コロナと盲腸を同時にやって大変だった話 ~②病院たらい回し~
2-1 病院を見つけろ!!
結局、陰圧室には夜中の23時まで閉じ込められていた。夜ご飯は点滴。美味しいなあ。
その後、病院からはコロナのベッドが空いていないから自宅療養するように伝えられ、保健所が手術できる病院を探してくれるということになった。その間、虫垂炎を「ちらす」薬で乗り越えることになった。え、いや、石は放置ですか? はい、放置です。
そう、とっても不安な自宅療養生活が始まってしまったのだ。
朝は怠惰な俺の起床よりも早く保健所からかかってくる電話から始まり、あとは夜まで自室に閉じこもっている毎日。処方された薬の影響か、下痢が止まらなくなり、トイレの回数が増えた。終わった後に消毒してくれる両親を思うと心が痛かったが、お腹は我慢してくれない。正直、コロナよりもお腹だった。
そしてついに、保健所から病院が見つかったという連絡がきた。
保健所は市内の病院が見つからないので、東京都全体まで範囲を広げ、二つ先の市で受け付けてくれるところをおさえてくれたのだ。
ついに盲腸とコロナに終止符を打てる!! そう思い病院へ向かった。
ところが。
案内されたのは発熱外来。
あれ、盲腸は……?
受付に行ってみると「コロナですよね?」と言われる仕舞。
発熱外来に案内され不安になる中、現れたのは外科の医者だった。なんだ、とほっと安心しているのもつかの間、軽くお腹を触った医者は、ニッコリとこう言った。
「薬が効いているので、手術は数か月後でお願いしますねー」
……。
……。
……。
ええ……。
ここまで来ても薬しか処方されず、入院の日程の案内をされたが、遠い病院だったので丁寧にお断りさせていただいた。だったら近くの病院がいい。もうここまで三つ目の病院だ。医者によって判断が違うということが十分、分かった。
また、これは推測だが、病院側もコロナ患者で通常の医療に手が回っていなかったのかもしれない。普段ならすんなり治療できるものでも、コロナのせいで延期せざるを得ない状況に、まさか自分が巻き込まれるとは思わなかった。
かくして、虫垂と石を抱えたまま、残りの自宅療養生活を過ごすことになった。幸い、コロナの症状は軽く、辛い思いはほとんどしなかった。毎日のように映画を見ながら、きっと無理が溜まっていたんだろうな...…と身体をいたわっていた。
そして、療養期間が空け、厄落としと出勤をしてきた俺は四回目の病院へと向かった。偽陰性疑惑から、もう三週間以上経っている。
さて、入院前は当然だが再び検査を受けないといけない。大嫌いな針を刺され、造影剤を投薬され、またPCRを受け...…と色々書いていたら長くなりそうだから省略する。とにかく疲れた。
再びお腹の痛みを訴えると、あれよあれよと入院日は数日後に決まった。そして医者は笑顔でこう言った。
「石、もうないですよ」
...…。
...…。
...…。
??????????????????????????????????????????????
なんじゃそりゃあああああ?????!???
なんと、石は下痢と共に流れていったらしい。そんなことあるのぉおお??
じゃあ手術はしなくていいのかというと話は違う。残念ながら、虫垂炎は薬で治っていなかった。実は薬を飲み終わってから、シクシクとした痛みがあり、痛み止めを使っていたのだ。
PCR検査の結果、もう俺はコロナを他人にうつす危険性はなかった。
これで手術の準備は整った。
俺は人生で初の手術に挑むことになった。
2ー2 痛みに耐えろ!!
しかし、ここからが本当の地獄の始まりだった。
ここから先は手術経験者なら「あー、分かる分かる」と理解してくれる話になるはずだ。これから初めて手術する人は、こんなこともあるよと頭の片隅に入れてほしい。
まず俺の場合、入院は2泊3日から3泊4日の予定で、結論から言うと3日の滞在で無理やり出てきた。手術は、腹腔鏡下手術で、全身麻酔、およそ2時間程度だった。
そして、入院中は絶食だった……。これが辛かったひとつ目。
入院前は手術まで食べられると聞いていたのだが、いざ入院してみると、初日から絶食にさせられ、点滴もつけられてしまった。お腹を空かせて入院してしまったので、空腹と同室の患者が食べているご飯の匂いに耐えながら過ごすはめになった。
そうそう、部屋は4人部屋だった。俺以外おじいちゃんで、ナースコールが夜中も鳴りやまなかった。隣のおじいちゃんは何かできないことがあるたびに「死にたい……」と泣き、目の前のおじいちゃんは夜中でも明かりを思いっきりつけて、死にたいと泣くおじいちゃんの怒りをかっていた。本人はガハハと笑い壮大ないびきをかいていたが、一番症状が重いらしく、輸血を毎日のように受けていた。残りのひとりのおじいちゃんはひっそりとしていて、リハビリを頑なに断り、その結果、ご飯を食べるのも一苦労になるぐらい動けなくなっていた。これが無理やり3日で退院してきた理由だ(悪口ばっかりでごめんなさい……)。
さて、手術前の不安といえば、やはり全身麻酔だろう。
耐えられない睡魔の話は有名だろうし、もう一度目覚められるのか不安になるかもしれない。ある人は手術中に目が覚めて、大騒ぎになったらしいが、本人は全く覚えていないらしい。ネットでググれば、天国とは……みたいな話も出てくるので、ますます不安になるに違いない。
しかし、俺ははっきり言う。
心配いらない。本当の地獄は全身麻酔が切れた後だ。
まず、全身麻酔は、本当に一瞬で眠りにつく。
俺の場合は寝る瞬間の方ははっきりとした記憶があった。一滴目が入ると、視界がぼやけ、二滴目が入った瞬間、まぶたが閉じて眠りに引き寄せられた。あとは花屋さんを開業させる夢を見ていた。夢の中でもお花畑だったらしい。
それから気がつくと、お疲れ様でしたという声が聞こえて、目が「覚めていた」。入院前から、目覚めるときに名前を呼びかけるので、返事をしてくださいと言われていたので、びっくりした。俺は名前に返事をした記憶が一切なかったが、手術が終わったということは返事をしていたらしい。よく頑張ったねーという声も聞こえた。よく頑張ったね……?
ここから部屋に戻るまでの記憶も怪しい。ストレッチャーで運ばれる間に親と会話をしたのは覚えているが、気がついたら部屋にいた。
それにしても、下半身が重い。手術したから当たり前だろうと思っていると、陰部に重さを感じる。そういえばカテーテルを入れると聞いていたが……。
その瞬間、これまで経験したことのない痛みが、陰部から、お腹から、同時にやってきた。そう、ここからが全身麻酔が切れた後の話だ。
全身麻酔が切れるとどうなるのか。まず、手術した痕の痛みがやってくる。腹腔鏡下はへその穴と2つぐらいしか穴を開けていないので傷は目立たないが、腸の中は切ったり繋いだりと、とても多くの傷がある。つまり目に見えない数多の傷の痛みが襲ってきたのだ。どれくらい痛かったのかというと、腸の雑巾絞りが同時多発に置き、大規模な噴火が起きて、地面が激しく波を打って揺れるようなものだった。
次に忘れてはならない尿道カテーテル。全身麻酔をすると膀胱がコントロールできなくならとつけられたのだが、これが痛い。特に男性の場合、とんでもなく痛い。尿道にカテーテルと呼ばれる管がぶっさされ、それが膀胱まで突っ込まれる。あの狭い尿道に全経数センチの管が入って、尿道を広げれる状況を想像してほしい。涙が止まらないぐらい痛い。
この痛みの合奏に耐えられず、痛み止めを点滴から投与してもらったが、全く和らがない。
その結果、次の痛み止めを投与できる6時間先まで、痛み叫ぶことになった。中国で生野菜を食べたときなんかよりもお腹が痛い。普通に気絶した。
6時間後。
呼びかけられて目が覚めると痛み止めを投与できるようになった。さらに尿道カテーテルをとることができ、陰部の痛みからも解放されたのだ! ただし、カテーテルを抜く光景はホラー映画のごとくグロテスクで、看護婦さんたちが「温度センサーも入ってる~」とキャッキャ話していたのは忘れられない。当たり前だが尿道は傷つけられているので、しばらくは血尿。小便も痛くて地獄。
そして忘れてはならないのは腹痛。治ったんじゃないの? と思うかもしれないが、手術痕は痛み止めを飲んでもしばらくは痛かった。そして筋肉も落ちてしまったので歩くのも一苦労だった。もう二度と手術なんてするもんか!!!
2ー3 エンディング
かくして痛みに悶絶しながらも、無事に退院することができた。無理やり退院できた。
退院後も痛みは引かず、1週間は歩くのも体力を使った。思ったよりも退院後も回復までには時間がかかるので安静しておいた方がいい。しかし今は身体も元気になり、お腹も痛くない。トイレも難なく行けている。本当に良かった。
長くなったが、季節が夏から秋へと変わる間にコロナも虫垂炎も治すことができた。コロナで大変な時期に入院騒ぎになると、とっても大変になることがよおおおおく分かった。これを読んでいる皆さんもどうか気をつけてほしい。
何よりも体調第一! おかしいな? と思ったら診てもらい、「ただの腸炎ですね」と片づけられても違和感があったら遠慮なく精密検査してもらうこと!! 腸炎で片づけられた結果、症状が悪化したという話も聞いたので、どんな病気でもしっかり診てもらうこと、セカンドオピニオン大事です!! 痛いときは強がっちゃだめよ!!!
それではここまで読んでくださり、ありがとうございました!!!!!
p.s
退院後の診察にて医者からひとこと
「腹水に大腸菌が染み出てたよ~、手術しなかったら悪化するところだったから良かったね~」
大腸菌って染み出るんすか...…。