学生最後の日
学生が終わる。
明日から、学生ではない。小学校を卒業したときも、中学校を卒業したときも、高校を卒業したときでさえも、次の日も私は学生だった。だが、大学を卒業した途端、「学生」の冠は消えてしまった。それは今まで経験したことのない、未知の世界であり、実感だった。現実味がない、というのが正直なところだ。
学生が「思い出」となってしまうのが辛い。そう思っていたのに、掃除して出てきた物は、ほとんど「思い出」となっていた。中学受験のときに血涙でるほど書いた作文、精神的に限界まで追いこまれた高校受験の教材やノート、高校の卒業アルバム。ES(エントリーシート)で書いた高校や大学の経験は「現在」の私あるはずなのに、思い出したくもない又は忘れていたものは「過去」になってしまっていた。
グーグルフォトで高校の写真が見返せるぶん、ショックだった。学生から切り離れていく自分がいることに、戸惑いを隠せなかった。あんなに嫌だった思い出さえも過去のものになっていた。
母に、大学初日は内部進学だったためか全く緊張しなかったと話したところ、「高校のときにはあんなに泣いていたのにね」と笑われた。全く覚えていなかった。
たしかに高校初日吐きそうになるぐらい緊張したことは覚えている。進学校さえ受からないと言われていた自分が、エリート校から突然選ばれ、大きな喜びと不安を感じた。いざ入ってみると、地頭天下一品級の集まりで、うろたえた。片道3時間の通学、50点以下は赤点、赤点3つで留年、2年連続留年で即退学。そりゃあ、泣きたくなる。
こんな天才たちの中で生き残れるだろうか。そんな不安でいっぱいだったが、なんとか高校3年、大学4年を乗り切り、卒業することができた。言葉通り地頭天下一品級たちのプレッシャーに耐え、辛いことも乗り切った。
正直に言おう。全部が全部、明るい学生生活だったわけではない。心底嫌な思いを何度もしてきた。なのに、思い出すのは高校と大学の7年間だ。説明会で栗を投げる学院長、切り干し大根ナポリタン風、体育館までの獣道、大雪のあとのゲレンデ(*高校の敷地内)、個性豊かな先生たち、友人たち、先輩たち、後輩たち、ローカル路線片道3時間通学、ほぼ群馬県みたいな某市、大学のキャンパス、ラーメン、授業、飲み会、ロータリー、学生会館、写真部、ミステリサークル、ゼミ、小説、旅……。
高校で狭き門をたたいた私は、なぜか就活でも狭き門をたたいてしまった。おかげさまで泣き崩れるほどの大変な思いをしたが、奇跡的に内定をいただくことができた。無事に4月から働くことができる。
奇跡。ずっと奇跡の連続だ。誰も信じてくれないと思うが、今の大学に入れたことも、自分の入りたい業界に就職できたことも、全部、実力以上の結果だ。恵まれていると思う。これも母に話したら、「間違いなくあなたの実力なのだから、自分を信じなさい」と言われた。
中学受験のとき、自信とは自分を信じることだと教わった。残念ながら、私はこれまで自分を信じることができなかった。周りを傷つけてしまう自分が嫌だったし、周りと比べて劣ってしまう自分を好きになれなかったからだ。
今ではそのことに後悔している。よく周りから「みっちーは交流しないと理解されにくい」と言われる。それはつまり、私は自分のことを自分自身の言葉で説明できていないということだ。就活のとき、さんざん思い知らされた。自分を信じてこなかったから、自分のことを相手に伝わるように説明できない、と。
それでも、私は本当に、恵まれていた。
粘り強い性格だったからもしれないし、友人や先輩、後輩、先生たちが未知の世界へ連れていってくれたからかもしれない。
そんな学生生活が、終わる。
コロナで1年間、思うように動けず、また思い返せば身勝手な行動だったからかもしれないと、あらゆることに、はがゆい思いをしたからこそ言いたい。
必ず、会おう。喧嘩してもいい(傷つくのは嫌だけど)、ふざけあってもいい、笑い合ってもいい。必ず、また、会いましょう。
最後に、両親へ、学生で「あった」私をここまで育ててくれてありがとう。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
2021年 3月31日 学生最後の日に。
みっちー
お気に入りの写真、アイスランドにて。旅立つみんなへ。いつまでも。