火星人vsチェーホフの銃乱射事件——或るアレゴリー
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とゆわけで「チェーホフの銃」と言われて黙ってられないのが新城カズマ。
M「そうなんすか?」
S「うんまあ、物語工学(の可能性)を普段から提唱してる身としては^^;」
で、ネット世間で急速に同拳銃の使用法について誤解というか語義拡張が進行中なので、以下のような寓話allegoryを考えてみました:
* * *
(状況設定……あるとき地球に火星人が大挙してやってきて「この惑星はもともと我々の住居で」とかノンマルトなことを言ってきたので、すったもんだあったあげくどうやら太陽系は太古の昔から地球人と火星人があちこちで雑居してたことが判明し、なんとか両種族が共存和解の道を模索し始めてから数十年後だか数百年後だかの現在——に、あなたもわたしも僕も君も住んでるってところから話は始まります)
さて、あなたは地球人なのですが、ふだんから映画やTVドラマを観るにつけ悲しいこと(というかぶっちゃけ言うと、大いなる不満)が一つだけあるのです:それは「画面に火星人ばっかり出てくること」。
というのも、昔から映画やドラマを創ってるのは火星人が大半で、彼らは(おそらくあまり深く考えずに)火星人の出てくる火星人のための物語を創っては火星人をキャスティングしているとしか思えないのです。
というわけで、あなたはドラマを創る火星人の偉い人に文句を言いに行きます:
火星人「我々の創る物語に、なにか問題でも?」
あなた「なにがって、そりゃもちろん地球人がぜんぜん登場しないことですよ!そりゃ確かに現在の地球人口の過半数は火星人ですけど、我々がまったく出てこないってのは変じゃないですか!」
火「そう言われても、しかし顧客の過半数は火星人ですし。配給会社やスポンサーも経営陣は火星人が多いですし。そうなると、最大多数の最大幸福ですからして、いきおい物語は火星人をターゲットにしたものになり、火星人が気になる物語といえばやはり火星人同士の」
あ「そうとばっかりは言えないでしょう。地球人のことを知りたがる火星人もいますし、その逆だっています。ていうか、わたしたち地球人だって普通に街を歩いてるし職場にも居るのに、それがいっさい画面に出てこないってのは、いくらなんでも」
火「でも物語の中心は火星人ですし……ほら、『チェーホフの銃』ってご存知ありません?もとは地球の有名な宗教らしいですが、今ではすっかり我々の業界の標準として故郷の火星でも大いに活用され——」
あ「いや別に宗教ってわけじゃないですけど」
火「でもご存知でしょ?『話の進行に必要不可欠でないのならば、それは登場させてはいけない』って」
ここであなたは気づきます:どうやら、いつのまにか〈チェーホフの銃〉の定義が拡張しまくっていることに。あなたは叫びます:
あ「いやいや違いますって!チェーホフの銃はそういう意味じゃないですよ!あれはもともと19世紀の舞台演劇(の脚本)について医者兼劇作家のアントン・チェーホフが提唱した事で『ライフル(のような目立つ小道具)を、第一幕冒頭から舞台の真ん中に置いておくのなら、そのライフルは最後の第三幕が終わるまでに一度は使用されねばならない』ってことで…つまり伏線を張る時はフリかボケで目立たせてからオチまでにちゃんと畳んどけって意味で…別にありとあらゆるモノに対して、ましてや人間に対して、適用するべき発想じゃないんですよ!そもそも20世紀前半には、このロジックだか原則だかを鼻で笑って、全くこれに反する短編小説をヘミングウェイが書いてるくらいですから!……ていうか、あなたの論に従うなら、あらゆる映画やTVドラマや演劇や小説は、とんでもなく簡素で、味気なくて、それこそ本体とあらすじの区別も無くなっちゃうじゃないですか!」
火「えっ」
あ「『えっ』?」
火「”『えっ』?”?」
あ「あなた、まさか」
火「あらすじと作品てのは別物なんですか?それって混乱しません?」
このあたりで、あなたは思い出します……そういえば最近どうも映画やTVドラマが詰まらないなあと感じていたことに。
あ「とにかく、なんでもかんでも『チェーホフの銃』原則で運用しないでください。参考例として、これを置いてきます(と、あなたは分厚い『指輪物語』原書の一巻本バージョンを差し出します)」
火「はあ、それではとりあえず上司と相談してみます」
という会話が功を奏したのか、しばらくしてから映画やドラマの画面には地球人が登場するようになりました。しかし——それは、常に黒いマントをひるがせ、高笑いをし、地球環境を破壊したがり、戦争を煽り、なにかといえば女性の尻を追いかける悪役の男性か、もしくは美しい髪をなびかせ、子供を育てるのが大好きで、やたらと料理が上手で、なにかといえば重みのある格言や箴言を口にする善人の女性ばかりだったのです。
あなたは再び抗議におもむきます。
火「地球人を登場させていましたが、なにか問題でも?」
あ「ありまくりですよ!なんてあんなステレオタイプばっかりなんですか!」
火「いやしかし、過去1万年間の統計資料によれば、地球人文明の大半は、環境を破壊し、戦争を繰り返し、男と呼ばれる性は女性を追いかけ、女性とかいう性は子供と料理を」
(そう言いながら、火星人は自家受粉して細胞分裂し、自身のコピーを生み出しています。)
あ「わたしたちは統計的存在じゃないんです!ていうか物語は統計だけからじゃ創れません!今のわたしたちを見てください!そもそもなんで黒いマントなんですか!」
火「しかしマントを着る風習は地球人にしかありませんでしたし……近頃は変わり者の火星人もマントを羽織ってますが、どうにもサマにならず。やはりマントと言えば地球の方々が」
このへんで、あなたは更に気づきます——どうやら火星人から見た地球人の『地球人らしいところ』というのは、地球人が思っている『地球人らしいところ』とは別物であることに。
——いってみれば、火星人は舞台の真ん中に特大のマシンガンが置いてあっても普通の事だと認識するかもしれないし、逆に地球人は火星人が自家受粉するたびに「いったい何事だ!今の受粉には、なにか政治的なニュアンスが込められているのか?なぜやつらは我々が普段やらない奇矯な事を我々に見せつけているのだ?これは宣戦布告か、それとも嘲笑か?」と慌てふためいてしまう(かつてそんな時代があったらしいと、あなたはむかし教科書で読んだ事を思い出します)ようなものなのだ、ということに。
——〈チェーホフの銃〉は、そもそも何が「注目されるべき小道具」なのか、誰にとってそれは「注目される」モノなのか、何が「あたりまえで普通で注目する必要もないこと」でそれを決めるのは誰なのか、「あたりまえ」とは物語内のことなのか現実のことなのか、作者と観衆がどのような文化背景からそれらについて云々することになるのか、については何も教えてくれない……ということに。
そんなこんなで月日は経ち、やがて火星人たちの中にも地球人の文明や文化を理解する者が増え、あるとき一つのTVドラマが話題となります。その名も『宇宙大大大作戦』。
それは、同じ宇宙船の乗組員となった、さまざまな火星人と地球人が時には誤解し合い反発し合いながらも、協力して銀河系のあちこちを探索するドラマでした。そして、あなたはその乗組員の一人としてキャスティングされたのです(言い忘れていましたが、あなたは俳優という設定なのです)。
はじめ、あなたはパイロット版に出演し、あなたの他にも多彩な民族や文化に根付く地球人たちが出演し、そのせいもあってか番組はそれなりの好評を得ます。しかしシリーズ化が決定した際、本当にその役を受けるかどうしようか悩みます。……今後この番組で、あの黒いマントをなびかせたり、やたら子供を世話したがるような紋切型のキャラとして自分の役が描かれたらどうしよう?そんな事に加担して良いのだろうか?……と。しかし、あなたは出演を決心します。なぜなら——その頃、地球人の文化と権利を守り、さらに発展させるべく奮闘している一人の有名な牧師(仮にM.L.K.師とでもしておきましょう:ちなみにK師とあなたは、たまたま同じ文化と民族に属しています)が、あるパーティーであなたにこう告げたからです:
K「私は『宇宙大大大作戦』の大ファンですよ:ぜひともあの番組のあのキャラを続けてください……あなたは地球人の、そして私たちの民族や文化の希望の星です:あなたは、私たちがただ当たり前に存在していることを世界じゅうに知らしめているのです……私は権利のために闘っていますが、まず何よりも人間にとって大切な権利とは、ひとりの人間として存在を当たり前に認められることです。それが当たり前にならなければ……なんらかの義務や交換条件や出自や許可証や財産や能力や物語上の機能がなければ法的な存在権を認められない、私たちが私たちとして存在すらしてはいけない、などとなったら……その他のあらゆる権利は無意味となるのですから」
* * *
とゆわけで、新城カズマとしてはこれ以上わかりやすくできないくらいわかりやすいアレゴリーでもって今回の騒ぎというか盛り上がりについて述べてみたわけですが……
M「ちょっと細かいギャグが多すぎません?」
S「新城は真面目な話を書けば書くほどギャグを入れたくなるんですよ〜わかってクダサイよ〜」←細かいSFギャグ
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