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第5回「瀬名奪還作戦」【大河初心者&松本潤オタクのどうする家康感想日記】

大河初心者の松本潤オタクによる感想日記第5回です。ギリギリだし、普通に楽しかった、みたいな感想しかかけなさそうなので、今回は死ぬほどライトです(笑)

▼第1回はこちら

https://note.com/sio_oitoma/n/n26b15a64f454


第5話あらすじ

元康(松本潤)は、駿府に捉えられている瀬名(有村架純)を取り戻そうと決意。家臣たちの反対を押し切り、イカサマ師と呼ばれ嫌われている本田正信(松山ケンイチ)の妙案に望みを託す。正信は、伊賀忍者の服部一党を使い奪還作戦を立てるが、頭領の服部半蔵(山田孝之)は過去の失敗ですっかり自信を失って…。
「どうする家康」HPより

感想

今回は、本田正信と服部一党にスポットが当てられていた。

シンプルに、
松山ケンイチと山田孝之、強い。

繊細だけど大胆で、ポップだけどシリアス…そんな複雑な感情が見事に演技にのっていた。
これに限るし、これ以上言う必要ないくらいの回だった気がする。主役食われる勢い…!笑

と、ここで終わってもいいけど、どうせなので、なんか調べて記録しておきます…(笑)
なるほどと思った部分に

"服部半蔵"(史実)について

「服部半蔵」という名前は、あまりにも有名だけれど、私はこれはその人物を表していると思っていた。「石川五右衛門」的な。そうではなく、服部半蔵という名は特定のひとりを指す名称ではなく、服部家の当主が代々名乗る通称ということが、まず、最初の気づき。

服部半蔵の略歴はこちら。

服部半蔵正成は、1542年(天文11年)、三河国伊賀(現在の愛知県岡崎市)で服部保長の五男として誕生。のちに仕えることになる徳川家康も同年に岡崎城にて誕生。2人は同年齢ということになります。服部半蔵正成は、「初年より筋骨健やかに力も尋常ならず候」であったと伝えられ、幼い頃から力持ちの健康児としてのびのびと育っていたようです。

7歳になると両親は服部半蔵正成を寺に修行に出すことを決めました。これは仏教の言葉に「一子出家すれば九族天に生ず」という言葉があり、子どものひとりが出家すれば、一族が仏による救済を受けられると考えられていたためでした。

服部半蔵正成は、松平家の菩提寺(ぼだいじ:先祖代々の墓が建ち、法要を営む寺)「大樹寺」(だいじゅじ)に預けられ、坊主修行を開始。

しかし、力のあり余っていた服部半蔵正成にとって坊主の修行は退屈であり、両親に「出家は嫌だ」と訴えるようになります。両親がこの願いを聞き入れなかったので、憤りを感じた服部半蔵正成は、寺から逃走。激怒した両親から服部半蔵正成は勘当されることになりました。

そんな行き場のなくなった服部半蔵正成を救ったのが4人の兄達。両親に勘当されたものの、弟を愛する兄達に匿われた服部半蔵正成は、その後7年間、一人前の侍になるべく鍛錬に励んでいたと言われています。


時が経ち、父からの許しを得た服部半蔵正成は16歳にして、初陣を果たします。徳川家康側の伊賀衆の一員として兄達と共に三河上郷城(かみのごうじょう:現在の愛知県豊田市大野瀬町)の夜襲に参加。城主である「鵜殿長持」(うどのながもち)と戦いました。服部半蔵正成はこの戦いで、鵜殿長持の子である「鵜殿長照」(うどのながてる)を討ち取ります。

初陣にして戦功を挙げたことに徳川家康は感心し、服部半蔵正成は褒美として槍を拝賜。徳川家康より「汝の眼光、只者にあらず」と言葉をかけられ、服部半蔵正成は徳川家康に対して目見(めみえ:領主や将軍と対面できる身分)の立場となりました。
引用:https://www.touken-world.jp/tips/52404/


…?!?!そりゃ、「服部半蔵」の物語、作りたくなりますわ…となるキャラだて……。好きになるよこれは……。()

てなわけで、明日も楽しみです…!

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