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(株)BasicIncomeのCOOになりました

お久しぶりです。篠塚です。

11月17日から12月28日までと1月3日から2月19日までで合わせて大体100日間ほど入院していました。

僕の病気の名前は「双極性感情障害」です。

双極性感情障害というのは、ハイテンションで活動的な躁状態と、憂うつで無気力なうつ状態をくりかえす病気です。躁状態になると、多弁になる、眠らなくても活発に活動する、次々にアイデアが浮かぶ、自分が偉大な人間だと感じられる、妄想が始まる、買い物で散財するといったことがみられます。鬱状態になると、何にもやる気が起きない、音楽も聞きたくない、本も読みたくない、誰にも会いたくないという症状が現れ、ひどくなると希死念慮も現れます。

僕の場合は躁状態が激しくこの2回の入院は躁状態で入院しています。7月の終わりに一週間入院した時は鬱状態での入院でした。

11月の半ばに躁状態に入り、なぜか自分が探偵であるという妄想にとらわれました。そして誰かに追われているし、誰かを追っているという妄想が始まりました。逃げるために京都の福知山(ベーシックインカム社代表の池内さんがいる)に向かいました。なんとか京都の福知山に着いたものの、池内さんが福知山シネマ(福知山にある映画館)にいると何故か思い込み、福知山シネマに非常階段から登り、全裸になりました。近くにある家に全裸で飛び降り、そこの家の人に警察を呼ばれました。事情を話すと、福知山市立病院に運ばれ、検査を受け、その後福知山警察署に連れられました。朝、池内さんに警察署まで迎えに来てもらい、その後一緒にアウトレットに池内さんと行きました。その時に僕は完全に躁状態に入っていて、アウトレットで財布に入っている現金を知らない人にばら撒きました。京都に来る前も新大阪の居酒屋で僕は近くにいたお客さんと店の人に一万円札を配っていました。

その時の頭がおかしくなってる僕を見ていた池内さんはこう思ったそうです。

「負けた。」

福知山までお母さんが迎えにきましたが、福知山から京都まで一緒に行った後、脱走しました。母親が本物の母親でないという妄想に囚われたのです。この時の僕は人類の中にAIが紛れ込んでいて、人類 VS AIの戦争が行われているという妄想をしていました。

母親が僕の友達に連絡し、親友の三宅くんが僕に電話をかけてきて、ビデオ通話をしながら東京駅まで新幹線で行き、東京駅まで三宅くんが迎えにきてくれました。

翌日、地元の精神科の病院に行き、僕は11月17日に強制入院することになりました。

食べたいものも食べられず、酒も飲めず、会いたい人にも会えない。したい仕事もできない。

入院生活は長くて苦しいものでした。

ようやく12月の終わりに退院できたもののたった五日間で再発し、また入院。

具体的にどうおかしくなったかというと、1月2日の夜に家を飛び出し、タクシーで横浜まで行き、横浜の友達を読んでタクシー代を払ってもらい、横浜でお酒を一緒に飲んだ後、東京駅までタクシーで行き、東京駅を朝になるまでぐるぐるして、朝になったらタクシー実家がある流山まで帰りました。いろんな場所をぐるぐるしてタクシー代は4万円越え。払えなくて、友達を呼びに行って、友達に立て替えてもらいました。その後病院に行って任意入院でしたが、入院した次の日に医療保護入院になり、隔離されていました。隔離しなければいけないほどの躁状態だったということです。

入院中は村上春樹を読み(海辺のカフカ、1Q84、アフターダーク)、ウォークマン(ビートルズばかり聞いてました)で音楽を聴き、あとはひたすら寝ていました。時間がなかなか進まないので、寝ることで時間をなんとか進めていました。

精神疾患になってよかったことが一つあって、それは村上春樹を読むのが前より愕然と面白くなったことです。精神疾患になる前から十分面白かったですが、なんだか村上春樹の描く世界観に没頭できるようになりました。

さて、長い入院生活を終え、僕は今京都の福知山にいます。今の精神状態はだいぶ落ち着いています。もう変な妄想もありません。

株式会社BasicIncomeは東京の会社っぽいですが実は京都にある会社です。京都の福知山という自然豊かな場所に会社の本店があります。

代表の池内さんが住んでるところで、とても大きい家です。そこで今は休養しています。昼からお酒を飲み、夜は早く寝ています。思う存分ダラダラしています。池内さんからも「バケーションだと思ってゆっくりしていきな」と言われてこっちに来てからずっとダラダラしていました。

ずっとダラダラしてて思うのは、「このままではいけない」ということです。

京都に来る前も、実家でのんびりと過ごしていました。もちろん医者からもゆっくり穏やかに過ごしてというふうに言われていますが、ずっとダラダラしてるわけにはいかないし、自己嫌悪でダメになってしまいそうです。一体俺は何をしているんだという気になってきます。病気とうまく付き合うのは大切だと思うけど、病気を理由に逃げたくはありません。病気を理由に挑戦しない人生を選ぶのは絶対に嫌です。

さて、僕はいま自然豊かな場所で自分の人生というものをゆっくりと考えています。今までの人生で一番のんびりしているとおもいます。

思い返してみると、やはり僕の人生は不思議で変わった人生だなと我ながら感じます。

高校生の頃はめちゃくちゃ勉強して、東大に落ちて早稲田大学に入り、早稲田に入って一年間はまともに勉強しましたが、二年生になり、池袋でAV女優とヤレるという詐欺にあってから、僕の人生は今までとは全く違うよくわからない方向に進むようになりました。

大学3年になる寸前、ベーシックインカムシネマズ第一号の受給者に選ばれ、AV男優を目指すことになりました。

僕は高校生の頃は、将来は商社に入って、人生の勝者マンになることを夢見ていました。しかし、ベーシックインカム受給者に選ばれたことで人生が狂いました。高校生の頃の自分に「大学生になったらAV男優になるよ」と言ったら発狂すると思います。

本当は大学3年の秋から中国の西安交通大学というところに留学が決まっていました。手続きも進めていました。しかし、僕はベーシックインカムを片手に中国留学を辞め、AV業界に留学することを決めました。僕の仲良い友達はみんな中国に留学に行きました。これは悩ましい決断でしたが、AV男優になるほうが面白い人生になるという直感のもと僕は中国留学をキャンセルしました。

2019年の7月からベーシックインカム実験に参加して、本当にAV男優になり(最初はAV女優だったけど)、起業し(失敗したけど)、自分でイベントを開くなど、さまざまなことに挑戦しました。メディアにもたくさん取り上げられ、波にも調子にも乗っていました。可愛い彼女もでき(今回の入院で別れることになりました)、ありえないくらい幸せな時間を過ごすことができました。

普通に大学生活を送っていれば絶対にできない経験をたくさん過ごしました。ベーシックインカムがあることで健全でクリエイティブな日々を過ごすことができました。

去年の6月に毎月20万円のベーシックインカムを卒業し、その後、株式会社ベーシックインカムでインターンをすることになりました。僕の人生はもうベーシックインカムとは、そしてベーシックインカム社とは切り離せないものになりました。ベーシックインカムシネマズなしでは僕の人生は語れないし、それはこれから先もずっとそうだと思います。福知山に来て池内さんとたくさん話をしました。

「慶さん、そろそろ仕事復帰したいんですけどいいですか?」

「もうちょっと休んでたほうがいいんじゃない?」

「退院してからずっとゆっくり休んでたんですけど、なんもやってないと自己嫌悪ひどくなるし、どんどん何もできなくなっちゃう気がして、だから仕事させて欲しいです」

「本当に大丈夫?」

「大丈夫です。病気コントロールしてなんとかやります」

「じゃあ自分のペースでいいからCOOやってみる?」

「なんですか、COOって?」

「え、知らないの?チーフおちんちんオフィサーのことだよ」

COO(Chief Operations Officer)とは、最高執行責任者のことを指し、CEOの決めた方針に従って日々の業務を実行する責任を負う役職のこと

てなわけで、COOになることになりました。まあ肩書きは関係ありませんが、責任感持ってやっていきます。とにかくできることから自分のペースでやっていこうと思います。できることからちゃんとやった上での「できっこないをやらなくちゃ」です。再発しないように十分に気をつけて生活しながら、仕事も頑張っていきます。

今後とも篠塚をよろしくお願いします。









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篠塚康介
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