専門家という人の意見だけを鵜呑みにはしてはいけない
この世界には多くの専門家がいる。
同時に多くの専門家ではない人がいる。
でもそれって境界線がすごく曖昧だ。
何をもって専門家というのか、何をもって素人というのか。
あとその専門家の言うことって、全部正しいのか?
いろいろ思うところがあったので、話していく。
専門家とは?
専門家というのは、何かの分野に秀でた人のことだ。
例えばぼくならライターということで文章を書く専門家といえばそうかもしれない。
でもそんなことを言ったって、ぼくより文章が上手い人なんて五万といるし、ライターが文章を書く専門家というのはまた少し違う。
ライターは自分の言葉というより、世間のニーズ、読者のことを考えて文章を推敲していく。取材なども行う人もいるので聞く力、聞き出す力の専門家とも言えるかもしれないし、マーケティングの要素も多いのでマーケティングの専門家とも言える。
一方で、文章を書かない日もあるし、語弊を恐れずに言うのなら、文章が上手くなくてもポイントを抑えていれば誰でも書けるものもある。
ライターといっても様々な人がいるし、それこそ文章を書く専門家というのなら「作家」「脚本家」もそれにあたる。言ってしまえば「作詞家」「シナリオライター」「コピーライター」「編集者」「漫画家」「放送作家」だって文章を書く専門家と言えるだろう。
つまり専門家というのはより細分化された分野でのトップの人のことを指すのだと思う。
自称専門家はわりと多い
でも専門家っていう人って割と多くないか?
それこそ細分化された分野で、秀でた人間というのなら多くて当たり前なんだけど。
そういうことではなくて。
自称専門家がSNSやWeb上にたくさんいる。これが問題だと思う。
ぼくはよく「インプットとアウトプットが大事だ」と言われてきたし、それには肯定的だけど、「何からインプットして、どこにアウトプットするのか」も今の時代すごく大事だと思う。
例えばSNSなら自称「月給100万円達成」とか、「ネットやSNSだけで稼いでます!(きらきら)」みたいな人が多い。
たいがい嘘だ。
じゃあなんでこんな嘘を言うのかと言えば、「その人が言ったものなら専門性が高くて信頼できる」と思わせるためだ。(その裏にはもっと色んな思惑があるだろうが)
そういう人たちの言葉をインプットしても仕方ない。
じゃあその専門家の尺度というか、見極めはどうしたらいいのか。
少なくともその人の言うことは半分程度に聞いておいて、別の色んな人の意見を比べて、鑑みてみるべきだろう。
常に1人の意見を聴いて、すごいすごいと敬っている状況というのは依存的で危険だ。
依存的な専門家もいるだろうが、専門家に依存してしまうのは危ない。
専門家の話を聞いても一旦落ち着こう
例えば医療の現場ではセカンドオピニオンという言葉がある。
セカンドオピニオン(英: Second opinion)とは、よりよい決断をするために、当事者以外の専門的な知識を持った第三者に求める「意見」、または「意見を求める行為」のことである。
医療現場では主治医以外の人の第3者の専門家の意見を求めることだが、こういった行動をぼくらは普段の生活から意識していないといけない。
よく営業や、その場で売り上げや契約などを結び付けたい人、さらに言えばマルチ商法を行っている人が使う言葉がある。
・「今やらないと」
・「他人は批判しかしませんよ」
という言葉達だ。
特にこういった場では親を引き合いに出される。
「親に相談しても反対されるだけですよ」
確かに一理ある。
親は子供のことになるとどうしても保守的になるから、良くも悪くも「安定」を求めてしまう。子供の突拍子もない言動には慎重な意見を言うのだ。
だから親のことは無視して、「今あなたが決めなければ何も変わらない」というのだ。
いささか話が飛躍しすぎだが、現実、こういって聴いている側を焦らせる場合は多い。
しかも大概そういう話は、表面上「都合良い話」であったり、聞いている方が「おいしい」と思えるような話しかしていない場合が多く、そういう話を聞くと人は「すげえ」と興奮状態になることがままある。
でもそこで一旦落ち着けるかどうかがカギだ。
いくらその分野に秀でた人の言うことであっても、その場で判断したり、むやみやたらに鵜吞みにしちゃいけない。
専門家だって間違えるし、未来はわからん
例えば「ホンマでっか!?TV」というバラエティー番組がある。
ざっくり言うと、いろんな教授や専門家などが情報を話し、聞いているゲストなどが反応する、とそんな番組だ。
あれはエンディングに『「ホンマでっか!?」という気持ちで見てください』というテロップが表示される。
テレビ的にはコンプライアンスを重視しての配慮ではあろうが、でも実際テレビの先生方も間違っていることもあるはずだ。
少なくとも間違っていることは「絶対ない」とは言いきれないだろう。
今の研究段階ではそうであって、これからさらに科学や技術が進化したら、全く違う結論になるとも限らない。
研究結果は「”今”は絶対に合っている」のかもしれないが、未来がどうなるのかは誰にも予測できない。
色んな人の意見を聞いたうえで、自分なりに考えて判断する
勘違いしてほしくないが、なんでも疑えといっているのではない。
ある程度信用、信頼は必要だし、
「医者にインフルエンザって言われたけど、絶対違うし!」
というのは根性論でもなくただのバカだ。
相当なやぶ医者でもない限り、インフルエンザか風邪かの区別はつくだろう。
でもその医者がTwitterで「医者です」と名乗っているだけで、
ある日「あー体の調子が悪いなあー」と呟いたら
DMでいきなり「あなたはコロナですね」と言われたら「それは違うだろ」と疑うだろう。
疑うというか、「は?なにいってんだこいつ。」となるはずだ。
つまり情報もどこでアウトプットするかが非常に大事だ。
医者が医師免許を持っていて、病院にいて、多くの患者を診ていて、いろんな医療機器があるから信じられるんじゃないだろうか。
ネット上でいきなり「あー君コロナだねー」と言われても無理がある。
何をもってコロナなんですか?と聞き返してやれ。
つまり、そういうことだ。
日常生活において、「どこで発信していて、何を言っていて、どういう実績がある人」なのか、またそれはその人だけが言っていることではなくて、ちゃんとしたソースや目に見える証拠や、どういった他の人が支持しているのか(いわゆる口コミ)を確認するべきだ。
そのうえでその人の意見を自分なりに考えて判断する。
これがベストだと思うし、そうして欲しい。
ニュースやメディアでもそうだ。教師や上司や会社や国や政府の話でもそうだ。
ぼくの書いている文章だって、本当かどうかなんてわからないぞ。自分が思ったことや体験した話しかしていないけど、だからこそ間違ったことも言ってしまっているかもしれない。その時は素直に謝る。
どこでインプットして、どこにアウトプットするか
どういう情報を、どういう人から集めるのか。
どこに向けて発信して、なにを基に情報を出すのか。
専門家や先生、大人の意見だけを鵜呑みにはしない方が良い。多くの人の話を聞いて、総合的に判断しよう。
結局みんな経験したことしか知らないんだから。
あとは専門家の人は慢心してはいけない。
ぼくもBUMP OF CHICKENというバンドが好きで、詳しい自信はある。
でもぼくより詳しい人はたくさんいるだろう。
他にも詳しいものはたくさんあるが、それで1番になれるかと言えばどうだろうか。
ぼくらは得意な分野であったとしても、そこには絶対に上がいるということを忘れてはいけないんだと思う。
だからいつでも謙虚でいる必要がある。
仮にどんな実績があっても、仮にどんなにその分野に詳しくても、ぼくらは知らないことのほうが多いんだから。
色んな人の意見を聞いたうえで、自分なりに考えて判断する。
ぼくは広い視野で物事を見て、判断していきたい。