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私のヨガ修行歴「真っ直ぐに門を叩いて、あえて片腕を制限して真の自由を味わう」

今日は、特別にあまり語ってこなかった話を明かします。
私のヨガの修行歴の一つですね。

・師に巡り合う前にどんな修行をしてきたか
・ババジ(神の権化)の予告と実現
・光明に至る体験(真の自由)とはどんなものか
・あえて行を制限した聖なる理由
・イニシエーションの実体験について

これらの隠された話を改めてしたいと思います。
皆さんの探究の道しるべとなればと思います。


・あるヨギの自叙伝を読んで、ヨガを始める

ヨガ修行を始める前に、私は「あるヨギの自叙伝」という本を読んでいたのです。

その本には、真の聖人たちとは何か。
本物のヨガとは何かについて書かれていました。

本物のヨガとは(神との合一)を目指すものでした。
その本を読んで、聖人たちの「自由さ」に憧れました。

あるヨギの自叙伝のカバー

その本を読んでいて、とても気になる記述がありました。
神と合一する具体的な技法として、「クリヤヨガ」というものがあるとのこと。
霊的に成長する最速の技法として書かれていました。

私は神との一体化を望み、そういう技法を探し求めていました。
そこで、どうすれば「クリヤヨガ」が習えるのかを調べてみました。

「あるヨギの自叙伝」の著者ヨガナンダが組織したSRF国際本部(Self-Realization Fellowship)というのがあるそうです。
そこで、ヨガの技法を教わることができるということで。

早速、申し込んでSRF国際本部の会員になってみることにしました。
そこで、まずはヨガを習っていたんですよね。

興味深いことに、それは斬新な組織でした。
なんと、通信教育でヨガを学ぶというものです。
世界各地の人たちが学べるように、作られたものだそうです。

数十年前に作った組織だというのに、なんとも現代的ですね。
現代でも通用するところがあると思いました。

SRF国際本部の部外秘資料

これらの資料はSRF国際本部の会員しか手にすることができません。
中身は組織のルール上、公開することはできません。


ヨガナンダが残したというヨガの技法について書かれていました。
私は時間を用意できるだけ用意して、送られてきた資料の一つに書かれたヨガに励んでいました。

この時は、一日4時間~6時間は瞑想をしていたと思います。

宇宙音が聞けるようになるという瞑想法がありました。
それをやり込むと、体外に抜け出している自分に気づきました。

霊体の状態で部屋の天井まで浮かび上がっていました。
体中の各所から、あらゆる音が鳴っているのが聞こえました。
チャクラ一つ一つの音が違うのです。

ハートからは「リンリンリン」という教会の高い鐘の音のようなものが聞こえてきました。
あまりにもはっきりと、すごい勢いで聞こえました。

そして、次第に意識が上昇していき、延髄の中枢に入っていきました。
あらゆるチャクラの音が重なるような重低音が聞こえてきました。

肉体に戻ると、強烈な体験に驚きました。
しかし、それは瞑想体験として、初歩の初歩と呼べるようなものでした。

私が求めていたのは、神との一体化でした。

一歩目としては十分かもしれないけど、その先をどうすべきなのか。
実は、確信に近い直感があったのです。

必ず自分に合った師がやってくる。
その人が世界のどこかにいる。

その後、SRF国際本部の師(グル)と呼ばれるような人と通訳を介して話すことになりました。
しかし、魂の直感で「違う」と感じたのです。

この組織に対して、違和感を持っていませんでした。
こういう技法を教えてもらえてありがたいなと思っていたし、寄付(寄付で成り立つ組織だったので)もしていました。

しかし、なぜか直感的に感じたことがありました。

この組織には私の望みを叶えてくれる人はいない。
最速で神との一体化を実現してくれる師はいない。
ヨガを最初から手ほどきしてくれる人もいない。
当時の私の直感

ここでイニシエーションを受けて、クリヤヨガをやりたいと思わなかったのです。
たとえ、ヨガナンダが作った組織であっても、その技法が西洋人向けにアレンジ(姿勢からやり方までそうだった)されており、基本から真髄の部分が一部抜け落ちているように感じました。

まとめると。

この人生で神と一体化したい。
そのための最速の技法を求めている。
そして、私の望みに合った師がどこかにいて、必ず出会うはず。


そういう直観めいたものがあって、自分の望みの師がやってくると感じていました。


・祈り祈って、最高の師と出会う

上記の記事に書いた通り。
祈り祈ってがやってきてから、神にお願いすると望みの師と出会うことになりました。

それがシャノン先生でした。

シャノン先生は、クリヤヨガの正統な系譜のイニシエーションを受けていました。
それに関する記事もこちらに書いています。

当初、私の目的は「最速で神に至る」ということでした。
クリヤヨガは一つの手段に過ぎず、それ以上のものがあるならば、当然のごとく、それを選びます。

シャノン先生曰く、クリヤヨガだと第7チャクラの悟りに到達するのに40年~50年ぐらいかかるらしいです。
クリヤヨガの体得者がそう言うなら、そうなのでしょう。
それよりも、数年単位に短縮された技法が他にあることも教えていただきました。
(ガネーシャのクンダリーニ・ヨガなどもそうでした)

その中で、時間的なものは明白ではないけれど、自分が求めているものに相応しいもの。
私は、特に究極の神との一体化を実現するものを求めました。

シャノン先生がキリスト意識(神の原初意識)に目覚めて、その瞑想法を授けてくれました。
そして、その瞑想法はどのヨガよりも私の「求め」に合っていました。
(ガネーシャヨガもサブでやり込んでいたのですが、特にキリスト意識の瞑想をやり込みました)

先生の霊的な才能は類まれなるものがありました。
ありとあらゆる神様に繋がって、あらゆるヨガを編み出すことができました。

お会いして一緒に瞑想していると、シャノン先生の黄金のオーラにあらゆる神様が見えました。
(シヴァもガネーシャもクリシュナも不動明王でさえも)


通常の師は一つの神様と繋がるのが関の山です。
ところが、シャノン先生は右に出る人がいないほどに多くの神様と繋がっていました。
その教えもジャングルのごとく豊かでした。

そして、生徒に応じて、一番合ったものを提供できたのです。
誰だって合ったものをすれば伸びますね。
合ってないものをしても、前に進むのは難しいです。

自分に合ったものをやると、数倍のスピードで霊的に成長していきます。
シャノン先生はそれを授けることができるヨガの大家(権化)でした。

私が悟りたかったのは、神々の意識ではありませんでした。
神々を超えた究極の神意識(キリスト意識)を悟りたかったのです。
キリスト意識(神の原初の意識)を通って、神に還ることが聖書にも明かされていました。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」
ヨハネによる福音書14:6

「わたし」はイエス・キリスト個人のことを指していたわけではありません。
神の原初意識(キリスト意識)のことです。
キリスト意識を通らなければ、神の実体に辿り着けないということでした。

逆に言えば、「キリスト意識を通れば、神との一体化が実現できる」ということです。

だからこそ、究極の神意識(キリスト意識)の瞑想を求めました。
それは師(マスター)でも、トップクラスに到達した者でなければできませんでした。

私は通常の師を求めていたわけではありません。
キリストクラスの師を求めました。
(SRF国際本部には私の高い基準に相応しい師がいなかっただけです。人間レベルの優れた師ならいたと思います)

シャノン先生は、まさに私の最高の基準と望みに相応しい方でした。
私はシャノン先生を師に選び、最速で道を駆け上がっていきました。


・行じているとババジを目撃する(聖なる予告)

師に恵まれて、一からヨガを習っていくと、霊視力が高まってきました。
自分に合った瞑想をすることで、加速度的に霊的に成長しました。

ありとあらゆる次元を超えて、霊的世界の壁を超えられるようになっていきました。

数年かけて修行を進めて、霊的成長が深まってから、また「あるヨギの自叙伝」を読んでみたのです。

ふと思ったのです。
今、ババジってどこにいるのだろうと
どこで暮らしているんだろうなと。

※ ババジとは「あるヨギの自叙伝」に出てくる大師です。
ヨガナンダの師匠の師匠の、さらに上師になります。
神の権化とも呼ばれ、物質を超克していると言います。
クリヤヨガを現代に復活させた本人であり、不死身の師とも言われていました。

ババジの絵と肖像

ヨガ修行を深めることで、霊視力が桁違いに向上していました。
急に雪山のビジョンが見えてきました。

雪山の頂上に、ババジが立っているのが見えるではありませんか。
太陽のようなまぶしい黄金の光を放ちながら、そこにいたのです。
それは地上の雪山なのか。それとも神界のシヴァの山なのか。

私が困惑しながら眺めていると、ババジと目が合いました。
なんと、私が霊視していることに、ババジは気づいたのです。

ババジは私を招くように指差して、静かな声で告げました。

ババジ「師よ」

そのとき、私は自分のことを一度も師だと思ったことがありませんでした。
修行中の身の上。身に余る言葉に、こう返しました。

私「ご冗談を」

ババジ「私の言葉は実現する」

ヨギは自分の言ったことを実現する力があると言います。
このときのババジの言葉ほど力強いものはありませんでした。

今においてさえも、自分の事を師(マスター)だとは思わないですが。
ババジがこのように告げた意味が後にわかってきました。

なぜ、このようにババジのビジョンが見えたのか。
当時はわかりませんでした。
しかし、後にシャノン先生がババジと霊的な交流があることがわかりました。

そのため、弟子の私もビジョンで目撃することがあったのでしょう。

・雷撃のごとく早い道を行く

正直に言うと、これらの修行過程は私だけに当てはまる部分もあります。
そのため、あまり話したくはないのですが。
(他の人に当てはまらない部分もあるので、気にしないでもらいたい部分があります)

参考になる部分もあるので、今までしてこなかった隠された話を明かします。

シャノン先生は「雷龍」という名を不動明王様から授かっています。
その名の通り、教え方も雷撃のように早かった。
初期の頃から次々と目まぐるしく教えてくれました。

イニシエーション一つとっても、通常の師なら10年~20年に一つ授けられるかどうかです。
それがヨガのスタンダードです。

私は数年の間に8つのイニシエーションを受けています。

それは基本的なイニシエーションから、本格的なイニシエーションまで次々と受けていました。

※ ヨガにおけるイニシエーションとは
師と弟子を神エネルギーで繋ぐのです。
神に目覚めた師から受けると、神エネルギーが流れて、弟子は急速に目覚めていくのです。

いわば、霊的成長の階段を一気にジャンプするものです。


・イニシエーションの実際の光景


数年前のこと。
夜行バスで会いに行き、シャノン先生に直にお会いすることになりました。

会う日の前日に不思議な夢を見ました。
白いローブを着たマスターがずらりと両脇に並んで、私が真ん中に立っていました。
そして、イニシエーションを受ける風景でした。
(アストラル・イニシエーションでした)

シャノン先生に実際にお会いして、いくつか説明を受けてました。
それから、シャノン先生は何かをつかむように片手を掲げられました。
霊的な宝石を高い集中力で作り上げるのがわかりました。
その片手で、そっと私の眉間に触れられたのです。

何かがスパークしたかのようになって、眉間の圧力が増しました。
神エネルギーが流れ出すのがわかりました。
それから、私は静かに座って瞑想し、神エネルギーによる恍惚とトランス状態に入っていました。

イニシエーションは基本的にこの繰り返しです。
最初は慣れのために弱めのエネルギーで始まって、段階を上がるにつれて、強力なエネルギーになっていきました。
まるで、高圧電流のようなエネルギーでした。

神エネルギーの光で目覚めていくというものです。


・主に受けた8つのイニシエーションとは


☆ガネーシャ系は3つ
1 ラクッタ天(赤いガネーシャ天の強力な守護を得る)
2 ガネーシャ天のクリスタル(ガネーシャ・エネルギーを運べるようになる)
3 霊聴力が身に付く(神様と対話できるようになる)
(ほぼガネーシャ・ヨガを教えるためのものでした)

☆キリスト意識系は5つ
1 アベル意識(キリスト意識)のセルフ・イニシエーション
2 準備イニシエーション(より強いエネルギーに耐えられるように)
3 キリスト意識のマスターと繋ぐもの
4 キリスト意識に直に繋ぐもの
5 キリスト意識の黄金の十字架を授かる(弟子になる)

なお、1番目はシャノン先生の自伝「マスターAGN」にも書かれています。
誰でも実践できるものとなっているので、ぜひ試してみてください。
神エネルギーの流れてくる量が、ぐっと上がります。
それが目覚めを加速させることでしょう。

これらの8つのイニシエーションを数年のうちに得ました。
イニシエーションごとに音があり、授かった音を徹底的に唱えて瞑想していきました。
すると、オーラの状態が輝き始めて、急速に目覚めていったのです。

これらのイニシエーションは私に合ったものでした。
また、ガネーシャ系は人に教えるために必要なものでした。

他の人が全員この通りにやればいいというわけではありません。
イニシエーションは不可欠のものではなく、霊的成長を飛躍的に向上させるためのものです。
師が私個人に合った形で施してくれたものです。
つまり、独自の行法だということです。

神意識と一体化することだけを目的とするなら、本に書いている通り「アベル意識のセルフ・イニシエーション」のみでも可能です。

私は先生からヨガの秘儀・秘法をいくつか授かっていました。
いくつもイニシエーションを受けていました。
そして、急速に成長していきました。
しかし、それらの技法は「教えるな」と言われています。
公開不可能な技法ばかりで、音とかも明かせません。

秘儀を教えてもらうのはありがたいのですが。
公開できないとしたら、その行法で「誰のために目覚めるのか」と思いました。

ふと立ち止まったのです。
そして、思い出しました。

すべての人が光明に至る道を開くために私は行じていました。
私の行は、個人的なものではなかったのです。

なら、公開できる瞑想法をやるべき。
あるいは先生が公開されているやり方でやろうと思ったのです。

他の行は一旦ストップして、最後に打ち込む瞑想法を「これ」と決めました。

「オープンにできる瞑想法で目覚める」

すべての人が学べる明かされた道でやる。
私の善なる心がそうさせた。

ゆえに先生のブログでも公開されていたもの。
本にも書いた「アベル意識(キリスト意識)の瞑想」を徹底的にやり込むことにしました。
基本的な瞑想でありながら、奥義と呼べるものでした。
これは、すべての人が学ぶことが許されたオープンな瞑想法です。

個別的に与えられたイニシエーションの聖音と瞑想ではなく、すべての人に与えられた瞑想法で悟ろうとしたのです。

それはたとえるなら。
師からフルカスタムされた自分用のF1カーを与えられている。
それは時速300キロを出せるから、一瞬でゴールできる。
でも、あえて誰もが乗れる普通自動車を選んだということ。
時速100キロでも時間をかければ、悟りというゴールに到達できる。


最初の目的は「最速でゴールする」ことでした。
しかし、行を進めていく途中で生まれ変わってきた理由を思い出しました。

「すべての人の道を開く」

だから、私はあえて公開できる瞑想を選んだ。
これが私の人生(生き方)です。


・真の自由(光明)を味わう

一度目の覚醒は2014年11月末でした。
それは半覚醒のようなもので、本格的なものではありませんでした。

二度目の覚醒は2019年半ば頃でした。
それは完全覚醒(目覚め)でした。


2019年半ば頃に、友人の死(今までも何人かと離別がありましたが、魂が限界を覚えました)をきっかけに「神を悟りたい」という思いが頂点に達しました。

すべてを超えて神を悟りたい、という思いです。

その日から、一日中瞑想していました。
時間の限りやっていました。
神の光が自分に直撃して死んでもいいとすら思っていました。

どんなことがあっても悟らせてほしい、という思いのみ。
その全力の思いから仕事すらせずに一日10時間以上の瞑想に励んでいたのです。

その時にしていた瞑想が、まさに先述した「アベル意識(キリスト意識)の瞑想」です。
本に書かれている手順で、改めてセルフ・イニシエーションをしてから、ずっとアベル意識(キリスト意識)の聖音を唱えていました。
(神に至るいくつもあるうちの一つの道です)

アベル意識(キリスト意識)との一体化を求めて、聖音を唱えれば唱えるほどに光がやってきました。
どんどんと頭が神エネルギーで開かれていって、ある瞬間に開き切ったという状態になりました。

感情も思考も、すべて静止状態になりました。
眉間から差してくる光に完全集中しました。

肉体を超えて、霊体で光の道を通っていきました。
ある瞬間に扉が開いたかのようになると、無限の光が満ち満ちている世界に飲み込まれました。

真っ白な透明感のある光の流れに入って、すごい勢いで自分の意識が溶けていくように感じました。
霊体の境界線も、自分の意識さえも溶けていくように感じられました。

とてつもないほどの心地よさ。
絶対的な平安と至福の境地でした。
すべてが満たされて、安堵が極まったという状態でした。

境界線がなくなると、自分はすべての意識(光)になっていることに気づきました。
この無限の光は、宇宙すべての裏側から吹き込んで、世界そのものを支えていました。

あらゆる人の胸の中心に吹き込む光であり、意識そのものでした。
私はすべての光そのものになっていました。
私はどこにでもいて、すべての人たちに吹き込む光明意識そのものでした。

物質世界の宇宙現象がはがれ落ちて、実体である全宇宙の純粋な光そのものを拝んでいました。

ふとこの世界を意識すると、庭先で作業する男性の胸に吹き込む光を感じました。
その胸から吹き出していく光の意識も、また私だったのです。
人類すべてに吹き込む意識そのものでした。

「私はすべて。すべては私」

私は自分の境界線を捨てて、神の光明意識に溶け込むことで、そこら中に自分が無限にいることを悟ったのでした。
意識すれば、あらゆる人の中にいるのがわかりました。
それどころか、風の中にも、水の中にも、木の中にもいました。

私のいない場所はどこにもありませんでした。
神がすべてにいるように、私もすべてにいました。

究極の光明意識は「ALL(オール)」

そして、その実体の無限の光を意識したら、また物質宇宙がすごい勢いで光の中に飲まれて消えていくのがわかりました。
無限の光から物質宇宙は映像表現のように投影されているのだとわかりました。

私はすべての光になりながら、ふと不死身の大師(ババジ)を意識してみました。

彼は他の人々とは違って、まばゆいばかりの黄金の光を身体の周りにまとっていました。
山の頂で至福に浸っていました。
本質的にババジと私たちの違いはありません。

しかし、彼は神を悟っているために、その無限の光を帯びていたのです。
私たちは神を忘れているために、小さな一筋の光を胸に留めるにすぎませんでした。

私はババジの頭の周りの黄金の光そのものになっていました。
すでに私には形がありませんでした。
彼との違いもなく、内側にも外側にもいて一つでした。


形なき私は心だけで両手を合わせて、彼を拝みました。
ババジは私に気づいたように言いました。

「悟れり魂――」

私の意識ははじけ飛ぶようにして、また無限の全体の光明意識の中に飲まれていきました。
究極の至福の中に入っていきながら、記憶喪失のような状態になっていました。
すべてが真っ白に洗い流されていくかのようでした。

今にして思えば、彼が私に予告していたことの意味がわかります。

真の自由とは形を超えて、あらゆる存在と一体化できるようになること。
光そのものとなって、あらゆる空間と時間を超えられるようになること。
そして、神の至福と一つになる。

あんなに苦しい日々が。あんなに悲しみと痛みに満ちた日々が。
すべてが根本から溶けて洗い流されて癒されてしまいました。

光の中に宇宙ごと自分が溶け込んでいって、なくなったかのように感じられました。
そのときに宇宙が幻想であること。
神の至福の「表現」であることを悟りました

長い長い夢を見ていた気がする。
地上生活とは、悪夢のようだった。
神を悟って、その夢から覚めることが「目覚める」こと。

本当の意味で、何にも悩まされなくていいのだと悟りました。

その至福を体験してから、また地上に意識を戻して歩き始めました。
誰もがこの光明に辿り着けるように探求と研究を開始しました。
より初心者向けのガネーシャ・ヨガも体系化していくのでした。

あらゆる人の道を開くために。
どんな道筋でも至れるようにするために。

聖典を読み解き、あらゆるヨガを行じ、瞑想を探求しています。
それは私にとって必要なものではなく、他の人々にとって必要だから学んでいます。

形無きものを形があるようにする。
形を超えた神の光により多くの人が至れますように。


アベル意識(キリスト意識)の瞑想は、この本から学ぶことができます。