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この人生は、うっすら死にたい。(いつも)
死にたい、とか言えていたのは中学生時代くらいまでな気がする。
周りもどこまで本気かわからない、どこまで本気なのかと少し探り合うように、死にたいよねと言い合えていた。
笑いながら、冗談交じりに、相談の入り口としての役割になったこともあったかな、分厚く一晩かけて書いたポエムのような手紙の中に在ったりもした。
大人になって、関わる人も変わったり、家族ができたり、子供ができたり…
単純に言えば『責任』を意識しなければいけなくなった、ということからだろうか
死にたい、なんて言わなくなった、言えなくなった、聞かなくもなった。
でも、思わなくもなった、のだろうか。
自分だけの視点で言えば、全力のNO。
めちゃくちゃ思ってる。
え、生きてるのってすんごいしんどくて、どうしようもなくて、どうにもできないことばっかりで、辞めたくてもやめられなくて、
死にたいよ普通に。え?
もう誰もそんなこと言わないし、もちろんこの口からも発さないけどね。
だから書くね、ここに。
前向きに生きる方法を探したり、学ぼうとしたり、生活を楽しむことに集中したり、いろいろやってみてるの。
でもねやっぱり、うっすら死にたい。いつも。ずっと。
残しておくね、ここに。