コロナの中の日常
星野源さんの「日常」という曲を聴いて、今まで自分が、オタクとして過ごしている「日常」の中で思っていたこと、悩んでいたことの解答をもらえたので、その事を今回は書いていこうと思う。
「無駄なことだと思いながらもそれでもやるのよ 意味がないさと言われながらもそれでも歌うの」
星野源さんの「日常」は、2011年リリースのセカンドアルバム「エピソード」に収録されている曲である。
そして、上の文章はこの曲の最初の歌詞だ、2011年といえば、東日本大震災が発災をして、人間の意図とは関係なく日常が破壊され、当時を知る人はお分かりだと思いますが、CMはすべてACジャパンに切り替わり、色んなエンターテイメントのイベントは「自粛」の元に中止になりました。そんな中でも、アーティストとして表現者として何ができるか考えたときに、「でも結局歌うことしかできない」という思いがこの歌詞には込められている。
時は経って2020年、新型コロナウイルスが蔓延して、誰もが人との距離を取り、そしてまたエンターテイメントが「不要不急」の元に中止になり、未知のウイルスに「死の恐怖」を感じながら過ごす「日常」がはじまりました。
コロナ前までの私は、「どうせこの先人生は長いし、ライブやアニメイベントだっていつだってある。だから今行く必要はない」というマインドを自分にかけることによって、自分の奥底にある「行ってみたい」という気持ちを押し殺していました。
しかし、年々強くなる「星野源さんに会いたい、生で曲を聴きたい」という欲求がついに押させることができず、申し込んだイエパス会員(星野源さんが毎年発行するファンブックのyellowMagazineのシリアルコードを専用サイトで入力すると1年間、優先的にチケットがとれる仕組み、(それでも倍率は高い))限定のファンミーティング「ASSEMBLY」の3/18(水)の大阪城ホールの公演についに当選しました。
しかし、1月にダイヤモンドプリンセス号から始まったコロナ感染は、全国各地に猛威を振るい、身近な人にも感染した人が出てくる中、忘れもしない2月26日に全公演の中止が発表されました。
その時に「これから先、自分が長く生れる保証もない、源さんだってコロナに感染するかもしれないし、もしかしたらくも膜下出血が再発するかもしれない、今という時を一生懸命生きないと本当に後悔する」
と強く自覚したと同時に
今まで自分が好きだったアニメやアイドル、源さんを応援することが世の中にとっては「不要不急」であるといわれているようで、深い絶望感に襲われました
そんな時にこの歌詞が思い浮かんできました。
世の中にとっては(無駄なもの)、(不要不急)であることでも、自分は心の底から好きといえるものがある、そしてそれはいつ死ぬか分からないからそのことを伝えないと絶対に後悔する。だから意味がないといわれても好きな事の好きなところを自分の言葉で伝えよう。」と思えるようになり、
このnoteでも書いた通り「推しは、推せる時に、推せ」という言葉を座右の銘にしてオタ活をしています。