ぬけない

下書きにあった。

2016年4月16日。
私は熊本にいた。

大きく揺れ、割れ、友人の叫び声。直感的に、"死ぬ"、そう思った。

でも幸い私は生きていて、社会人2年目。仕事の不満を垂れ、願望ばかりを口にし、友人や彼と他愛もない話。ぐうたらして一晩をむだにすることも、酔っ払って帰ってきてベッドに突っ伏すこともある。

時々思い出すのが亡くなった大学生のこと。同じ熊本地震という経験で、彼は死に、私は生きた。私は今、彼が生きられなかった時間を生きている。彼の分まで生きようとか、そんな綺麗なことを思っているわけじゃない。でも、「彼が生きられなかった時間を生きている」ただその事実だけが、刺さる

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