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海に向かって投げた石。

 はじめまして。志昇と言います。

 自己紹介は苦手です。合コンとか絶対行きたくありません

 自分の周りにある(もしくはあった)、モノ、場所、人、出来事などについて感じたことを書いていけば、そうして今後じわじわと積み重なるであろう私の文章すべてが自己紹介になると言っておけば、結構オシャレなのではないか、と考え、そのオシャレ企画を採用することにしました。採用担当は私なので、私の考えた企画は大体通ります

 まずは、私の生まれ故郷利尻島と、「じじ」のことを書こうと思います。「じじ」とは、もちろん祖父のことですね。

 利尻島は、大昔に火山が噴火して出来た島で、地名の由来はアイヌ語の「リイ・シリ(高い・島)」から来ています。

 島の中には、山の周りを囲むように利尻富士町、利尻町と2つの町があり、現在は合わせて約5000人が生活しています。私が生まれた頃の人口は約10000人ですから、30年余で半数になってしまいました。高校から島を離れ、現在札幌在住の私も、故郷の過疎化に一役買ってしまっているということになります。

 一方で、漁業と観光が基幹産業である利尻の魅力を、島内の人はもちろん、島を訪れファンになった多くの人たちが協力しながら発信し、人口減少の問題を解決すべく奔走していたりするのです!素晴らしい!!・・・偉そうに書いていますが、今の所私自身は、年に1、2回帰省しては実家でダラダラ過ごすだけで何もしていません。故郷への恩返しはもう少し待って頂きたい。

 私の実家は利尻富士町にある、鬼脇(おにわき)という地区の、字二ツ石(ふたついし)という集落にあります。中学を卒業するまで、ここで父母、母方の祖父母と暮らしていました。兄が二人いますが、どちらも先に札幌の高校へ進学します。

 さて、ようやく今投稿の主役、じじの登場です。

 なぜじじのことを書こうと思ったのか。それは自分でも分かりません。私の家族は、他の家庭から見るとまあまあキャラの濃い面々が揃っています。それぞれ、人に知られたら恥ずかしいくらいの個性や経歴を持っています。まあ、島に住んでいる人には大体知られてるんですが、これは私の家族が有名だからというわけではなく、田舎特有の狭いコミュニティのなせる業なのですよ。

 で、そんな個性的な家族の中で、私から見て(多分周りから見ても)キャラの薄さランキング堂々の一位がじじなのです。二位が私。おめでとうございます。賞品は何ですか?

 正直、15年同じ屋根の下で暮らしていて、どんな話をしたかさえほとんど覚えていません。にも関わらず、noteで最初に書きたいことを考えた時、思い浮かんだのがじじでした。

 ちなみにこの投稿のタイトル、一見深い意味があるように思われるかも知れませんが、私のじじに関するおそらく最初の記憶です。

 写真のような、家の前浜に転がっている石を海に向かって投げて遊んでいたのですが(田舎のガキんちょの遊びなんてこんなもんです)、そのうちの一つがじじの背中にぶつかったというだけです。石と言ってもあれです、直径20cm、重さ5kgくらいのやつ。当時5歳くらいだったと思いますが、あやうく若くして人の命を奪ってしまうところでした。この時も怒られた記憶がないのだから、相当キャラが薄かったのか、もしくはあまりの衝撃にじじの記憶が飛んでいたか、どちらかですね。

 というわけで、ここからは印象に残っているじじの記憶を辿って行こうと思います。書き終えたとき自分は何を思うのか、それが楽しみで確かめてみたい、というのが書く動機の一つかも知れません。

じじの記憶【原付】

 利尻では、6月上旬〜9月中旬までがウニ漁、7月〜8月にかけてはコンブ漁のシーズンとなります。じじもこの時期になると、磯船と呼ばれる小型の船で海に繰り出していました。

 ウニ漁は大体、朝の5時半〜8時頃まで行われます。この時間内に採取し、数時間後に出荷、採った量にその日の入札価格をかけた金額がざっくりとした収入になる訳です。もちろん海がしけている日は漁に出られないので、その日の収入は0。なので多くの人は、漁を終えた後に土方(土木・建築等の作業)や養殖の出面等、他の仕事をしてお金を稼ぎます。じじもその1人でした。

 さて、漁の開始と終了は漁業組合から放送で知らされます。極端に意訳すると、

「おい起きてっか。今日は5時半から7時だから。分かったらさっさと支度して沖出ろや」

みたいな内容です。

 余談ですが、この漁の開始と終了をそれぞれ、「旗が上がる」「旗が下りる」と言います。現在のように放送がなかった頃は、その名の通り、各地区の海から見える場所に出漁を告げる旗を掲げていたのです。赤や黄色など、その日採る海産物により旗の色も違ったのですよ。このようなちょっとした知識も放り込んでいけば、読んでくださった方々も勉強になるのではないでしょうか。知りませんけど。

 さて、当時の私は小・中学生ですから、平日はもちろん学校に通います。家が市街地から車で5分ほどの場所にあるため、学校へは毎日スクールバスで通っていました。家の前にバスが停まる7時半から8時頃までは、停留所の奥にある急な坂道を下って浜に行き、じじが採ってきたウニの殻を割る作業を手伝います。

 自他ともに認めるプロ級のウニ割り少年の私にかかれば、旗が下りてから数十分の間にすべて割り切るなど造作も無いことでした。じじが採ってくるウニの量は約100個。念のため利尻漁協に勤める同級生に確認しましたが、この個数だとノナ(キタムラサキウニ)の場合出荷時で約5、6kg、ガンゼ(エゾバフンウニ)の場合約2、3kgといったところでしょうか。いずれにしろあの頃、もしも世界ジュニアウニ割り選手権があれば、9連覇は確実だったでしょう。

 割ったウニからじじとばばが身を取り出してザルに分けていくのですが、この採れたてのウニをちょこっとだけもらって、ばばが作った握り飯に添えて食べるのが至福の時間。まさに私にとってウニ割りは朝飯前だったわけです。ワハハ。あ、「ばば」は祖母のことですね。 

 さて、幼い頃の記憶においてハプニングはつきものです。超絶的なテクニックと集中力でウニを割り、超高級握り飯を頬張っていると、時間などあっという間に過ぎて行きます。

 自分はこのために生きているのだ、これが俺の生きる道なのだ!と子どもながらに浸っていると、ある音がその感傷を打ち消します。そう、クラクションです。

あ、バス!

 記述の通り、浜へは停留所の奥にある急な坂道を下って行きますから、当然坂の下からバスの姿は見えません。そもそもバスが来る時間の数分前に停留所の前で待機しておくのが、よい子の当然のルールです。

 慌てて坂を駆け上がったところで時すでに遅く、虚しくバスの後ろ姿を見送るばかり。さっきまでの偉そうな感傷がすっかり傷心へと変わる中、とぼとぼと坂を下りてじじとばばに報告すると、

「よし、バイクであべ(行くぞ)」

じじは、俺が原付で送ってやる、と言うのです。じじには車はありませんでしたが、古めかしいカブを持っていました。何度このカブの後ろに乗って学校に行ったことか…。

 おっと、「学校に連絡すれば先生が車で迎えに来てくれるんでない?」というツッコミは想定内です。学校でも優等生で通っていた私に、バスに乗り遅れました、などというかっこ悪い報告をする気は1ミリもなく、本当は寝坊したんでしょ?とか思われるのはもっと嫌です。なんなら、じじが原付を飛ばしてバスに追いつけば、乗り遅れたこともばれずに済むんじゃね?と思っていました。

 そう、こういう時の私は非常に憎たらしい考えを持つのです。原付の上で、磯臭さ香るじじの背中にしがみつきながら考えていたことは、

バスに乗り遅れたのは悪いことじゃない。俺は朝早く起きてウニ割りを手伝うじじばば孝行な孫で、朝のホームルームの時間に間に合うようにギリギリまで寝ている他の同級生よりよっぽど偉いじゃないか。

ということでした。

 当時じじは60歳を超えていました。80歳を過ぎても現役の漁師は島にまだ何人かいますが、これは尋常なことではありません。わずか2時間前後の漁と言っても、朝早く起きて小さな船に揺られ、目を凝らしながらいくつもの漁具を手・足・口で器用に操り、全身の筋肉を駆使しながら何とか成果を得る作業です。陸に上がった後は、ひとっ風呂浴びてすぐさま眠りにつきたいはず。

 それなのに、一息つく間もなく「こったらべっこけ!(たったこれだけかよ!)」とばばに叱られ、小言を言われながらウニの身を剥き、挙句の果てにバスに乗り遅れた孫を学校まで送っていかなければならず、そのまま土方の仕事へGO…

 今でこそ、過酷な肉体労働をこなす島の漁師たちには、尊敬を通り越して畏敬の念を抱きますが、当時の私は、ただウニの殻を割るだけの単純作業の中でその技術を誇り、大いに満足し、自分の失敗をどうやって正当化するか、ということに知恵をしぼる少年でした。じじの疲労のことなど一切考えず、自分のちっぽけな自尊心を守るために必死だったのです。

 子どもにとっては、その時自分が置かれている状況が世界のすべてなのでしょう。

 私の職場でもたまに、親の言うことを聞かず立ち読みに没頭しているうちにはぐれてしまい、泣きじゃくった挙句、親を見つけるやいなや、

「どこ行ってたのさ!」

と悪態をつく子どもを見かけます。そんな時は、他人の子どもであるとか関係なく、

「おい、お前……!」

と叱責したい思いが喉まで出かかるのを必死でこらえます。

 でも、それはこちらが大人だから言えることであって、何かに没頭して途中でつまずいたら、逃げたくなったり誰かのせいにしたくなるのは自然なことです。そんな事を繰り返しながら、ちょっとずつ周囲に目が行き届くようになり、自分の周りにいる人達の気持ちを慮ることが出来るようになっていきます。それが「大人になる」という事ですよね。

 あの時、原付の上で私がすべきだったのは、じじを急かすことではなく、同級生に対してどうマウントを取るかを考えることでもなく、じじの背中の大きさをしっかりと目に焼き付けておくことでした。

 えてしてこういうことは、だいぶ後になって気づきます。当時の自分に説教出来ない以上、同じことを繰り返さぬよう心に留めて生きていくしかないのです。

 ここまで書いて、新鮮な発見がありました。記憶を辿り、当時の情景に身を置くことで、そこに登場する人々の背景を想像出来ること。あくまで想像に過ぎないのだけれど、それは後悔というネガティブな感情を超えた、紛れもない自分自身の成長の証なのだ、という単純かつポジティブな発見です。ものすごい自己満足ですよね。

 でも、本や音楽、映画にも似たような所があって、作品や登場人物の背景を想像し思索に耽ることで、たとえ一瞬でも自分が高尚な人物になれる気がします。作り手が何を想っていたか、そんなのは作り手にしか分かりえないことで、心を突き動かされたのだとすれば、恋愛映画を観て「これは猟奇サスペンスだ」と思おうが受け取る側の勝手、そこに正解も不正解も無い訳です。

 少なくとも私にとってじじの背中の記憶は、ベストセラーやメガヒットの創作物に勝るとも劣らない、芸術的に価値のある情景なのですよ。

 今後、誰かのバイクの後ろに乗ったり、間違って大きめの石をぶつけた時は、その人の感情や痛みを想像するなど容易いことのように思えて来ます。そういう意味でじじは、キャラの薄さランキング第一位、もとい、私主催映画祭主演男優賞にノミネートしておきましょう。賞品は干し芋とかにしておきましょう、よく食べてましたから。


 さて、ここまで読んでくださった奇特な方、どうもありがとうございます。不定期になると思いますが、じじのこと、じじ以外の家族のこと、そしてそれ以外に私が関心を持っていることを書いていきますね!


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