意識してますよね。ファンの事をよくわかってやがるぜ…
ジュラシックワールドの話はさておき、
最近ではAmazonプライムで「オールド」という映画、以前から観たいと思っていて観ていなかった「トゥームレイダー」の最新作を観ました。
トゥームレイダーはゲームも旧作の映画も体験済です。冒険アドベンチャーもので、少年の心を持つ筆者はいつもワクワクしながらゲームをしたり、映画を観たりしてました。今回の「トゥームレイダー ファーストミッション」も個人的には好きな映画です。
オールドは、
「夏だし、ホラー映画でも観るか~」
と思ってAmazonプライムで”ホラー”で検索。
すると、最初になぜか「千鳥の相席食堂」が上がってくるのですが、あれはぼくの趣味嗜好に合わせて表示されているのか、単なるジャンルの振り分けミスなのか、ある意味ホラーでした。他にもアニメのジョジョが上がってきます。謎のジャンルになりつつあるホラー。
アマゾンさん、ちゃんとジャンル振り分けよう…と思いながら、探します。
そんななか、オールドという作品が見つかりました。
キレイなビーチのサムネイル画像に目を引かれました。ただよく見ると…(実際に見てみてください)。
あらすじすら読まずに視聴開始。
個人的にあらすじすらネタバレだと思うのですが、皆はそんなことないんですかね。
ここでは内容については言及しませんが、観てよかったです。びっくり系のホラーを求めて探していましたが、そんなこともなく、良い意味で裏切られた作品でした。確かにツッコミどころはあると思いますが、個人的には好きです。
と、最近はいろいろ観てましたが、皆さんは映画の感想で気を付けていることはあるでしょうか?
「映画の感想」を話すうえで
ぼくは映画の感想を話す時に、表面的なことしか話せないのがどうも苦手です。
そもそも感想文が苦手なのかもしれませんが。
映画の感想はやはりネタバレに注意する関係上、感想が浅くなりがちです。実際、Twitterでも「○○観た。最高だった」だとか「良かった」だとか、そんな程度の感想しか呟きません。
「ライターのくせにずいぶん浅い感想だな」と思う人もいるかもしれませんが、ネタバレなしに書こうと思うと「あれもだめ、これもだめ」な八方塞がり状態になります。
最終的に、「Twitterだしなんでもいいか」となってさっきの「最高!」的な感想になります。
投稿までに数十分考えた挙句、「最高!」
これは自分でもあまりにも浅いな、と思ったのですが、
まあ聞いてください。
言葉にした瞬間、陳腐化する感想
感想とは、言葉の通り、「想った感じ」です。
感じること・想うことは人それぞれなので、何を書いても良いわけです。
でも見たもの、感じたものを言葉にすると、なんだか陳腐化してしまう気がするのです。
別にこれは感想を書いたり、言ったりする人が悪いと言いたいわけではありません。実際ぼくもこのnoteで映画の感想を書いていますし。
じゃあ何が言いたいのか、というと、感情や感覚を表現するには、完全に一致する言葉がないから代用するしかなく、そうなると浅い表現になりがち、ということです。
しかしこれはライターとしてはあまり言ってはいけないことだと思います。
言葉を扱う仕事ならば、近しい表現でもなんでも、自分の気持ちや感情を100%に近い状態で届けることが求められます。
でもぼくはライターでも感想を書くことが苦手な人もいると声を大にして言いたいです。
そうです、”陳腐化する~”なんてカッコつけて言いましたが、要は感想文が苦手なだけです。
学生時代の読書感想文も、うまく書けていた記憶がまるでありません。
今思えば感想は人それぞれだから自由に書きたいことを書けばいい、と思いますが、自由に、と言われると余計にわからなくなりますよね。
うちの両親の会話を思い出します。
「自由に」「何でもいい」は、言った方に悪気はなくても、言われた方が一番困るやつです。
最近は成長したのか、感想文と言われてもすらすら書けますが(ライターとしては当たり前かもしれない…)、当時は「この感情を言い表す単語が日本語にはない!」とそれっぽい言い訳をしていました。
その言い訳の仕方はもしかしたら変わっていないのか、ぼくは映画の感想を求められた時に思います。
映画の感想だけでなく、音楽ライブの感想、マンガの感想、食事の感想…エトセトラ。
自分の肌身で感じて、味わった想いは、どうやら言葉にするのが難しいようです。
食事はちょっと違うかもしれませんが、おいしいものを食べたときに、「おいしい」しか感想が出てこないのはどうかと毎度考えてしまいます。
おいしい以上の感想があるのに、伝えられないことにもどかしさを覚えます。
でもわざわざテレビの食レポのように「身がぷりぷり!」「外はカリカリ、中はふわふわだね」なんて言うのも変な感じがしませんか。
テレビでは情報を伝えることが主な仕事なので、その感想は正解だと思うのですが、普段の食事で「宝石箱や~!」なんて言っても”おいしさ”は伝わらないと思います。
ぼくは大学で「日本語」について勉強していました。
ルーツすら5つくらいある日本語(まだ研究段階らしいです)。
複雑な言語・便利な言葉で、フランスでは「故郷の哀愁感」を言い表す単語がないらしいです。
日本語でならなんとなく伝わると思うのですが、その”なんとなく”もどうやら日本特有の感想だと思うと、言語の壁・文化の壁は思っている以上に厚く感じます。
まとめ的な
感想を口にすると、その時の感情は陳腐化する、という話をしました。
でもあなたは好きなように感想を言いましょう。他人に迷惑を掛けないように。迷惑を掛けたら謝りましょう。
この文章も誰かを不快にしたかもしれないので、すみません。
まあこのnoteも、ぼくの感想なのであしからず。
ライブ感のある体験や体感は、言葉にすることが難しいなと感じた昨今。
レポートやルポとはまた違う感想は、何を書いても自由という反面、何を書いても自分の感情に当てはまる言葉がないような気がして、こんなnoteを書いてしまいました。
自分の感情は言葉にせずに、心の奥にしまいこんでおいても悪くないなと思います。
ところで、このnoteはどう思いましたか。
みなさん自由にコメントしてください。自由にね。
おわり