POI申請を愉しむ⑥
やや間延びしてましたが、昭和初期関連の話を…このシリーズの初期に書きかけたものになります。実はネタが結構増えてしまって、忘れないうちに書かないと絶対ヤバいと気がつきました。人間、半年もすると色々忘れ始めますね(反省
さて、今日はこの人物の話をします。こちらの山頂にある巨岩もメインテーマです。望月圭介は芸予諸島に浮かぶ大崎上島の出身で、13回も国会議員に当選した人物、いわゆる党人でした。
色んな総理大臣・閣僚のお父さんあたりを若い頃から面倒見てたりして、なかなか眼が肥えてられたようです。開成高校を出てるんで超エリートやんけ!って思うんですけど、それでもなお大学を出ずに国会議員になるのは大変だったとか。
さて、巨岩に書かれる『忠孝』の文字はもちろん望月さんの揮毫です。元々島の出身だけあって、県南島嶼部には結構な割合で揮毫してられます。
こちら芸予諸島にある小さな離島にある神社ですが、こちらにもありました。選挙で選ばれるため、あちこちに顔を出していたんでしょうけど、船で回りつつの行脚は大変だったろうなと思いました。
さて、この巨岩を拡大して見ましょう。忠孝の脇に「望月圭介謹書」とあるのはハッキリ見えると思います。更に左手を見ると「昭和三年御大典記念(中略)内相」とあります。内相とは天皇の即位の礼の際につく警護役の最高責任者の役職です。望月は昭和三年に郵政大臣から内務大臣となり、更に内相を担当していました。そういう年に望月が揮毫しています。
面白いのは、この地域が望月の地元である大崎上島から遠く離れている点です。旧安芸国の北辺にあたりますが、選挙区の北限だったのかもしれません。リンクを参照下さい。
この近くには分水嶺もあり、安芸国と備後国に分かれていました。大崎上島は豊田郡、巨岩のある豊栄町は賀茂郡にあり、同じ安芸国でした。巨岩は天神嶽という霊山の山頂にあり、ここから北は備後でした。
地元の霊山の揮毫を南にある島の出身者(いわばよそ者)に頼むあたりも非常に興味深いですよね。この国境や地元民の感覚を巡る説話もいろいろ面白いんですが、それはまた後日リポートしましょう。
麓には「昭和三年御大典記念」とする道標が多数作られています。恐らく地元を代表する望月の来訪に併せて置いたものと思われました。今よりもっと濃く地元選出議員と地域は結びついていた事がわかります。
ここからやや離れた福富町にある在郷軍人會支部の忠魂碑です。時の総理、田中義一が揮毫しています。通常、この手の支部クラスに総理大臣が揮毫するケースはあまり多くないと思います(田中は陸軍大将でもありました)。背面には昭和三年九月とあり、望月が巨岩に揮毫した時期と一致します。田中は望月を高く評価しており、大臣就任を固辞するのを説き伏せたという逸話が残っています。田中の心配りか望月の依頼かはわかりませんが、望月の地元に配慮したのでしょう。
こちらは備後の国境にある和木というところの郵便局長の石碑です。望月とあるものの親戚関係にはないそうです。こちらも同時期に設置されていますが、時の郵政大臣に揮毫してもらっています。恐らく望月孝之助さんも先の巨岩に同道したことでしょう。
望月さんは割と全国で揮毫している(先日東北でも見かけました)ので、気がつく時もあるかもしれません。見かけたら上記のエピソードも思い出してみて下さい。
以上です。