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平本蓮さんのドーピング問題〜状況証拠で判断するのは悪なのか

 今総合格闘技会の中では、平本蓮選手のドーピング疑惑でもちきりになっています。
この問題で一番自分が興味深いと思った点は、状況証拠への各人の取り扱い方です。
このドーピング疑惑の話題が現実味を帯びてきたのは、ひとつの通話音声からです。

この会話の中には、ドーピングを使用しているという類の平本蓮さんの音声が収録されています。
この中で大きな論争の渦中はこの音声が、本物か、偽物かでした。
しかし、自分が気になったのはそもそもあやふやな、状況証拠で何かを論じるのは悪い。論じるのは馬鹿らしいので公式の検査結果を持つべき、という論理でした。
これらの論理は、疑わしきは罰せずという法治国家の基礎的な論理です。
 しかし、このような論理には私には疑問がありました。なぜなら日本の総合格闘技の世界では、ドーピング検査が万全の状態じゃないのは、ファンの間では常識の一部だからです。
 世界一の団体のUFCでは抜き打ち検査を行っています。事前に3ヶ月の予定を運営に伝え、担当の職員が、事前の連絡なく現れ、血液検査または尿検査を行います。
それに比べて今回の話題の中心の格闘技団体のRIZINでは検査を行うのはタイトルマッチのみ、尿検査を試合当日のみというものです。
 以下のことから考えると、物的証拠だけに頼るやり方では、ドーピングの使用の有無を判別することは難しいです。
 なので、そういった状況証拠を無視するのは思考を停止してると思うし、現実論としてファンが納得しないので意味がないと思いました。
 長々と話しましたが、1番いいたいのは最後の一文です。
 社会というのは納得を全てに優先するのです。
例え、疑わしきを罰せずといくら道徳を唱えたところで、それは法律的なマインドにすぎません。
 松本人志さんの不倫事件や、たぬかなさんの身長事件、HIKAKINさんの二股事件と、霜降り明星のせいやさん、zoom◯んこ流出事件。
これらは、全て状況証拠だけの事件で、法律的には問題ないです。しかし、各人が失ったものは大きく違います。それらの違いは社会の納得の有無ではないでしょうか。
 現代の社会は、疑わしきが罰せられる世界です。なぜならば、復讐だけを考えた場合、法律よりインターネットの拡散や、週刊誌の力のほうが強いからです。
 このような社会で理想論を唱えるのは立派だと思いますが、理想論というのは基本的に現実に対して、効力が一切ないと思います。
 よって結論は、状況証拠だけで他人を罰するのは現代では悪という認識はなくなっている。
 状況証拠が社会に与える影響は甚大なので、それがどのような影響をあたえるか無視することはできない。

おまけ
では、この疑わし気は罰せられる社会でどのような生存戦略があるのかおまけで、考えてみましょう。
1謝罪
もし仮に疑惑が本当であり反省する気があるならば、謝罪して認めるのが一番自分のためになります。HIKAKINさんの二股事件なんてのを、未だに責めてる人を見たことがありません。

2自分のメディアで発信。
今、平本蓮さんは、練習仲間の赤沢さんの告発で窮地に陥っています。状況証拠が多くなっていて、疑いが強まっている状態ですね。
 しかし、もし仮に平本さんが、全ての状況証拠に対してきちんとYouTubeなどで説明すれば、状況証拠は意味を失います。なので、自分のメディアを持つことは重要だと思います。

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