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失ってみて初めて、その存在の大きさに気づきました

今年3年ぶりで、祇園祭が行われました。本当に嬉しい出来事でした。

私はほぼ60年、ずっと京都に暮らしています。

子供の頃は、祇園の鉾がたつ四条烏丸一帯まで、歩いて行ける距離に住んでいました。

幼い頃は、浴衣にへこ帯を結んでもらって、両親と妹の家族4人で、出かけたものです。我が家の夏の一大イベントでした。

4人で食べたかき氷や夜店で釣った、水風船が思いだされます。

学生時代や社会人になって、そして家庭をもって、日々の生活に追われていても、祇園祭はいつも心のどこかにあり、「祇園祭」その言葉とともに夏がやってくるような感じでした。

コンチキチンとお囃子のメロディーが聞こえだしてくると、本格的な夏の到来を意識して、今年も夏を乗り切るぞとの思いを身体全体で感じていたのです。
私にとって、夏の風物詩の最たるものでした。

もう、なん回、なん十回、祇園祭に出かけたことでしょう。

しかし、去年、一昨年とコロナ感染拡大のために、中止となってしまいました。

しょうがないとは分かっていても残念でならなかったのですが。

今年は祇園祭が行われることを知って、嬉しさもひとしお。

ニュースを聞いた時から、是非とも今年は、山鉾巡行を見に行こうと心に決めていました。

そして、今日7月17日、現地に8時頃到着。
四条通り沿道にスタンバイしてると、かすかにお囃子の音が聞こえます。

このへんから、感動?してしまったのか、目がウルウル。京都に夏がやってきた気分で心が喜んでいます。

そんなにこの日を待ち望んでいたのか?
自分でも不思議ですが、言葉に言い表すことのできない感情でいっぱいでした。

そんなに待ち望んでいたとの実感もなかったのですが、心が揺さぶられ、思ってもいなかった感情に、驚くばかりでした。

通り過ぎて行く、「鉾」に「山」を眺めながら、携わる多くの人の熱意や頑張りが伝わってきて、より胸が熱くなってきました。

こうやって、その恩恵に預かることができて、ありがたいの一言では言い表すことのできない思いに浸りました。

思えば、失って初めてその大きさに気づくとは、よく聞く話です。
健康や平和な日常、大事な人たち。

それと同じように、無意識に当然のように慣れ久しんだ習慣や環境も、
自分のなかに、本当に大きな位置を占めていたんだなと知りました。

失ったことさえも意識になかったのに。
今回、山鉾巡行を目の前にして、幼いころから積み重ねてきた自分の一部を失くしていたことに気づかされました。

よく、高齢者のお話で、「住み慣れた所から離れることはできない」「この場所で老いていきたい」と聞きます。
今はそのお話が分かるような気がします。

現在の自分を作っているものは、決して言葉で表すことのできるものだけではないと。

長年住み慣れた土地での風の感触や土の匂い。
季節季節に、身体が覚えている感覚や感情。

失ってしまったことにさえ気づかないものを、目の前に突きつけられた時の身体の喜びと興奮。

そして、初めてその大きさに気づいたのです。
やっぱり、祇園祭は、私にはなくてはならないものだったんだと。

今日、改めて、京都に生まれ育った幸運を感じました。

長い歴史が日々の生活に受け継がれ、それを大事に守っている人々に大きな誇りを感じます。

本格的な夏の到来です。今年も猛暑を乗り越えるべく、いちょ頑張るでの気持ち満々です。







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