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もう私たちが創り出すことのできない世界
たどり着けばそこはマイナス1℃で、私は早朝6時から温泉に入った。昔からある地域に根付いたスーパー銭湯。深夜の高速バスで6時間かけて盛岡にやってきた私は、まだお店なんてどこも開いていない中で、完璧な選択をした。
知らぬ土地で、とても寒くて、湯気がぷかぷかで、体が温まって。至福をぎゅう〜と集めたようなひととき。しかも一番風呂だから、誰にも触れていない澄みきったお湯で、清らかになったきぶん。
朝早くから動き出すって、いい。私は朝が好きで、特に夜明けが始まる前の朝が好き。まだ誰も目覚めていない静かな時間すべてが、まるで私だけのものであるかのように感じられて、ひひひ、と独占した気分でいる。
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湯煙に包まれ、朝一番からポカポカな心地よさに浸った私は、そのままの足でモーニングを食べに出向いた。お店の前まで来たもののオープンまで少し時間があり、待ちぼうけ。をくらうかと思いきや、そうならないことはすぐに確信した。
『パアク』と書かれたレトロな看板。『Park』と書かれたガラス張りの店構え。年季の入った建物は場末感が漂いまくる。そこで芽生える想いはただひとつ。こ、心が……く、くすぐられる……!
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待ちぼうけになるどころか興味津々で、パアクから出てきたお店のおばちゃんが掃き掃除をする姿でさえ、期待要素のひとつになった。
いざオープン。銭湯に続き、本日一番目のお客を陣取る私は、誰もいない店内に、ひひひ、となりながら入店……したが、「ひひひ」はすぐに「ひぃ〜!」へと早変わりした。
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お店の扉を開けるやいなや、カウンター越しに柔らかく小さな声で「いらっしゃいませ〜」とお出迎えしてくれたのは、私たちのイメージの中にある「THE・かわいいおばあちゃん」!
やだ、癒されるぅ〜なんてほっこりするのも束の間、
異世界現る。
え、タイムトラベル?ドラえもん?サリーちゃん?メルモちゃん?
そんな懐かしのキャラクターみたいな、今の時代にはない色がたくさん目に映り込んできて、心の中は軽いパニック(ひぃ〜!)。右、左、前、後ろ、すべてに目が泳いで忙しい。ひとりなのにグータンヌーボみたいにどこに座るかとても迷うし、私は外の様子も見えるよう、ガラス張りの窓側、角の席に座って、この店内の眺めを肴にして朝ごはんでも食うか、という心持ちだ。
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朝ごはんを食べに来たはずなのに、お腹も空いているはずなのに、囲まれた世界にときめいて集中できない。と思っていたところにやってきたメニュー表がまたかわいくてどうしましょ。手書きの文字で書かれたさまざまなお品の横に、トーストセットやコーヒーなどの素朴で優しい風合いのイラストが描かれていて、ねえ、こんなにかわいくて、どうします?な心情。心を鬼にして(もうよくわからない心持ち)ホットケーキを注文。
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ホットケーキがやってくるまでの待ち時間?そんなものはありません。ただただ、店内の内装や調度品を愛でるための時間となります。まだ誰もいない時間帯、お客さんは私ひとりなので、絶景です。
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はじめての盛岡ということで、気分を盛り上げようと、盛岡出身である”くどうれいん”さんのエッセイ本を旅のお供に持ってきた。さて、これでも読みながらゆっくりとしたモーニングタイムを過ごそうかね、などと安易に本を取り出してテーブルに置いたら、本の装丁とテーブルの色が完璧なマリアージュを生み出してしまって、もう運命を感じずにはいられなかった。
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その流れでやってきたホットケーキとコーヒー。テーブルに置かれた瞬間、私は、私はもう、言葉を失った。おりこうさんな子供が行儀良く正座して座っているみたいな雰囲気で、ホットケーキのお手本のようなホットケーキが、乳白グリーンのお皿に乗っかっている。現代に生きる私たちにはもう作り出せないような世界観が、テーブルの上に集結してしまったとしか思えなかった。
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とにかくひとりでこの時間を噛み締めながら過ごした。ゆっくり食べたし、ゆっくり飲んだ。ホットケーキを4分の1ほど残しながら、追加でカフェラテを注文したころに、1組のお客さんがやってきた。20代前半のように見える男女カップル。こんな素敵なところでモーニングデートかしら、なんて思いながら、彼らの幸せを願った(勝手に)。
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「こんなお店あったんですね、初めて来ました」
「そうなんですよー、私ここ好きで」
「へ〜、そしたら喫茶店とかカフェとかよく行くんですか?」
「行きますね、コーヒー飲みながら本読んだり。あ、でもスポーツしたりするのも好きなんですよ」
違った!This is NO カップル!
むしろマッチングアプリのデート!
とてもいい、とてもいいです。おふたりの人柄もあってか、さわやかな朝活。青春。古き良きな場所と現代文化の融合。素敵な時間が流れていると感じました。私がマッチングアプリをしていたとしてここに連れてこられたら、もうそれだけで好きになる自信があります。
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カフェラテを飲み終えるころにはずいぶんとゆっくりした時間を過ごさせてもらい、とても満足した。ふたりに幸あれ!と、また勝手に幸せを願いつつ、私は席を後にした。
お会計を済ましたところで、カウンター越しにいたおばあちゃんが私のそばにやってきた。にこにこかわいいおばあちゃん。
「たくさん食べてくれてありがとうねえ。本当にたくさん食べてくれたねえ」
と、嬉しそうに垂れ目になりながらお礼を伝えてくれた。私、たくさんは食べてないし(ホットケーキだけ)、おそらくカフェラテを追加したことでそういう印象を持ってくれたのかもしれないけれど、おばあちゃんの嬉しそうな顔を見ていたら、ホットケーキあと2枚くらいいっとけばよかったと、心底後悔する思いであった。
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はあ、盛岡の旅楽しかったなー。
パアクを出た私は、始まったばかりなのに旅を終えたほどの充足感に満たされていて、もう間もなくてっぺんに昇る太陽の輝きを見ても、今の私の心の方がきらきらしているように思えた。
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