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カルマを巡る物語。新刊「チビクラウンチャの冒険」

11月29日に新しい本が出ます。
タイトルは「チビクラウンチャの冒険」です。

シャノン先生が物語から挿絵に至るまで描かれました。
物語が描かれた真意は「カルマについてわかりやすく伝えたい」というものです。

内容は、大人向けの童話となっています。

私は編集に携わり、先行的に読ませてもらったので、率直な感想を書かせていただきます。

まず最初に言いたいこと。

アイディアが奇抜で斬新。
神話なのにSNSが出てきたりします。

昔風の優しい民話にとどまらない内容。
これは大人向けで、小さい子どもには読ませられない内容もあります。

それについても簡単にお伝えするので、ぜひとも最後までお付き合いください。

童話なのに、本物のマントラが作中で出てきます。
主人公は、そのマントラを唱えることで知恵の宝を得ます。

ブッディプリヤ(ブディプリヤともいう。ガネーシャ天の一つの相。知恵の化身)のマントラです。

ブッディはサンスクリット語で「知恵」を意味し、ブッダという言葉には「知恵者」という意味もあるようです。
(先生曰く、インドには古来からブッダ「知恵者」が何人もいたそうです)

私も編集中にそのマントラを唱えると、知恵のエネルギーが流れてきて、これは本物のマントラだとわかりました。

単なる童話ではないと思いました。
明らかに真理を含んでいる。

それどころか、真理を悟れるように本物のマントラまで書かれています。
これを単なる象徴的な物語として読むのではなく、ヨギや行者が会得すべき知恵や謙虚さを学べる物語だと思って、読んだ方がいいです。

読む人が読むと、直観でそのエネルギーを感じることでしょう。

・これは鮮やかな転落劇であり、成長の物語

この表紙を見ていただければ、わかる通り。
主人公の名前は「クラウンチャ」といいますが、トガリネズミなんですね。

なぜ、ネズミなのか。
それが物語の導入部分である主人公の転落劇にあります。

主人公のクラウンチャは元はと言えば、美しい少年の姿をした神様でした。
女神たちにも愛されるような姿をしており、噂話とかも好きだったんですよね。

ある日、海神と女神が二人で楽しんでいるのをクラウンチャは見てしまいました。
問題なのは、その女神にはすでに他の恋人がいたんですね。

クラウンチャは噂話のネタを手に入れたと思って、その二人が会っているところをのぞき見て、鼻で笑ってしまったのです。

海神はそれに気づいて、クラウンチャに呪いをかけてしまうのです。
その呪いのせいでクラウンチャは美しい姿から鼻が伸びていき、トガリネズミになってしまうのです。

そのトガリネズミの姿を神々は見て笑ったり、噂するわけです。

自分が誰かの事を噂する立場から、その逆の噂される立場に転落してしまうのです。

ここにカルマの法則が現わされています。

自分がやっていたことが返ってくる。
いわゆる因果の働きが明確に表わされています。
非常にわかりやすい形で、それが描き出されていきます。

ただ、ここで物語は終わりではなく、クラウンチャは改心して、ずっと憧れていたガネーシャ天のような偉大な神様になると誓いを立てます。
もう二度と噂話をせず、祈りと瞑想とヨガに打ち込んでいくと心に決めるのです。

それにガネーシャ天が応えて、誓いを守るなら、必ず神性と威厳を取り戻せるということを告げます。

クラウンチャはトガリネズミの姿になることで、誰にも相手にされなくなりました。
しかし、美しさを失った代わりに、大切なものに気づいていきます。

逆に呪いをかけた海神は傲慢さを極め、転落の道を歩んでいきます。


・二つの対比で鮮やかに描き出される「謙虚と傲慢」

主人公のクラウンチャは謙虚に祈りと瞑想の生活を行い、どんどんと成長していきます。
逆に海神は傲慢に振る舞い、神界の楽園で遊び惚けて、どんどんと落ちぶれていきます。

クラウンチャと海神は明確な対比で描かれているんですね。

謙虚さがどれだけ大切か。
私はヨガを行じるものとして、心から気づかされるものがありました。

逆に傲慢さがどれほどの転落をもたらすのか。
海神の落ちぶれていく姿は、時にグロテスクでさえありました。

大人向けになっているのは、海神の転落劇によります。
これは小さい子どもには見せられないものがあると思いました。
神話には、時に現代人の常識からかけ離れたものが描かれていたりします。

これもまた、その神話性を含んでいるわけですね。

表紙こそ可愛らしくて、子供向けに見えますが、内容は大人向けです。
間違っても、親戚の子どもとかには買い与えないでください(笑)

大の大人が自分のことを振り返り、美徳の本質をつかむために読むためのものです。

海神が神格を失っていく流れは、滑稽ですらありました。
神々は時間を超越した存在なのですが、その傲慢さによって時空の輪の中に入って、重いカルマを帯びていきます。

傲慢さや欲望などが色々と混じり合って、醜く描かれています。
正しく読み解くことができれば、教訓にもなりましょう。

かくして、神格は失われるのかと。
それ自体がとても興味深く面白いので、実際に読んでみるといいかもしれません。


・美しいシーンの数々「観音様の涙」

基本的には神界を舞台にした物語なので、神々の話が中心となっています。
運命の三女神から、観音様や不動明王様まで出てきます。

私が読んでいて、一番心洗われたシーンがあります。

観音様が地上の人々の祈りに応える場面です。
農家が雨を求めて祈るのです。

観音様はそれに応えて涙を流して、雨を降らしていきます。

その雨は、慈悲でできていました。

慈悲の涙があまりにも美しいと思いました。

観音様がいくら話しかけても、人々は気づきもせず、応えもしないのです。
それどころか慈悲の美徳を学ぶこともなく、ずっと争っていたり、苦しんでいたりします。

それでも、観音様は慈悲の涙を流して、雨を降らし続けています。
読んでいるだけで、慈悲の暖かいエネルギーが流れてきます。

明らかにシャノン先生が文章に慈悲のエネルギーを込めているのが伝わってきました。

観音様が兄の観世音様と人間の混乱の原因について話し合ったり、思いやりについて明かしたりします。
その一つ一つが、美しいと思いました。

なぜ、人間がこうも混乱しているのか。
慈悲の本質とは何か。

ブラフマー(=梵天)が大日如来の姿で現れた時、すべてが黄金に染まるシーンがあります。
私は文章からあふれ出る慈悲のエネルギーに圧倒されていました。

仏教の本質が慈悲にあるのは、大日如来(=ブラフマー。梵天)の性質なのだとわかりました。
観世音様は、阿弥陀如来の現れだと明かされていたりもします。


・物語の総仕上げで明かされること「神々の存在理由」

主人公のクラウンチャは、祈りの中で着実に成長していきます。

ガネーシャ天に向けた帰依の心が一体化をもたらします。
それが彼に飛躍的な成長をもたらしていくわけです。

どういう心構えでいれば霊的に成長し、神様やマスターと心が融合するのかがわかってきます。
誰でもわかるぐらいにシンプルなのに、どこまでも奥深い話でした。

行の本質がすべて見えてきます。

私はクラウンチャに共感せざるをえなかったです。
謙虚さがどれほど大切なのか。
失ってこそ、得られるものがあるのだということ。

やがて成長したクラウンチャは、ガネーシャ天に導かれて、神界を巡る戦争で活躍します。
闇の宇宙から現れたガネーシャ天と対になっている悪魔王が、戦争を仕掛けてくるのです。

その時にガネーシャ天が神々の代表として奇策を練り上げ、クラウンチャがガネーシャ天の手足となり、策を実行します。
長年の行が報われる瞬間がやってきます。

最後にプルシャヤ天(神意識。キリスト意識。アベル意識)の語りかけによって、神々の存在理由が明かされます。

宇宙創造計画にまつわること。人間と神々の相互関係について。
シャノン先生が悟った真理が、物語の中で克明に描き上げられています。

これは単なる童話ではありません。
真理を如実に描き出した物語です。

大人こそが読むべきものだと思いました。

興味がわきましたら、ぜひともチビクラウンチャの冒険を手に取ってくださればと思います。