見出し画像

(私の)注文が多くなる料理店

ひとりで外出のディナー的なご飯を食べるのは久しぶりで、ひとり旅をする中での小さな一大イベントでもあった。お店は1ヶ月前に予約をし、「おひとりでしたらアラカルトよりもコースがいいかもですね」と勧められた。電話口の声が、暖炉の前にいるような心ほぐれる柔らかさをもっていたこと。それだけでこのお店を予約してよかったと、電話を切ってすぐに思った。

19:00。時間通りにお店の前へ。知らない土地、はじめてのお店へ向かう足はほんの少しの緊張感を持っていたけれど、お店の小窓から漏れている暖かい光を見て、あの電話の声と一緒の空気感だ、と思った。

そっと扉を開いたら、とても落ち着きのある青年が微笑みながらこちらを見て、「いらっしゃいませ、ご予約ですか?」と言った。あ、あの声の人だ。私はてっきり店主がひとりで営んでいて、店主さんの声だろうと思っていたので不意を突かれた。

カウンターに案内してくれた。カウンターに移動するまでのほんの数秒の間に触れた空間だけでも、このお店の“良さ”を感じた。静かだ。静かで優しい。そしてその優しい温度感は、先ほどの青年、サービスの彼の声へと続く。「お飲みものはどうしましょう?」

座ると足が浮くくらいのカウンターのイスに座って、どんなお料理が出てくるんだろうとわくわくしている。奥にはシェフの後ろ姿がチラリと見える。あ、あのシェフが店主さんだ(インスタに載ってたし)。

前菜3種のうちのひとつに、切り干し大根がでてきた…!イタリアンで!?と一瞬不意を突かれたけれど、完璧にワインに合うそれだった。切り干し大根とドライトマトが組み合わされていて、味がぎゅっと詰まっていた。キリリとした白ワインを早々に飲み終えてしまって、「次はオレンジなんていかがでしょう?」

ミントとゴルゴンゾーラのニョッキ。ほんのりクセのある味わいが口に広がりながら、スッと清涼感が抜けていく感じ。最後のスッが絶妙なタイミングでやってきて、やっぱりその味わいはクセになる。
リゾットは白米ではなく玄米で。これまたワインをすすませる何かが、このリゾットの中に潜んでいる気がする…。と思っていたらすかさず、「納豆が入っているんですよ」

納豆、すなわちそれは私の苦手な食べ物。イタリアンで納豆が出てくるとは思わなんだ、「苦手な食材などありますか?」の予約時の質問には、ないです、と伝えていた。しかしながら、、うまい。いわゆるネバネバしたものではなく、においもない。味が凝縮した豆、という感じ。「それはですね、京都の納豆を◯◯したものです」と教えてもらい、そのときには、へ〜!などと言っていたが、すっかり◯◯の部分を失念してしまった。酒の席なのでやむなし。

お酒とお酒の間を繋ぐカウンター越しの短い会話。はしっこに並べられた、このお店の趣向がわかる奥ゆかしい書籍たち。柔らかい照度。
ひとりだからこそ、一口一口をじっくりと噛み解いて味を確かめる。少し遠くにあるシェフの後ろ姿を見ながら、「天才ですか?」と心の中で感嘆しては大事に喉に通して胃にしまう。誰かと囲む食事が一番だというのはきっとそうだけど、ひとりのときは食事を“嗜む”という感覚が芽生えて、とても新鮮だった。

メインの豚肉さんがやってくるころには赤ワインを勧められ、もう料理の名前も覚えられてないけど、カリッとしてフワッとして、お肉を表すのに使う擬音じゃないような食感だった。味はお肉なのにね、何か別のものを食べているかのような、そんな楽しみも含んでいた。

心がするするする〜とほどけていく。お酒でほろ酔いになったって、ひとりだからおしゃべりして騒いだりしない。ただただこの素敵な時間にうっとりゆるゆると酔いしれるだけ。

そう、そんなふうにゆるゆると油断していたら、最後のデザート、チョコレートアイスをひと口食べて、突如に目がシャキになってしまった!ひ、ひえ〜、これはおいしすぎるっ……!!!カカオの濃厚な味わいが口に広がるだけでもおいしいの極みなのに、そのまま優しく消えていくのではなく独自の食感を残して消えていく。なぜ、なぜ、どうして?と頭が混乱するほどうまい。完璧なるフィナーレ、と思われたそのとき、「その溶けたチョコレートにパンをつけて食べてもおいしいですよ」

悪魔のささやきが聞こえた。いや、小悪魔か?そんなのどっちだっていい。悪魔でも小悪魔でも天使でも、その誘いを断るつもりはねえ!!という前のめりな意気込みであった。そういうことで、目の前に広がるチョコレートの海に目を輝かせながら、パンがやってくるのを待った。食後酒なんかも出してくれて、気分はとっても上々だ。気付けば他のお客さんたちもほとんどお店をあとにしていて、私はずいぶんとこの時間を楽しんでいることに気がついた。

「食いしん坊は大歓迎です」

さっきまでとは違う声、違う笑顔が不意に私の目の前に現れ、パンをのせたお皿を渡してくれた。

「シェ、シェフ〜〜〜!」

と心の中で歓喜の声を発しながら、「おいしいですぅぅぅ」と、眉間に幸せのシワを寄せながら喜びを伝えた。さっきまでずっと後ろ姿しか見えなかったシェフ。ようやくのご対面。丸眼鏡からのぞく垂れ目の優しい笑顔が最高だし、「食いしん坊は大歓迎です」ってなんて素敵な言葉なの、と私は反芻した。いろいろ食べたくて、ついつい注文が多くなっちゃったな。

盛岡は1℃とかもしくはそれ以下の寒い夜だったけど、お店から外に出たときも不思議と寒さは感じなかった。ワインのおかげでポカポカしていたこともあっただろうけど、それ以上に温まる理由があった。《Due Mani》をあとにした私の帰り道はまぎれもなく幸せで、それ以外の言葉はなくて。両手でその温かいものを包み込んで、いつまでも離したくない、そんな夜だった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集