仕事でカンヌに毎年行ってたけど今思い出すのは些細なことばかり
フランスのカンヌには仕事で20回ほど行った。
パリとは全く雰囲気の違う南仏のリゾート地だけれど、ここにはカンヌ映画祭でも有名な巨大イベント会場があり、イベント開催中は街の中心地がそこで行われるイベントに参加する人たちで溢れかえる。私が年に2回出張で行っていたのもこの会場で行われる見本市のためで、そこには世界各国から同業者が集まっていた。
アメリカ文化と街ブラ旅が好きな私は、その対極とも言えるフランスのリゾート地にはあまりトキメキを感じなかったのだけど、それでも行ってみると、海岸線沿いに建ち並ぶ真っ白なホテル群と紺碧の地中海、そこに停泊するヨットや丘へ続く石畳の道などを見て「あーなるほどこれが南仏か」と感動した。
初めの数回は慣れない上に上司や取引先の人たちのアテンド通訳という形で行っていたので、とにかく目まぐるしかった。見本市が始まると3日間、朝から夕方まで飲み物を買う間もないくらいのペースで巨大な会場内を案内したりミーティングの通訳をしたりし、夜になると近くに予約していたレストランで会食の通訳。
日本人だけの時は全員分のオーダーをする程度で済むが、海外のクライアントも同席している場合はテーブルにいる全員分の通訳をしなければならないので自分の料理にほとんど手をつけられずに終わることもあった。
海岸を臨む会場から歩いて5分ほどのところにあるシーフードレストランには毎回行った。名物は生牡蠣とエビ、その他の新鮮な貝類が山盛り載った「シーフードプラッター」で、生の魚介類に目がない日本人や韓国人のビジネスマンでいつも賑わっていた。
上司たちが生牡蠣を白ワインで流し込み、楽しそうにホテルに帰って行くと、私はコンビニで缶ビールとおつまみを買い、部屋で日本から持参したお笑い番組のDVDを見てリラックスしてから眠りにつくのがルーティーンだった。
数年経ち、昇進するとアテンド通訳は若手の仕事になった。仕事にも会場にも慣れた私は、自分でアポを取ったミーティングに一人でまわり、時々会場のバルコニーから地中海を眺めて休憩したり、夜は仲良くなった海外の同業者たちとお気に入りのレストランで仕事やプライベートの話をあれこれお喋りするようになった。
また期間中、大手企業はボートを借りてそこでシャンパンとおつまみ片手に商談したり、夜はビーチで盛大にパーティを開いたりしていて、時々誘われることもあった。一度ビーチパーティに行って朝まで飲んだくれたこともあるが、翌日の体力がもたないし結局ホテルで缶ビールとお笑いDVDの方が性に合っているので、それ以降参加することはなかった。
これはどの出張や旅の時もそうなのだけど、朝、時間通りに起きて無事家を出て、空港行きのリムジンバスに乗り込んだところで、気が小さい私はようやくホッとする。
その頃にはありがたい事にビジネスクラスを取ってもらえるようになっていたので、余裕を持って出てラウンジでビールを呑み、機内でシャンパンを呑み、美味しい機内食をゆっくり食べて、電話もネットも繋がらない(当時は)空間で息抜きをするのが出張のひとつの楽しみだった。(ビジネスやファーストに乗り慣れた人たちはこういったサービスをあまり利用しないらしいけど、私はここぞとばかりに利用。)
ニース空港で降りて、タクシーで40分ほどかけてカンヌまで行く。夜到着のフライトなので、ホテルに着く頃には21時をまわっていることも多かった。
期間中、会場から徒歩圏内のホテルは高騰し短期滞在では予約も取れないため、会場からシャトルで10分ほどのところにある大きなリゾートアパートメントが定宿だった。これがヨーロッパのホテルによくある、夜はフロントに人がいないので門のところで電話して解錠のパスコードを教えてもらい自力で部屋まで行くという形式だった。
巨大な敷地を入り口から部屋まで歩いて10分近くかかることもあり、しかも廊下の電気は10秒くらいで自動消灯するタイプなので、ひとけのない真っ暗な廊下の一部に灯りをつけては進み、また次の灯りをつけては進みを繰り返す。怖がりの私はこれがとても苦手で、何気に毎回憂鬱だった。しかもファミリー向けのアパートメントホテルなのでひとり部屋なのに簡素な小部屋がいくつかついていて、これも夜怖くて嫌だった。こんなんで旅好きとはよく言ったもんだと自分でも思う。
今では何でもオンラインでやり取り出来るし、安くはない参加費を払って年2回もこのイベントに参加することの意義も変わってきていると思うのだけど、毎年会場で世界各国から集まる大勢の同業者たちを見るだけでもとても面白かった。メールや電話でしかやり取りしたことのない取引先の相手と対面して話すことで、今までビジネスライクだった関係性にも彩りが加わった。
そして何より、いろんな人たちがそれぞれに主張しながらごっちゃに交流している環境にひとりで身を置くことが、東京での激務と中間管理職のストレスから離れて、いつもの自分に対する固定概念を捨て自分らしく過ごすことが出来る貴重な時間になっていた。
2004-2014 おわり