僕が旅に出た理由~少し長い自己紹介~

【Ameba BLOGからの自己転載】

2017-04-12 22:08:48


こんにちは、中の人です。
最近やたらと中の人出現率が高くてごめんなさい。
あらためて、このアカウントをフォローしていただいている皆様、この酔狂な企画にご参加いただき、ありがとうございます。

「企画?」と思われた方のために念のため、当初から定めた自己紹介の文章をここにも貼り付けておきたいと思います。
「名前の通り、主に岸田繁氏が書いた日本のロックバンド・くるりの言葉で、自分の今の気持ちを代弁してもらおうという企み。RTして、自分の言葉ではうまく言い表せない気持ちを代弁してもらえたら幸いです。不定期更新。アイコンはぐっちゃんさんに描いていただきました。感謝。」
開設当初から少しずつテコ入れをしてきた厨二病全開なアカウントの自己紹介を自分でも久しぶりに開いたので少し恥ずかしい思いもしますが、こんな感じで「今の気持ちを繁くんに代弁してもらうbot」を続けさせていただいています。

先日ふと「このアカウント、いつ始めたんだっけ」と考えをめぐらしてみましたが、結局思い出せませんでした。
そうやっていつの間にか始めた日にちを忘れてしまったのですが、だいたいつぶやき始めてから4、5年近く経っているような気がします。
今日はこのブログで、この奇妙なbotが生まれた経緯を振り返ってもう少し詳細な自己紹介に代えさせていただければと思います。

はじめは思いつきでした。
東京のJR中央線の高架下を、ひたすらくるりを聴きつつ中野から三鷹までてくてく歩きながら、なぜだか突然にぱっと頭の中で「Twitterでこんなんやってみよかな」と思いついたのが始まりでした。
Twitterの世界にbotというものがあるんだ、ということを認識した頃で、そして終電が終わったわけでもないのに駅から駅への長い距離をてくてく歩くことが自分のなかで流行っていた時期でした。
あの頃はそんな長い距離を歩きながら、いろんなことを考えていました。
じっとしているより、歩きながら景色を見たりしている方がアイデアが頭に浮かんでくる。
このアカウントも、歩きながら思いついて、そのまま歩いているうちにだんだんと思いが固まってきたのでした。
歩いている間に下りてきたほんのちょっとの思いつきが、こんなに長く続くとは思ってませんでした。

「今の気持ちを繁くんに代弁してもらう」という名前は、実はオリジナルではありません。
いまはどちらかと言えば過疎気味な某mixiのくるりのコミュニティ(この言葉がすでに懐かしい!)に同じ名前のトピック(同前述)があり、かつて中の人はそこの常連でした。
見知らぬ人同士がそれぞれ自分の気持ちを代弁してくれるくるりの歌詞を、一つのコミュニティの掲示板(トピック)に持ち寄ってただそこに貼り付けていく。
まるでポストイットに歌詞の一部を書いて、ただ喫茶店の壁の空いているスペースに貼り付けていくような、そんな場所でした。次に喫茶店に来た客は、自分のポストイットを貼っていくついでに、他の人が適当に貼り付けていったポストイットを眺めて、ああこんな歌詞はあったっけ、と口ずさんでみたり、ああこれも今の私の気持ちにぴったり!とその歌詞を貼り付けた人に足跡をつけたりして(貼り付けられたポストイットにペンでメッセージを書き込むような仕方で)ささやかな交流を楽しんだりしていました。主に歌詞だけを書き込むため、「これ、題名なんでしたっけ?」みたいな返信も。そうやって同じ歌詞に共感する人同士で繋がり合うこともありました。
よく尋ねられることでもありますが、ツイートに曲名をつけないのは、ひとつにはmixiでやっていたときのやり方に倣っているから、ということ。
そして代弁してもらうことを当初の目的としたため、歌詞以外の言葉はあえて省かせていただいたのがもうひとつの理由です。
そして言葉だけだとさすがに初見の人はなんの言葉かわからないと思い、「#quruli #くるり 」というバンド名のハッシュタグを付けました

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そういうわけで、思いつきとmixiでの掲示板での思い出に敬意を込めて、「今の気持ちを繁くんに代弁してもらう」という名前に「bot」をつけてこのアカウントを始めました。
ツイッターで同じことができる、とは思いませんでした。
mixiのように、思い思いに誰でも好きなように貼り付けることはできないけれど、ファボったりリツイートしたりすることで、それぞれのタイムラインに貼り付けていくことができればいいな、と。
何よりくるりの歌詞を、くるりの言葉を誰よりも自分が新たなSNSでも欲していました。
だから、始まりはとてもエゴイスティックです。

「bot」と称してはいますが、当初からこのアカウントは毎回自分で書いて、つまり手動でつぶやき続けてきました。
自動ツイートを使わない理由としてはツイートの合間に変な広告が入ったり、広告が入らない自動ツイートサービスを利用しても新しい言葉を追加しないばかりに同じようなツイートがファミレスのBGMのごとく流れたり、自動で朝晩深夜問わずつぶやいても、例えば眠れなくなった日の明け方頃にツイッターを開いたら呟いたらタイムラインにはbotしかいなかった、なんていうのも何だか味気なくてつまらないかな、と思ったからです。
(もっとも、自動ツイートのやり方がわからなかったということが最大の理由だという説もあります)。

ここまでが「今の気持ちを繁くんに代弁してもらうbot」を始めた簡単な経緯です。
変動はありますが、先週から今週にかけてフォロワーの数が1,000人になりました。
始めた頃には想像もしなかった数です。
くるりを愛するフォロワーの皆様がここまで育ててくれたのだと思います。
最初の言葉に戻りますが、この酔狂な企画にご参加いただき、ありがとうございました。

このアカウントを始めてから、いろいろなことがありました。
吉祥寺駅前で向こうから歩いてくる人を何気なく見たら、なんと大村達身さんで、目が合った瞬間なぜか全速力で逃げられてしまったり(くるり好きだとバレた?)、中央線のとある駅で森さんらしい方を二度と言わず三度ほどお見かけしたり(あれは間違いなく森さん)、西荻窪の気に入って足繁く通った喫茶店にファンファンさんが行ったことを後でブログの記事によって知ったり。
中でも、全国のキャパの小さなライブハウスを巡るDiscovery Qツアーでメンバーにサインしてもらう時にようやく岸田さんご本人に、「中の人」であることを直接お伝えできたこと。
岸田さんは、「お前かあ!」とアカウントのことを知ってくださっているようでした。
いまでも思い出すと、震えます。
くるりに関連したこと以外でも、卒業したり、東京から他県へ引っ越したり、このアカウントを始めた頃とは周りの環境が瞬く間に変わっていきました。
まさに「想像を超える」毎日です。いい意味でも、悪い意味でも。
変化に富んだ毎日でしたが、環境は変わっても自分は変わらないことにも打ちのめされる毎日でもありました。
けれども、そんな季節の移り変わり、生活の移り変わりと共にくるりの音楽がありました。
くるりの曲はいつも変わらず、自分の前に置かれていたのです。
くるりの曲はときには鏡のようで、ときには試金石のようで、ときには友達のようでした。

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いま改めて自分のiPodに入っているくるりの曲数を確認したら、シングルやデジタル音源も含め、「60枚のアルバム・386曲」とありました(ちなみに以前確認したときはちょうど「365曲」でした)。シングルとアルバム、ライブ盤などかぶっている曲も多くありますが、これほど多くの曲を届けてくれているのか、と驚愕します。一日一曲聴いたとしても一年じゃ間に合わないだなんて。アルバムやシングルに入らなかった曲、製作に参加した曲、プロデュースした曲などを合わせればさらに膨大な数に上るでしょう。20年の重さと深みを思います。

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2017年度が始まりました。
進級したり、入学したり、入社したり、転職したり、新しい役職についたり、準備中だったり、それぞれの希望や早速の失望があるかもしれません。
中の人の今年の小さな夢は、京都音楽博覧会に行くことです。
こんなにくるりが好きなのに、まだ一度も行ったことがないのです。
それぞれの小さな夢や大きな夢が叶いますように。
たとえ叶わなくても、新しい夢が与えられるように祈っています。

最後に、投稿がいつも不定期であることをお許しください。
繁忙期になると、さらにツイートが減るかもしれないこともここに記しておきます。
手動のため、日常的にタイムラインも見ています。
時々気に入ったツイートにはファボをつけたりしてしまいますが、どうぞお気になさらないでください。
いろいろと不完全なアカウントですが、もうしばらく続けていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

ぽつりぽつりとこのアカウントが生まれた経緯を書き綴って、話があちこちへ飛んでしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今日もいい一日を過ごせますように。

追伸;
最初に引用したプロフィールの文章に、このアカウントのアイコンの作者の名前を記しています。
「ぐっちゃん」というフォロワーの方が柔らかいイメージで描いてくださいました。今は残念ながらTwitterをやめてしまっているようですが、どこかで元気にしていてくれていると嬉しいです。

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