見出し画像

キリストを知る(油を注がれた者)

どうも、真仙です。

今回は、「キリスト」の本当の意味に迫りたいと思います。
その言葉には、色んな意味があります。

もし、この言葉の本当の意味が会得できたら、神と一つになる道が開かれます。
そう言い切れるほどの力があるのです。

霊的な道を歩むときには、真実を見通す目がいります。
宇宙の本質まで見通すほどの目(心眼)があれば、究極の真理を解き明かすこともできます。

さて、「キリスト」という言葉は、イエス・キリストを表すものとして一般的には理解されています。
その原義などには「油を注がれた者」という意味もあります。

聖別する時に油を注ぐという風習が、古代イスラエルにはあったんですね。

その油はあくまで象徴として用いられたものです。
神の光が吹き込まれたことを誰でもわかるように象徴的に光沢のある油を用いていたんですね。
(それは聖霊が吹き込むという意味でもあります)

今回、そういう言葉の意味を追いかけるよりも、私自身が瞑想を通してわかったことをお伝えしたいと思います。
イエス・キリスト本人と交流することで、明らかにされたことをここに書かせていただきたいと思います。

去年、今年にかけて、瞑想中にイエス・キリストが現れる回数が増えてきました。
それまでは時々彼を見るぐらいで、そんなに意識していませんでした。

彼が伝えたいメッセージもありましたし、私も彼に聞きたいことがあったんですよね。
その結果として、必然的に彼と交流する回数が増えてきました。

イエス・キリスト本人から、「キリスト」の本当の意味を明かしてもらったので、それをありのまま書かせていただきます。


・キリストとは何者か。私とは誰か

私は、本質だけに関心がありました。
あらゆる本質に神を見い出すことができると考えていたからです。

イエス・キリストについても、彼の本質を知りたかったのです。

つまり、彼がどう生まれて、どういう人生を過ごしたかではなく、彼の本当の姿(魂の本当の表現)ともいうべきものを知りたかったのです。

そうすれば、彼が何のために地上にやってきたのか。
すべてわかります。

直観的にイエス・キリストの本質を知ることが、神を知ることに繋がるのではないかと感じていたわけです。

今年の二月に入ってから、私は真剣に祈り始めました。
イエス・キリストの名を呼んで、彼の真の波動を捉えた聖音を心の内に唱えて祈っていました。

私「イエス・キリストよ、どうかやってきてください。あなたの本当の姿を教えてください。貴方を通して、神に至るとは一体どういうことなのか。それを改めて教えてください」

神に至る道は、巡礼者の数だけ用意されています。
その中でも一際輝き、中央に位置する彼の道を知りたかったのです。

どれだけ時間をかけても、祈る覚悟がありました。

集中が高まると、瞑想状態になり、イエス・キリストの愛のエネルギーが頭や胸に流れ込んできました。
次の瞬間にビジョンが見えました。

イエス・キリストが目の前に現れて、確かに立っていました。

私は彼を見つめていました。
見つめ続けていました。

イエス・キリストは黄金の輝きをその身にまとい、私を見つめ返していました。
最初は、はっきりと人の姿がありました。

確かに人間に生まれ変わってきて、この世を生きたのだと感じるほどに。
彼の生きた時代と人間性まで感じるほどに、その輪郭ははっきりとしていました。

私「あなたの本当の姿はいかなるものか」

ただただ、真っ直ぐに問いかけたのです。
それには何の挑戦的な気持ちもなく、純真なる思いだけがありました。

イエス・キリストは、突如として問いかけに答えるように、身体にまとった光をさらに輝かせていきました。
どんどんと光が強くなっていって、イエス・キリストの輪郭が光の中に溶けていくのです。

霊的な太陽が突如として、目の前に現れたかのようになりました。
それは物理的な太陽よりもはるかにまぶしく、無限の太陽のようなのです。

イエス・キリストは、人の姿ではなくなりました。
その身は、宇宙全てを照らす光になっていました。

私(これがキリスト……これが本当の姿)

ただただ、まぶしい「」でした。
宇宙全てを照らし出してもなお、尽きることのない広大無辺の光でした。

これこそ、神の光であり、私がいつも瞑想しているものでした。

私は知りました。キリストは「光」だと。
それこそが、本当に正しい意味なのだということを。

私はまぶしい光に圧倒されて、平伏しそうになりながらも、見つめていました。

イエス・キリストの声が凛然と聞こえてきました。

「私は誰か」

イエス・キリスト自身はすべてわかった上で、問いかけてきたのです。
私には光にしか見えず、そのまま本当のことを答えることしかできません。

私「あなたは真の光(キリスト)です」

そう言った瞬間に、私と彼は溶け合っていくのを感じました。
私は光を観る者から、光の中に溶け込んでいって、宇宙全てを照らす光となっていきました。

イエス「それを知るものは光(キリスト)になる」

彼の言葉の通り、私は光そのものになっていました。
光として、宇宙全てに満ち満ちて、遍在の超意識状態を経験しました。

全てが光の中に溶けていきました。
全世界ごと光に飲まれて、神の至福を体験していました。

私とイエス・キリストは形を捨てて溶け合って、光の中で交り合いながら、至福を味わっていました。
私も彼も人である前に、神の光であったのだと感じていました。

この光の中で、ただ意識すれば、あらゆるものを感じることができました。
人を思えば、その思った人の中に宿る光として、確かに意識がありました。

草木を思えば草木となり、風を思えば風となり、動物にも星にも、宇宙のいたるところに私がいました。

――遍在の魂……!

神の無限の光を分け与えられ、一人一人の魂は一筋の光として表現され、人間として生きていたのだとわかりました。

すべては、この光からやってきて、ここに帰っていくのだとわかりました。
まさに、この真の光こそ、神意識(=キリスト意識)のことでした。

キリストの本当の意味を知る者は、この境地に辿り着く。
心を込めて祈り続ければ、やがて知るようになる。

これもまた、神に至る一つの道です。