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#2 発症と500ml缶ジュース

中学に入る少し前、なぞの蕁麻疹が出るようになった。体質的にできやすいのだと思っていた。

中学生になり、クラブ活動が部活動になった。
「先輩」の存在ができた。
上下関係は歪だった。
別の部活動の先輩からもこき使われた。(その部活には新入部員がいなかった)
先輩たちのサボりの見張り役をさせられた。
部活動終わりの体育館玄関で、先輩たちのおしゃべりタイムに無言で付き合わされた。
後輩は正座の足を崩さず、聞くだけ。
足を崩していい指示があるまで私たちはひたすら正座をした。
無駄な先輩からの「指導」という名のやっかみを、閉鎖された更衣室で言われた友人を何人も見てきた。

幸い、自分に直接その火の粉がふりかかることはなかったが、見ているのが辛かった。
言われているのを聞くのが辛かった。
その空気を感じるのがイヤでイヤでたまらなかった。
こんな先輩、こんな人になるかと心に誓った。

「よくあること」なのだろうが、今でも当時を思い出すと気分が悪くなる。
嫌なこと言った、した先輩の顔を忘れない。
お前ら差し置いてレギュラーとってやるから覚えてろよ、の気持ちで練習に励んだ。
スタメンに選ばれるようになった。
心の中ではサボる連中を見下していた。
自分は「そうはならない」と何度も違った。

そんな折、足を捻挫した。
剥離骨折の診断が出た。
スタメンからは当然外れたが、怪我が治ると試合に出させてもらった。
しかし、怪我した足を庇うように反対の足を怪我をして、また練習はできなくなった。
部活に参加しないでいいのは少し気楽であった。

中1の冬、インフルエンザにかかった。
38〜39度を超える発熱だった。
しかし、検査するも陰性だった。
医者は首を傾げたが、流行病だからとインフルエンザの診断が出た。
私はその翌月も、またその翌月も「インフルエンザ」にかかった。
そんなわけはなかった。
「黒歴史」という言葉があるが、本当に長くて辛い暗黒時代がやってきた。


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