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「それが嫌いだ」と言うことから逃げてきたら、困ることもあるって話

また最近、自分で自分が嫌いになるようなことをしてしまった。
おそらく他人からすれば、そんなこと大したことがない、と言われるだろう程度のことなんだろうけれど。

今までは、そんなマイナスな感情や出来事はできるだけ文章に残さないでおこうと思っていた。
楽しいことや、HAPPYなこと以外は誰も見たくないでしょ、と。
あと、自分で記事を見返した時にもう一回落ち込みそうだから嫌だなぁ。とも思っていたし。

けれども、それはそれで心の成長?というか柔軟性の獲得に弊害があるんじゃないか?と考えが変わりつつある。

子どもも個人の人格と意志を持っているな、と思うほど成長してきて日々話をしている中で感じたから。

子どもがとにかく否定的な言動や、自分の中にあるマイナスと言われるような感情表現がすごく「下手だな」と感じることが増えてきた気がする。
例えば、後悔・怒り・悲しみ・憎しみ・・・とかの表現。

夕飯のメニューが口に合わなかった日の言い回しは、
「美味しかったー、でも、これは少し硬いからもういいかな・・・(とかなんとか曖昧な語尾)。」
という感じ。

私は、
「作ってくれてありがとう。でもあまり好きじゃないかな」
と言えばいいよ。(私だけにじゃなく、給食とかでも)と伝え直す。

私が子供を怒る前段階で
「何か言いたいことは?説明してくれないとわからないよ?」というようなことをやりとりしたい場面では、

「うーん。なんかイライラして涙が出る。なぜかは説明できない。」
という感じ。

逆に 楽しい、嬉しい、幸せ、という感情の表現は本当に上手い。
語彙も表情もバリエーションが豊富で、その対比もあってなぜ急に言葉で表現ができない時があるんだろう?と戸惑う場面があった。

でも、これは確実に私の影響だ!!

と芸人さんのラジオを聴いていて突然気づいた。
まぁ芸人さんだけでなく、色々な人のラジオを聴いていると

自分の失敗や、最近こんなことにイライラした、とか
後悔、屈辱的だったこと、あの人は許せない!とか
そういったことをすーーーーっごくたくさん話している。

話し方ひとつでこんなにも聴いてて楽しいし共感もするんだ。
私が普段子どもに対しても、自分自身に対しても無意識にやっていたことはマイナスの感情に蓋をしていただけ。
そんな感情を持ってはいけないよ、というように伝わっているのかもしれない。

後悔・怒り・悲しみ・憎しみのような感情も、人間あって当たり前なんだから、どんな風に表現するのかを磨いていった方がいいな。

うわーー、ごめんよマイサン。そして自分。
本当にさっき気づいたばかりなので、これから子どもとさらに話をしながら少しずつマイナスの感情表現も練習しようと思う。

失敗したこととか、イライラしたこととかあんまり筆がのらないけど
コミカルに書くぞ、というスタンスは忘れずにやってみるかぁ。
子どもにもいい影響が出ますように。

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