こざかしい“言葉たち”
働き始めて、約9ヶ月。日々の仕事にも慣れてきて、任してもらえるものも多くなり、それなりに充実感を感じる今日この頃。諸先輩との圧倒的なスキルの差を痛感する中で、頑張ろうとしているわけであるが。
親しい人に、私の文章は「こざかしくて回りくどい」というようなことを言われた。もちろん、あけすけに話してくれているからこその言葉で、「なるほどなぁ…」と思いつつ、少ししょんぼり。
私の文章の良さは、そのめんどくささにある(自分で言うな)とも思うけれど、伝わらなければそれはただの文字の羅列に過ぎない。
「伝える」に酔いしれて、「伝わる」に意識が向けられていないのかもしれないな、と反省。もっと勉強して、経験を積まなければなと思った。
「伝わる言葉」というのは、至極シンプルに構成されている。そのことを今一度、胸に刻まねばなるまい。がんばれ、わたし!(決意のnote)
…でも、思えば私は何かにつけて、無意味に(その時は必要なものとして)形容したがったり、着飾る傾向はある。未だに心のどこかで「何者かになりたい」、そんな野心を持っている。
自分の実力をはるかに超えた理想像を青写真に描くのに願望を連ねるばかりで、ろくに努力ももしない。結果もちろん、そうなれない自分を嫌悪し、性懲りも無く落ち込む。
わたしには「身の丈を知る」という処世術が備わっていないのではないか、と半ば絶望する。風呂敷だけ広げて、そこでただ寝てるだけでは、何も始まらないのも当然である。ろくに努力もしないのに、屁理屈を並べ立てて自分を正当化しようとするのは、本当に悪いクセだ。
…そんなことを考えてまた悶々とする。やりたいことはいろいろある。やる気だけが置いてきぼり。そのやる気をひっぱり起こして、素直な気持ちでいろんな物事に向き合いたいと考えるのだった。
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