アウトプットする勇気
アウトプットするのには勇気がいると思う。
こんな言葉を書いて良いのだろうか?
こんな作品アップして、批判がきたらどうしよう。
私より上手い人、たくさんいるしな...
ぼくも常々こういったことと格闘している。
SNSで短文を打つ時でさえそうだ。
アウトプットするってなかなかすごいことだと思う。
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今は受信も発信も多くなった。
その分インプットの量も増えたし、選択肢もかなり広がった。
アウトプットもしやすい時代だ。
SNSで発信することも1つのアウトプットだとぼくは思っている。
今でも多くの人が文章に限らず、マンガ、イラスト、写真、動画などを載せている。
プラットフォームによってそれぞれ発信されている物や情報も違うから、いろいろなSNSやメディアを駆使している人もいるだろう。
ぼくもnote,Twitterに限らず様々な部分から情報を集めているが、果たしてどれほど発信出来ているか考える。
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ぼくはなるべく多くの文章を発信したいと思っている。
けれどそこにはやっぱり勇気がいる。
noteももちろん、Twitter、ブログ...全部に勇気がいる。
デジタルタトゥーという言葉があるように、今やすべての発信はどこかに残り続ける。
そう思うと、発信するのも、なんだろう、ちょっとだけ勇気がいる。
でもアウトプットしないという選択肢はない。
インプットが重要なように、アウトプットも重要だ。
どっちが重要という話ではなく、インプットとアウトプットの繰り返しが重要だと思う。
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インプットとアウトプットの繰り返しにより、人は学習する。
インプットは自分で学習しようと思わなくても、今の時代、ガンガン情報が流れ込んでくる。
あとは自分がしたいようなアウトプットをしたら良いわけだけど、話は冒頭に戻って、やっぱりそこで1つの勇気がいる。
批判されないか、否定されないか...
そういった心配でアウトプットを抵抗してしまったり、「そもそもどうやってアウトプットしたらよいかわからない」という人もいるだろう。
ちょっと前に「嫌われる勇気」というアドラー心理学の本が流行った。今でも書店に平積みされたり、コーナーに並ぶことが多々ある、今や有名な本だ。
アウトプットすることに困るという人は、総じて「嫌われたくない」というような気持があるように思える。だから一度考え方を変えたり、別の視点を持つことができるように読んでみても良いと思う。違う考え方や視点を持つと、アウトプットも何となくできるようになると思うのだ。
「嫌われても良いから、発信するか」くらいに思えたらベストだ。
(ぼくはそれでも、なるべくなら嫌われたくはないけど。)
ぼくは常に新しいことをしようと思っている。
今年25歳になったタイミングで、ぼくは何も成し得ていないことに気が付いた。(会社でどうとかではなく、個人で)
というか焦っている。
焦ってもどうにもならないという、どこか俯瞰的に、客観的に見ている自分もいたりするが、それでも何かしないといけない。
社会人1年目から色んなことをやってきたが、別にどれも成功していない。
今はnoteで書きたいことをただひたすらに書いている。
本当はマーケティングを意識して、読み手のニーズに合った文章や情報を提供するべきだとは思っている。
でも、ここは息抜きの場として、書きたいことを書くと決めた。
アウトプットなんて、最初はそんな精神でやっていいと思う。
要は「アウトプットする癖」をまずつけられるかどうかだ。
その癖をつけるまではSNSで写真をUPし続けるだけでも大分違う。
まずは気楽にやろう。
ぼくはアウトプットする人が好きだ。
ぼくの好きな人も「アウトプットする人が好き」と言っていた。
これはある種、「行動する人」を指しているのかもしれない。
以前に「運が良いという人は、実際は行動もしている」という話をブログの方で書いた(今は消してしまった)が、「行動」は「運」をも引き込むと思う。
というか、「行動」しないと「インプット」できない。
したいことが見つからない人は、動いていない場合が多いと聞く。
ぼくも大学生の頃、自分が何をしたいかとか分からずに就職活動で苦労した思い出がある。
大学生の頃は遊んでばかりで、自分が何をしたいかなんて考えもしなかった。
だから情報を受け取れるだけ受け取って、その情報が自分に合っているのか、その情報が正しいのか、そういった情報の研磨をしてこなかった。
行動をしていなかったからこそ、自分がどうしたいとか、どうなりたいとか、何が得意なのかだとか、好きなのかだとかいったことが分かっていなかったんだ。
「自分探しをしろ」とかっていう話じゃない。
要はインプットとアウトプットを繰り返すことで、得意なことだとか、好きなことも磨かれていくんだと思う。
その中でしたいと思えるようなことをするのがベストなんじゃないだろうか。
「はじまったら、はじまった時にわかるよ」
「はじめなきゃ、何もわからない」
そういうことだと思う。