Ep.9新トレーラー他公開記念:新城カズマで『スターウォーズ 最後のジェダイ』超完全ネタバレ評(いちおう完成のつもり)

そんなこんなで新作トレーラー記念と銘打って、ほったらかしだった『スターウォーズ 最後のジェダイ』感想&分析の継続作業なのですが、相変わらずちょっと時間なくてばたばたしてますんで……じわじわと掘り進めていきたいと思います【注00】:

【00】ちなみにこの記事の方針というか眼目は、鑑賞した新城の脳内のリバース・エンジニアリング(=新城カズマにとってのスターウォーズの魅力とは何なのか?)であると同時にスターウォーズ物語宇宙(を生み出し得たアメリカ合衆国文化)の歴史的立ち位置の詳説でして、けっして「『ジェダイの最後』絶賛派は間違っとる!」「否定派は***だ!」とか「今作品は人類全員が観るべきだ!」とかいうアレがナニしたものではないことを御理解ください:あと、追加的目標としては新城が来年もまた京都の某大学で担当する小説執筆講義の事前メモにもなっとります:ので、この記事は是非若い物語創作志望者の皆さんにも読んでもらいたいところであります。……



M「あれ、今回は会話体じゃないんですか」

S「時間がなくて^^;……」

というわけで、以下ネタバレしまくりでいきます:


まず何よりも指摘されるべきは/新城が鑑賞中もそのあとも強く感じていたのは、この作品は、

言葉の最良の意味での「パロディ」だということ

なのであります:

……これはけっして同作品をおとしめるものではなく、むしろ最上の賛辞であると御理解ください:すでに80年代に本邦オタク文化が自覚したように(そしておそらく2000年代以降には世界中の一般文化が気づいたように)我々はオリジナルに対してさえもパロディ的視点でしか接近できなくなっておるのです:ましてや今回の相手、突破すべき難題にして乗り越えるべき大山脈はといえば、あのスターウォーズという物語宇宙——そもそもの現代世界オタクnerd/geek文化をたった一作で産み出してしまった【注01】例の映画(1977年)&その膨大な眷属であります:

【01】ちなみに近代nerd/geek文化は60年代にコンピュータとスタートレックが発症じゃなかった発祥と思われます:もちろんさらにそれ以前にはシャーロック・ホームズのファンダムがあり、ベラミ『顧みれば』の大流行とファン組織の政治運動があり、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』のファンによる自殺流行があり、はたまたリチャードソン『パミラ』熱狂まで遡れるのですが、それはまた別のお話……。

なので、もはやパロディもありメタフィクションもありイースター・エッグもありその他もろもろ小技大技をすべて駆使しても、はたして七合目まで到達できるかどうかという状況……それに果敢に挑んで、なんと驚くべきことに見事成功してしまったのが今作品なのです!

もちろん、そんなシーシュポス的蛮行に挑んだ作品がこれまでなかったわけではなく……直前の番外篇『ローグ・ワン』や『フォースの覚醒』はもちろん、旧三部作の掉尾を飾る『ジェダイの復活』ですら、

「どうやって『新たなる希望』を超えるか、どうすれば未踏の領域を開拓できるか」

という真摯な試みを隠し持っていたわけで……しかし、必ずしもそれに成功していたわけではないのです。

今回までは。


(ちなみに新城の個人的感想からすると、『覚醒』は

出来は悪くないし、あの地獄の前日譚3部作の惨状に比べれば100万倍面白いけど、キャラ同士の力学も弱いし、なによりヒロインの表面的動機が「いつか迎えが来るから」てのは…果たしてこれで(公開後に発生した状況とはいえ)トランプ政権時代を生き残れるのか…うーむ評価確定は8作目待ちだなあ

で、『ローグ』のほうは

ふう、ようやくアメリカ娯楽映画文化も「ヒーロー&ヒロインが接吻して大団円」病から抜け出て「主要キャラみんな死んでも希望は残るのだ」段階まで成長したか…それにしても脚本gdgdだが…いやしかし、まだあの若い国に希望はあるかもしれん

で、ついでに『ソロ』については

キャラは好きだし(特に新城はヒロインがお好み)、ネタもきっちり「一次大戦風戦場〜戦間期の大列車強盗風〜『スティング』風の騙し合いのまた騙し合い、とピッタリ二次大戦前【注01.5】のノリでまとめてるところとか良いねエ!と思うわけですが、過去数十年のファンダムで蒸留されてきた「あの件どうなってんの?」をコテコテに説明/合理化してるところが逆に鼻について……う〜む長年のファンというのは面倒くさいなあ

【01.5】SW一作目のクライマックス(デス・スター襲撃)が、二次大戦時にドイツのダムを爆撃する連合国の飛行部隊をモデルにしてる(というかカット割までソックリ)なのは既に広く知られた話ですが、ここはその逸話に合わせてきてるわけですな。ついでにprequel三部作の宇宙船エンジン音も、キチンと一次大戦頃のプロペラ機のそれを真似ておりまして、つまり「時代感」を合わせてるわけです。

という自省タップリだったのでありますが、それはさておき:当然ながら「時事問題や現実の社会状況は映画の評価に関係ないだろ!」という御意見もありえるとは思いますが、しかし、ことスターウォーズにかんしては、実は現実の政治・現実の社会状況・我々観客の日常世界こそが作品評価に直結しているという稀有な情報塊なのであります……なんとなれば77年『新たなる希望』は、元来ベトナム戦争への実存的批判&その後の社会大変動と共振しながら大ヒットしたのですし[それが紛れもない事実であることは、当時あの国でそれをつぶさに目撃してきた幼き日の新城カズマが保証します……この点はまた後ほど触れることになると思いますが]、その後もブッシュ2世政権をきっちり物語内で批判したり(ただしそれは、ルーカス自身の資質からくる「弱さ」と「皮肉なねじれ」を含んだものでしたが…この点についてもまた後に触れたいと思います)、『覚醒』『ローグ・ワン』に至っては、「あ、これ民主党が当選すると思って脚本書いたのでは?」とさえ邪推させてしまう構造を持っており……とはいえ、これは余談で、本論は

「うーむ『覚醒』…悪くないけど弱いなあ…8作目の責任は重大だ…」

なのですが)


M「余談が長いっす!」

S「^^;まあ今後への伏線てことで…」


というわけで最良のパロディとしての『最後のジェダイ』——については、以下の点について今後じわじわ書き継いでいきたいと思います:


1)レイの本質、ローズの本質、カイロの本質……は、すべて「(現実世界に存在するスターウォーズ物語宇宙の=スターウォーズ宇宙内に実在するヒーローの)ファン」であること

賛否両論をいろいろ拝読して回ったのですが、ここを強調してる方は思ったよりも少なかったので……このあたり、新城は初見で非常に興味深く鑑賞し、よくよく考えてみれば先行する三部作*2は当然ながら『覚醒』においてさえも「先行作品は引用するけど、物語構造やキャラの動機にまでは影響してない」スタンスだったわけで。しかし今回は(さまざまな表現レベルで)あからさまに「キャラAはBのファン/執着してる/規範にしてる」ことが描かれるわけです。

いちばん分かりやすいのはローズのキャラの組み立てで、物語内で自覚的に「反乱軍の英雄(ここではフィン)のファン」であり、それが裏切られて怒り、でも一緒に冒険して、最後は(全宇宙のあらゆるファン気質の本質【注01.6】を代表して)「物語のヒーローと接吻」するわけです。

【01.6】くわしくは映画『カイロの紫のバラ』などを参照してください^^。

ちなみに世評では「ローズちょっと*****」みたいな話も飛び交ってましたが、そして確かにあの描写はちょっと***なのではと新城も思いますが……まぁでも修正する方法はいくらでもあったはずで。

一番簡単な方法は……途中のカジノ惑星の冒険あたりで、いったん窮地のフィンを救わんと「思わず」ローズが命を投げ出しそうになって(ここで冒頭の姉のシーンを一瞬フラッシュバックさせても良いですが)、でもフィンがそれを制止して自力脱出、そのあとでローズが「アタシだって姉のように生きたいの(=死にたいの)!」と泣き、そんな彼女ににむかってフィンが「仲間のために命を投げ出すのは嘘のヒロイズムだ、本当の英雄ってのは必ず生きて帰るんだ(あの歴戦の勇士・オーガナ将軍のように!)」とか言わせて二人で無事帰還……でもってクライマックスでフィンが「思わず」特攻した時にローズが横からドカーンとぶつかって、そこでススだらけになったローズが「…生きて帰るんでしょ?」「俺は英雄じゃない」「今のあたしにとっちゃ英雄よ」とか会話してから「思わず」接吻してから赤面、で二人ともススだらけ……てな逸話(そんなに尺も取らないし)をカマしておけば、あれほど怒られることもなかったと思うわけで。ちなみにこの例は今適当に思いついたネタなので、これが最適だというわけではありません。

つまり、脚本もしくは撮影段階で「けっこうバタバタ急いでたんだろうなァ」てのが感じられるわけです。後半で盛り上げたい大きめの逸話がある場合は、中盤あたりでその逆の(or対照的な)小展開を入れておけば、たいていのムチャは納得してくれるもんで……この辺り、ぜひ若い物語作家志望の皆さんには覚えておいていただきたいところです。


2)何者でもない者だけが〈物語〉の松明を継いで、続きを描くことができる(と宣言した)こと

2b)ただし同時に、何者でもない者こそが、もっとも邪悪にも成り得るということ

ここはもちろん、あの最高指導者スノーク(の最期)の描写についてなのですが……ちなみに新城、鑑賞時にはここで爆笑して隣に座ってた奥さんからドン引きされてました^^;……いや素晴らしい!『覚醒』であれだけ盛り上げといてコレですよ!すげーフォースの持ち主と描写して「はてこんな凄いキャラこれまで出てたっけ…むむむまさか伝説のダース・プレイガスが遂に顔を見せたってことか…それともマニアの妄想どおり正体は暗黒面に堕ちたメイス・ウィンドゥ!?」と思わせといて、

んなこたどうでもいいンだよ

と、文字どおりザックリ一閃、斬って捨ててしまうという……うーむ素晴らしい。これほど明確に「悪の空虚さ」を描いた描写は『指輪物語』の「ホビット庄の掃討」での悪役たちの最期以来かもしれません。

そう、邪悪evilとは空虚なものであり、正義の側が一方的に過大評価して「奴こそは究極の邪悪!倶(とも)に天を戴(いただ)くことなど無い!者ども、かかれ!」と叫べば叫ぶほどに大きく映ってしまうのです……そして「正義を自称する側」もまた同じことをしているのです。【注01.5】

【01.5】「じゃあ自分が正義かどうか、どうやったら分かるの?」という当然の疑問が出てくるわけですが……その答えはこの記事もしくは今後の記事で触れたいと思います。

一部のネタバレ評では「そこちゃんと敵の正体描けや!」「さんざんひっぱっといてコレかよ!」的な意見も散見されますが、しかし今作品は徹頭徹尾パロディであることを頭の片隅に置いておいてください。

そして、新主役トリオが関わったエピソードにおいて、

すべて、一つのこらず、完膚なきまでに、当初の作戦計画は成功していない【注02】

ことを。これが脚本サイドの意図的な仕掛けでないはずはないのです。(だんだんと、このスターウォーズ物語宇宙には、フォースの「ダークサイド」「ライトサイド」のみならず第三の「脚本サイド」が存在している^^;ような気もしてきますが……それはまたのちのお話として)。

【02】ただし、注意深く観察すれば、「成功しなかった当初の計画」を無謀にも実施した結果、これまたすべて、一つのこらず、まったく予想外の「未来への希望の種」が植えられている……という脚本術にも気づくでしょう。その最良の例はもちろん、フィン&ローズのドタバタ大冒険とその破滅的顛末、の(当人たちも気づいていない)副産物であるところのラストシーンなのですが。これについても後述します。

2c)77年〜83年における新進監督ジョージ・ルーカス&仲間たちによってジェダイに「なんか東洋っぽくて奥深そうな哲学」を付与するという作業における、いろいろとアレでナニな浅薄哲学理解……と、「ルーカスやりたいほうだい時代」の前日譚三部作において、彼の「アレでナニな浅薄哲学」が世界設定そのものをいよいよ歪め始めたこと……を何とか回収しようとした「ディズニー=J.J.時代」の努力が今作品には強く感じられること

このへんは、ちょと憶測比率が高めですが……もちろん70年代の東洋理解というのは今とは文字どおり隔世の感あり(当時のエンタメ業界における「東洋の神秘」理解とは、大半がブルース・リーだったのですから^^;)で、その状況下で「っぽさ」を出してたのは凄いことなんですが。

それにしても、「ルーカスやりたいほうだい時代」に作られた前日譚三部作における、旧共和国のジェダイ騎士団の制度&運営とかは酷すぎる^^;……。

むしろ現在の「D-JJ時代」が、幸運にも「(合衆国沿岸部&日本における)上座部仏教/マインドフルネスの(幾度目かの)隆盛」に、ちょうどタイミングが合致した幸運を重視すべきかもしれません。それほどまでに、今作品での老ルークや霊体ヨーダのセリフは「ちゃんとしてる」のです。殊に後者は、まるで生前の(=「ルーカスやりたい放題時代」の)己の言動に対する贖罪であるかの如く、実にまともな——いかにも老マスターが言いそうな——そして『帝国の逆襲』で初登場した際に発した永遠の名セリフ「冒険? けっ! 興奮! はン! ジェダイはそんなもンじゃないわい!」どおりの——静かな活躍ぶり。実に素晴らしい。

もしかしたら現在進行中の賛否両論祭りの最大の焦点は、はたして観客(とくに合衆国文化圏に長年慣らされた人口)が、この活躍というか「寂躍」を理解・把握・咀嚼できるか/したがっているのかどうか、であるのかもしれません。

(この点、さらに敷衍するならば……オービィ=ワン【注02.5】のセリフの多くは「当時にしてはよくできてる」のですが、時折、フォースを文字どおりの「力」と表現していたのが今となっては珠に瑕でありましょう。だからこそ「絶対absolutesを口にするはシスだけだ」などのセリフが『シスの復讐』にありながらも、ジェダイのほうだってけっこう善悪を絶対的に峻別してるやんけ!というツッコミが(主に帝国ファンの側から)入ってしまうわけで……。しかし「フォースは、力でもなければ支配や利用や制御できる対象objectでもない」というか「制御されるべきは我々主体subject(の欲望・期待・不安・憤怒)のほうであって、フォースは常にそこに満ちて在るだけ」なのです——このことは最初期の『新たなる希望』から既に言及されてきたはずなのですが【注02.6】——そして少なくとも今作品はそこに踏み込んでいるのです。まさに『新たなる希望』でオービィ=ワンがルークに告げたとおり、我々はようやく「もっと広大な世界A Larger Worldへの第一歩」を記したのです。)

【02.5】新城は、どうしても日本語表記&発音「↓オ↑ビワン」に耳が慣れないので、「→オービィ=↑ワ↓ン」と表記&発音してしまうんです、すみません。 ←言語マニア^^;

【02.6】まあ当時の「東洋の神秘」理解がその程度だった、と一てしまえばそれまでなのですが^^;

オービィ=ワンのセリフで思い出しましたが——実はep.4クライマックスでデス・スター襲撃の際に聞こえる、霊体になった彼のセリフ「フォースを使うのだルーク……(機械への信奉を)手放すのだ……私を信じろ、ルーク…」の前半と中盤がそれぞれep.7&8に見事に対応しており、

ep.7=「フォースは(本当にあるから)使える(のだ)」

ep.8=「(古いジェダイの組織と教義を)手放すのだ」

なので、てことはep.9でレイの師匠(たぶん霊体のルーク)が

「私を信じろ」

という内容になってたら良いなあ……と新城は妄想してるわけですが。


3)無数のオマージュ……の大海に隠された、究極のオリジナリティ、もしくはレイア将軍を描いた脚本はようやく『スター・レッド』(萩尾望都、1979年)の境地に達し得たこと

これは読んで字の如し、合衆国では「レイア将軍が宇宙飛んどるやんけ!ピーターパンか!ケッ」みたいな反応も垣間見られましたが、しかしフォースの威力は(脚本サイドの必要に応じて)どんどんスゲー表現になっとるわけで、それに日本のコミックでは先例がたくさんあるわけで……新城はむしろ「そこはもう我々が二千年前じゃなかった数十年前に通過した地点だヨ」としか思わんわけですが。

ちなみに——SWがよく「スカイウォーカー家のサーガ」と評されますが、これは厳密には違ってて、実は(今のところ)いちばんフォースの強い/との感受性が高いキャラは、

 いずれも(ほとんど訓練を受けていない)女性たち

ばかりなのです:つまり(なんかフォースとのアレがナニしたので【注02.7】)処女懐胎した奴隷女シミー、ベスピンでは訓練ゼロでルークと感応し更には宇宙を飛翔したレイア、そしてちょびっと手ほどき受けただけでライトセーバー見事に振り回すわ銀河系をまたにかけた(カイロとの)感応を成し遂げるわ、のレイ

つまり、SWとは


「スカイウォーカー家の女性たちのサーガ」

もしくは

「ジェダイの訓練方式て、根本的に間違ってたんじゃね?」


なのかもしれないのです!【注02.8】

【02.7】パルパティーンがミディクロリアンを操って……という話も聞いたことありますけど、そういえばミディの設定ってまだ「有り」なんでしたっけ???

【02.8】「じゃあレイはスカイウォーカーの血統なの?」とお尋ねのあなた……実はハリウッド業界からの最近の噂やら憶測やらによると、ep.8の(「レイは何者でもない」な)展開を「JJの兄貴が(あれはカイロ・レンの嘘だってことにして)またひっくり返すのでは」という話がマコトシヤカに^^;——はたしてep.9の明日はどっちだ!刮目して12月を待て諸君!


3b)やった!ようやく作中で「共和国時代のジェダイ騎士団の制度はクソったれだった」と批判してくれた!バンザイ!のこと

これも読んで字の如し。この件については他でも書いてたはずなので、ちょと探してみますお待ちください。

3b-II)あ、あと武器商人への言及も……のこと

いやーようやく「死の商人」登場……ただし昨今のハリウッドの噂を聞くにこっち系へ話を膨らませる可能性は低そう>ep.9

3c)久しぶりに作品内で「細かいギャグ」が横溢してくれたこと【注02.7】……これこそ実は『新たなる希望』が当時大ウケした理由であり(「健康優良凸凹不良青年たちが、くそったれなエスタブリッシュメントに中指を突き立ててやったぜ!YEAH!」…てのがあの映画の当時の物語構造なのでして、『帝国の逆襲』以降にルーカス組が自家中毒してしまった「神話的荘厳さ」「父と子の相克」みたいな大看板は、わりと後付けのネタにすぎなかったことは、その後公開された脚本草稿から既に判明しておるのですが)、同時に、その後常に不十分であり続けた要素だったのです:この件、ルーカスの「弱さ」と、そして新城の年来の邪推……スターウォーズ物語宇宙のもっとも光り輝く「面白い部分」て、実はルーカス以外のスタッフ(=ブラケット、ケネディ、カスダン、そして元妻マーシア、など)が創ったものだったのでは?……にも繋がっていく話題ですんで、後日に別記事で深掘り予定。

【02.7】まあ冒頭のポオのアレはさすがにちょっとやり過ぎだと思うんですが^^;……レイを鍛えるルークの葉っぱコチョコチョとか、ヨーダ「おまえは全巻読んだのかね」ルーク「ぼっ……あ、う……いやしかし!」あたりは素敵だと思います。


4)ルークは「夕暮れる、二つの(陰陽の?)太陽」を眺めてから青年として旅立ち、「夕暮れる、たった一つの(陰陽・正邪・その他すべてが合一した)太陽【注03】」を眺めつつ老人として逝ったこと (でもたぶん脚本サイドはこの象徴性・対称性に気がついてないっぽい^^;…けどまあいいや)

【03】ここ、新城の記憶が微妙に曖昧なのですが、調べてみると惑星Ahch-Toはいちおう二重恒星系に属してるぽいので、この項目は要修正かもです……でも画面では二重太陽には見えなかった記憶が……もしかして一方の太陽が他方を隠してくところだったのかしらん:だとすると脚本サイドはその象徴性を自覚してた可能性が——もしくはこれもまたマンデラ効果(の発端)^^;?



5)とりあえずの結論:あの最後のシーンの少年は、40年前、世界中で、自宅に置いてあったホウキをかまえて(あるいは庭先に転がっていた棒切れを磨いて、or新聞紙を硬く巻きテープで止めた手製の「愛剣」をふりかざして、orはたまた無謀にも天井の蛍光灯をひっぺがして両親にこっぴどく叱られつつ)いつか銀河の騎士となることを夢見た、すべての少年少女たちの姿であること



追補篇)……とはいえ「物語としての最終的評価」は次回作(&最終作)まで決定できないこと

M「ここまで引っ張っといて、ソレですかっ!」

S「だって最終作、あの【注03.5】J.J.の兄貴が監督なので『じつはレイはやっぱりルークの娘でした〜』『スノークの正体はヨーダのクローンでした〜』『銀河系はやっぱりジェダイ騎士団復活によって安寧を取り戻したのよ〜ん』とか可能だしね」

M「……たしかに……J.J.エイブラムスならやりかねん……」

【03.5】英語圏でも、JJに対しては「あんたの作品フリや予兆MysteryBoxは超最高だけど、いちども風呂敷たたんだ作品で大向こうをうならせたこと無いやんけ」というツッコミがチラホラ^^;……それがいよいよep.9では前作の監督ライアンが掟破りの好き放題にやらかした後始末をつけさせられる^^;らしく業界では「いよいよ年貢の納め時か」との噂もチラホラ……


S「というわけで、まとめると:今作品は

連続冒険物語の三幕目の第二場としては掟破りの急展開

だし、

 単品の映画としては「キャラ多すぎ」「長すぎ」

で、とはいえ

 クローザー登板直前の中継投手としては歴史的快挙

もしくは

 原作者さえも気づかなかった真のテーマを掘り起こした新人動画マンの、奇跡のワンシーン【注04】

なんだよね」

M「たしかに、8回まで1点先行で抑えてても、最後の投手が暴投で逆転負けする試合は少なくないですが」

S「なので最終判決は2年後、いやもう今年の12月だ!また会おう諸君!」(マントをひるがえしながら飛び去る)

【04】つまり、今作品で提示され公式設定となった部分を論理的に延長してゆくと、最終作では「真の敵は武器商人、ていうかそもそものきっかけは通商連合という名の強欲資本家たちによる惑星ナブー封鎖だったしネ!」「エンディングで、ついに

銀河系のすべての民が自在にフォースと交感する(操るのでもなく支配するのでもなく)

ことに成功し、もはや続篇は作れなくなってディズニー株を買っていた現実の機関投資家たちが歯噛みする」はずなのですが^^;……まあそうはならんだろうなあ……。



追補編B)ちなみにネット界隈で現在進行中の「今作品への賛否両論大盛り上がり」^^;……の本質は、ふと考えれば(たまたま新城が数年前から追いかけてる)現行著作権のシステム的限界や、物語工学論的な意味での「先史〜前近代のスローな物語醸成vs近代的商業的物語大量生産(と版権などが絡まって作品がアレしてしまう展開)、の質的な違い」にも連結してゆく話題【注05】であること

M「またなんか長くなりそうな……」

S「ぎくっ」

【05】このあたり絡みの事件というかgdgd騒ぎが、最近とみに増えてる気がします……往年のヤ●トはさておき、日本ではけ●フレがあったし、先日はソニーがモメてスパイダーマンがアレしたり……(もっともスタートレックのほうはCBSとviacomが再合併するらしいので十数年ぶりに「物語の世界線」が統一されるかも^^)


*******

S「とゆわけで、いったん完成ってことで〜」

M「この価格設定は何なんですか、しかし」

S「あ、これは40年前に新城がスターウォーズに払ったチケット代(3ドル50セント)を、最近の日本円におおよそ換算したものです……思えば遠くへ来たもんだ」

M「……」 ←ちょっとツッコめなくて、もにょっている

S「まあ、最後まで無料で読めますんで、新城の鑑賞というか感傷にちょっとでも共感していただけたら投げ銭していただけると、今後の励みになります」

M「……今後の?まさか新城さん、架空言語学入門とか巨大学園入門とか、小説以外の(書籍化するのが難しい)企画を、このnoteでやろうというつもりなのでは?」

S「うふふ

(以下別の記事に続く!かも!)

ここから先は

0字

¥ 395

期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?