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子育て、親育ち                     【感覚過敏】

36歳で 母親一年生になった私は、それまでの人生で‟子育て”というものについて 殆ど関心を持たずに過ごしてきたこともあり、
わからない事だらけ、知らない事だらけの中で その一歩を踏み出した。

母親としての先輩である妹がすぐ近くに暮らしていたことと、
その妹が出産祝にくれた「育児の百科」松田道雄・著がバイブルとなり、
心の支えを得ることが出来たことは 大変幸運だったと思う。

そして出産のとき あの「生命の塊」に遭遇した。
多分その時、私の中に 子育ての「指標」のようなものが生まれたと思う。

それは、「眠り」だった。

「子育てとは よい眠りをもたらすこと」

これが私の子育ての指標だった。
時を追うごとにそれは確固としたものになった。
「よい眠り」の為に、何をするのか しないのか。
常にそれを自問していた。それしか考えてなかった。

まだ自律して動けない新生児の頃には 
自然の大気に触れることは 皮膚と気道の鍛錬であり、
それは良い運動であり「よい眠り」をもたらしてくれた。
 
動くようになってからの‟遊び”は文字通りの良い運動だったし、
笑うことや、泣くことも、よい運動に思えたので、
運動が足りないと感じた時は くすぐってでも笑わせたし、
むずがって泣く時は しばらく泣かせて 泣き顔を観察したりしていた。
                                
そのせいかどうかわからないが、
こぐまは 生後3か月頃には 夜、8時間一気に眠るようになった。
お陰で私はとても楽をさせてもらった。
病気の時以外は 夜 目を覚ました記憶がない。

1歳を過ぎるころからは、少し「過敏?」と感じることが 出てきて、
それは大きくなるにつれ 増え、反応が強くなっていった。

一番最初に感じたのは 1歳過ぎてベビーカーに乗ってお散歩に出る時、
光に対して拒否するような反応を見せ始め、
晴天の日は 殆ど目を開けない。
フードをかけて 顔に直接光が当たらないようにしているのに 
建物や木陰にはいるまで しっかり目を閉じている。
公園につき 遊び始めたら 普通に遊ぶのだが 
ベビーカーに乗ると 不機嫌に目を閉じる。       
ベビーカーが嫌いなわけではない。移動する時は 積極的に乗りたがった。

生活の中の 極々一部の事なので、気にせず過ごし、ベビーカーを卒業したら 忘れてしまっていたのだが。

2歳過ぎに ちょっと生活に支障をきたす反応が出た。
今度は「水」。    
それまでは お風呂に入れる時も気にせず頭からお湯をかけていて
嫌がったり 泣いたりしたことはなかったのが、
突然 顔に水がかかるのを嫌がり始め 
それは どんどんエスカレートしていき
顔に水がかからないための配慮がされなければ 
風呂に入るのを拒否するようになり
しまいには 顔を洗う事さえ拒否するようになった。

最初は 「そのうち収まる」と高を括っていたが、
一向に収まる気配がなく こちらもしびれを切らし
強硬手段に出たりもしたが、
その時は 幼児の最大の武器である「泣き」を躊躇なく発し、
それは何かの発作か と感じるような 
強烈で断固とした「泣き」で 
私達は てもなく白旗をあげることになった。  

試行錯誤の結果、
こぐまに 乾いたタオルを持たせ 
タオルを極力濡らさないように体を洗い、
その間一滴の水滴でも顔にかかれば すぐにタオルで拭けるようにして、
その後 仰向きにして タオルをこぐまの顔にかけ 
細心の注意を払って洗髪する。 
洗顔はしないことにして、お湯で濡らしたタオルを固く絞って顔を拭く 
というスタイルを作り 
そのスタイルは こぐまが小学校に上がるまで続いた。

その当時 これは 結構な大問題で 
ととくまと二人 夜 こぐまが寝てから真剣に話し合ったりした。
                                       でも まぁ こぐまが大人になっても そんな入浴をしている筈もなく、
きっと どこかの時点では 普通になるだろうから 
今は 先が見えず果てしなく感じるけど 
長くて数年の事、今だけの楽しい経験と思って 私達も楽しみましょう 
ということに落ち着いた。 


「風呂」問題ほどの支障はないが 
「マヨネーズ拒否」も 食事を用意する者としては 地味に困った。                                   マヨネーズを拒否し始めたのも 2歳頃からで 
それまでは 普通に食していた。
そして その拒否具合も 時間がたつごとにエスカレートしていった。

はじめは 直接マヨネーズがかかった野菜を食べなくなったのが、
だんだん味付けに少し使っても 味を見抜き 拒否するようになり、
ポテサラが少量入った弁当を、
全部に匂いが移ってて食べれないと言い出し、
果ては 隣に座った私が食べるマヨネーズにも 
憎悪の目を向けるようになった。

さすがに、この時は 少し話をした。                「こぐまがマヨネーズを嫌いなことは良く判っているし 
 私も ととも そのことは尊重します。                                       
 嫌いなものを無理に食べる必要は無いし、
 自分の『嫌い』をとことん貫く こぐまの姿勢も 尊重します。
 でも、自分が 周りの人に尊重されていると感じるなら、                                                   
 それと同じくらい 
 周りの人の 『好き嫌い』も尊重出来るようになってね。
 そうでなければ やがて 周りの人も 
 あなたの事を 尊重してくれなくなってしまうから。」


少し話が脱線したが、
こぐまの感覚過敏的反応は その後いろいろな方面に広がっていった。
保育園、小学校に進むと対人関係や心的感覚にも、強く表れるようになった。そして繊細になっていった。                        

小さい時は読み聞かせをしたりおしゃべりをしたりしながら、
「寝かせつけ」をしていたが、
こぐまが小2の時、私がパートタイムで仕事に出だしてから、
夜 私の方が先に寝てしまうというパターンが増え、
その頃から こぐまはだんだん寝つきが悪くなっていったようだった。

‟眠り”を子育ての指標にしてきた私は、このことを 重大に受け止め 
色々考え、 色々調べ、 色々仮説を立て、 色々と試みたが、
すべて空振りに終わった。

こぐまは 幼児期を過ぎ 身体と精神が飛躍的に成長する過程では
もう、母親の 思いつき的対処法を必要とはしなくなったのかもしれない。
成長の過程では色々な器官が微妙な 関係を持ちながら 
それぞれに ダイナミックに変化するのだろう。
不眠や、食欲不振、過食、疲労感、成長痛、情緒不安定、など 
日常生活にとっての困りごとでさえ、大切な成長の過程なのかもしれない。

そう思い直し その後は 極力余計な事をせず、
ただひたすら‟見守る”ことを心がけた。

それでも 小学生の間は 
家族3人 同じ時間に寝床に入り 
川の字で眠る 習慣だけは守った。

そして、中学生になってからは、
眠れない長い夜に ひとり もの想うことが出来るように、
家族の寝室だった部屋を こぐまの居室として与えた。





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