幼少期の自分(ギャル・コスプレ編)
初投稿からまた時間が経ってしまいましたが、少々スペインに旅行に行っていました。
これもまた別途記事にしようと思います。
今後どういった内容を記事にしていくか少し考えたところ、以下の内容は少なくとも書けるかなと考えています。
ネタが切れたらどうするんだという感じですが、ライフログ的な感じで細々と長く続けていけたらなと思います。
また人生の転機であったり、日々の発見を書いていきたいなと思います。
この記事の意義としては、娯楽として、
こんな人もいるんだなぁとか、私を理解してもらうとかそのくらいしかありませんが、少しでも
いろんなことをやる
踏み出すきっかけ
になっていただけたら、上から目線になってしまうかもしれませんが嬉しいです。
それを聞いてまた私も背中を押されたいなと。
ということで、今回は幼少期に関してです。
就活のときなどに「小さい頃のことなんて関係ある!?」と思っていましたが、やはり今の自分の性格を形成する上で大きい要素であるようですね。
そうした就活においてや、初めましての方と話すときに、
「どうしてそんなにバイタリティがあるの?」「その行動のモチベーションは何?」
と聞かれることがよくあります。
自分の感覚的にはそこまで頑張っている気もしない、好奇心の赴くままに動いているだけなんですが、傍からは行動的に見えるようです。
昔から夢を見がちで、その夢(目標)を決めたらどうやって実現させるか逆算して行動していた気がします。その行動力は確かにあったかなと。
小学校低学年くらいのころは絵を書くのが好きで、漫画家とかファッションデザイナーになりたいと思って、ひたすらそういうのを書いていました。
オタクの時期もあって、エクソシスト(悪魔祓い)になりたい!と思って、まずはカトリック教徒にならなくては、とか、英語の勉強をしよう!(中2で英検準2級くらい)とかやっていました。
スパイになりたくて、射撃訓練をしたくて射撃部に入りたいけどなくて、とりあえず弓道部に入ってみたり(全国大会出場までに)。
新撰組好きすぎて居合道やってみたり。
また、一時期ディズニーチャンネルの影響だったのか忘れましたが、とても白人に憧れていて、コーカソイドとモンゴロイドの違いとか調べて、自分がモンゴロイドであることにめちゃくちゃ悩んでいました(笑)。
本気で悩んでいて、死んで白人に生まれ変わりたいとまで思っていました。
そして
「死ぬくらいなら、なんでもやりたいことやってやろう!」
と私のバイタリティが爆誕したような気もします。
そんな単純なことで?と今では思いますが、当時の自分にとって自分が白人でないことに相当なコンプレックスを抱えていたようです…汗。
こんなにいろんなことに興味を持って色々やって、「どんな家庭だよ!」と思われるかもしれませんが、我が家は昔からかなり放任的でした。
そのせいか分かりませんけど私は「どうせ、どうせ」とかなりひねくれもので天邪鬼です。
大切に育ててもらいましたが、ダイレクトな愛情表現を受けたことはありませんし、自分でもそうした表現は今でも苦手です。最近はママ大好き~とかLINEで言いますけど(笑)。
でも子供が成長する月日があれば、親が成長する(変わる)のも当然で、最近は本当に家族と向き合って、良い関係を築けているなと思っています。
母は20歳で3つ上の兄を生んでいるのでかなり若めのママですね。そりゃ、自分が今その年齢になれば、子育て大変だったろうなと思います。
なぜなら、父が超自由人だったので。
父も23歳で母と結婚し、数年だけ会社勤めをしていたようですが、「バーテンダーになりたい」と一念発起し、会社を辞めて地元のバーに勤めるようになりました。長年そこでの勤務と昼間は引越しのアルバイトをしていました。そのうちに独立してお店を出すことになりますが、片田舎でのショットバーは経営が厳しく、出店の借金を残してお店を閉じました。(閉じたのは私が大学生になってから)
まぁそんな自由な父ですが、私が学校から帰ってくると、バイト終わりで家にいたので、意外と父と関わることは多かったです。
娘特有のパパ嫌いもありませんでした。
父もかなりオタクっぽいというか好奇心旺盛で、私が「これはどうしてこうなの?」という子供らしい質問をするときちんと答えてくれました(母はこうだからこうなの!って思考停止な返答だった)。
私の好奇心とか考える力は父親との会話のおかげもあるような気がしています。
物覚えは良いほうで、一度聞けば覚えられるというのを強みに思っていたように思います(むしろ覚えられないほうがおかしいだろ!こんな簡単なこと!みたいに生意気に思っていましたけど)。そのおかげか、小中でも(公立ですが)、勉強に困ることはなく、中学では適当にしていても学年で3位以内でした。(1位になれるほど頑張る才能はないのでなんとも言えませんけど)
上記のような死ぬ気とか両親とか、バイタリティの源を少し見てきましたが、他にも「強いコンプレックス」があると思います。
外見とか経済面のコンプレックスはかなり他でもつぶやりたりTikTokしてきたりしましたが、
他にも「私を馬鹿にした友達を見返したい」みたいなものも途中までありました。
今となっては気にもしていない、なんならその子たちとも仲良くしたいくらいですが、昔は友達から避けられたこともあり、それがダメージでありつつ、頑張るモチベーションになっていました。
「私はみんなと違うんだ」と人と違うことを誇りに、もっと違うことをしようと思っていました。(余計避けられそうなんですけど、開き直り)
今思えば、
「今日はいい日でありますように!涙」
と祈る日々だったので、そんな学生生活が終わって、高校・大学と良い日々が送れたように思います。
そこからなのかは分かりませんが、自分でどうにもできないことは祈るけど、自分で頑張ればできることはあまり祈らないようなスタンスでいますね。
さて、私の幼少期といえば、
小学生時代のギャルメイクと
中学生時代のコスプレ
が特徴的なんですが、こちらも所属組織に馴染めず、個性を追求した結果だったように思います。
ギャルメイクに関しては確か…
「早く卒業したい!」→「早く大人になりたい!」→「大人=メイク」→ギャルメイク!?
みたいな流れで、Popteenやeggなどの雑誌を読んでギャルメイクの練習を放課後し、デジカメで写真を撮って、アメブロに投稿していました(齢10歳)。
徐々にエスカレート(レベルアップ?)し、カラコンをしたり、ウィッグを被ったり、ロリータやゴスロリな洋服を着たり…。
小4のときに衝撃的だったのが、母に「カラコンしていい?」とダメ元で聞いたら、「自分のことは自分で決めな。自分で買うなら別にいいんじゃない?」と言われたこと。
その後もずっとそんなスタンスで、後の宝塚受験とか大学休学とか自由気ままにさせてもらいました。
たまに他の小学生にもつけまを提供して巻き込んでいましたが、きっと友達のお母さんからしたら大変だったろうなぁ。
ということで遠慮も覚え始め、アメブロで友達を探すことにしました。
富山で1人、大阪で1人に会いました。
大阪はいとこが住んでいたので泊りにいったついでに。
でも、やはり内向的?コミュ障?なところはあるので、めちゃくちゃ緊張して全然話せなかった気がします。見た目ギャルなのに😢
そうこうしながら中学生になりまして、最初はギャルからの流れで陽キャの道に進めるかと思ったのですが、途中で友達がいなくなってしまい、友達になってくれそうな人たちに合わせてアニオタになりました。
アニオタたちは優しく歓迎してくれました。
どこか完全な自分の居場所ではないなというのはありながら、オタクトークはコミュ障を緩和してくれました。
転機はオタク友達と県内一大きなコスプレイベントに行ったことでした。
そこで初めてコスプレを経験し、Go to the way of Cosplayでした(英語適当)。
ネットでコスプレ衣装を買い、コスプレの交流サイトでキャラクターの併せやイベントなどを探して参加しました。高校生の相方ができてからは、よく二人でシチュエーション撮影していました。山に行ったり川に行ったり。私も大人びていたので高校生だと思われていました。
コスプレへの没頭は、もちろんそれ自体の楽しさもありますが、部活での仲間外れ?とか成果が出ないのを忘れさせてくれるというか、逃げ場になっていました。
そんな感じでコスプレをするなかで、コスプレの参考を調べていたところ、宝塚歌劇団を知るのです!!聞いたことはあったけど、なんだこれは!という感じで、オタク気質全開で大調査しました。入るのは難しいとか、お金がかかるとかどうとか。
そして、今度地元にも全国ツアーで来ると!これは観に行くしかない!!!と思い母と共にオーバードホール(富山)に行きました。今思えばこのチケットは母が出してくれたのかしら…(哀愁)。
ツアーは「ベルサイユのばら」フェルゼン編
宝塚の代名詞ですね!!
色々検索してる段階で予想してましたけど、実際に見てキラキラな世界観にドハマりしまして、もうダメ元でも宝塚受験しよう!と決意しました。
さすがに何の準備もなく受験する気はなかったので、当時中学3年で、受験勉強をしながら、バレエを習うためにストレッチを開始しました。
開脚とかしながらテキスト読んでたなぁと、懐かしく思います。
その甲斐があってバレエに問題ないくらい柔軟性は向上しました。(15歳からでもいいのだと驚き)
そして高校は志望校に合格しましたが、宝塚受験的には勉強が大変そうな高校なので、合格発表を見に行って戻ってきた私の顔は絶望的だったそうです(祖母談)。
高校に入学してからの宝塚受験生活はまた後日まとめます!
もっとギャルメイクやコスプレの話を書くかなと思っていましたが、意外とあっさり。
結局、目的があってやっていた訳でもないし、逃げ道でしかなかったからなのかなと今は思います。
特徴的なのでインパクトのためにたまに自己紹介で使いますけどね!
引き続き、私のことをもっともっと理解していただけると嬉しいです♡
よろしくお願いします!