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ピースメイカー(ネタバレレビュー)〜いい自由意思系作品の答え

自由意思系作品とは


自由意思系作品は好きですか?と聞いてくるやつがいたら、必ず世間で浮いてるやつか大文字全角のDAIGOである。なぜなら造語症だからだ。ちなみに今の文章は大文字全角のDAIGOは余計だ。DAIGOは、そもそも世間から浮いてるのだから意味の重複である。
この文章を読んで大体の読者は爆笑してついこの記事をリツイートしてることであろうが、その中の中にはつまらなくて記事を閉じた人間もいるかもしれない。その選択こそがまさに自由意思である。
自由意思系作品というのは基本的にそういうことを説いて来る作品だ。今回レビューするピースメイカーや、最近のゲームだとディアブロ4などがそれに当たる。
典型的な物語の構成は以下のようになる。
1敵「人類は愚かだ。だから羊に対する羊飼いのような、支配者が必要だ!」
2主人公「人類は愚かだ。でも改善する余地がある!」希望的観測パンチ!
これが基本フォーマットではある。特に90年代rpgではラスボスが人間の場合は高確率でこのようなパターンである。主人公が感情論で言ってるだけじゃないかとツッコまれることが多いが、この物語のフォーマットが多様されるのはもちろん理由がある。
それは「勝てば官軍理論」が使いやすいということだ。造語を説明することに造語を使うというスパイラルに陥ってる気がするが、先程の説明に西村ひろゆきを入れるとわかりやすい。
1敵「人類は愚かだ。だから羊に対する羊飼いがのような、支配者が必要だ」
2主人公「人類は愚かだ。でも改善する余地がある!」希望的観測パンチ!
3西村ひろゆき「ラスボスさん人類は愚かとか言ってましたけど、負けてますよね笑。愚かなのはあなた達なのでは笑」
いかがだろうか。主人公の勝利こそがそのまま人類の自由意思の可能性の提示を兼ねているわけである。ここまで読んだ貴方達はこのフォーマットの弱点に気づくだろう。

結果論じゃね?

このフォーマットの弱点はもちろん、主人公の勝利がクリエイターに仕組まれたものに過ぎないからである。そういった作品を追っていればわかるのだが、主人公が敵に勝てたのは人間の自由意思の賜物だと表現できている作品は少ない。ゲームならレベルを上げてたりいい武器装備していたからでしかないし。小説やドラマでは脚本にそう書いてあるからでしかない。
では今回のピースメイカーはどうやってその問題に答えたのか見てみよう。

1敵「私達と同じように地球は環境汚染で住めなくなる。私が羊飼いになるしかないのだ!」

2「人間魚雷発射」

3 完

というのは冗談で、最後に決断した理由をピースメイカーは後に以下のように語っている。
「仲間を守りたかった」それだけだった。それはとても陳腐な答えである。はっきりいってこの答えで終わってしまえばピースメイカーは他の自由意思系作品と何の代わりはない。
しかし、監督のジェームズ・ガンは映画的な方法で最後に素晴らしい演出をする。
それは仲間を殺し、人類の敵であるバタフライにピースメイカーが餌を与えるシーンだ。それは人類の自由意思の良い面といえる、優しさを映像のみで表現している。また一緒に映る幻影の父親と、心優しき親友のワッシーはみな同じ方向を向いている。
人間の自由意思というのは凶暴性と、優しさや他人を許せる可能性の余地を残していることをたった1シーンで表現されているのだ。
闇は父親の幻影がさしていて、希望は傷心気味な主人に獲物を与えるワッシーを表している。その中央で餌を食べるバタフライ
一枚のワンカットでそれを言語を使わず表現する。
まさに一つの自由意思への答えだろう。

おすすめ度 ★5


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