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阿蘇エリア探訪記 2/2

 さてさて本日はいよいよ阿蘇の北エリアにある「押戸石おしといし」へと向かいます。
 押戸石は公式ページによると、主なポイントは5つ。

 人為的に配置された列状石遺構である。
 石が磁気を帯びていて、方位がおかしくなる。
 はさみ石は夏至の日の出、冬至の日の入りの方向を示している。
 祭壇石は供物をささげるために使用されていた。
 鏡石にはシュメール文字が刻まれている。

 現地は広大な放牧地のど真ん中の丘の上にあります。
 国道から外れて辿り着くまではかなり狭いでこぼこの道が続きますが、周辺は綺麗に整備されていて好感が持てます。
 駐車場になっている広場も綺麗で、トイレもありました。
 良心的な200円の入場料?を支払って、押戸石の丘に登っていきます。

 当日は雨天でしたが、いつものことながら例によって現地に着くと雨がぱたりと止んで、次第に美しい荘厳な景色が顔を覗かせます。
 そもそもこの日の天気予報は南西にある台風がこちらへ向かってやってくるとのことでしたが、私はこの予報は絶対はずれるだろうと踏んで今回の出発を決断しました。
 結果から言うと私が正解で、台風は台湾で180度Uターンして、後に消滅しました。
 自然の神様、いつもありがとうございます。

 さてひとつずつ押戸石について見てみましょう。

 最初の項目の、押戸石は「人為的に配置された列状石遺構」であるとのことですが、実際に見て断定は難しいと感じました。
 同時に否定も難しい。
 確かに、妙に整った配置だなと感じる部分はあるのですが、でも山頂にあった岩山が風雨にさらされて周囲の地形がなだらかになり、最終的に残った姿とも言えます。
 または、大きな石はそのまま自然のもので、小さな石は配置された可能性もあるでしょう。
 いずれにしても現状では判断が難しい。

 ふたつめの、「石が磁気を帯びていて、方位がおかしくなる」ですが、これはもうここに来る前から答えがわかっていました。
 このような安山岩は普通に磁気を帯びた「磁鉄鉱」を含んでいるため、少なくともこの現象は特殊なものではありません。
 むしろこの項目をいつまでもパンフレットなどに載せ続けると、この遺構が「うさん臭い」と判断される原因になるので、この項目に関してはできれば削除するべきだと思います。

 3つめの「はさみ石は夏至の日の出、冬至の日の入りの方向を示している」はどうでしょう。
 確かにそのようです。
 問題は偶然なのか、それとも意図して配置したものかが判断できないという点です。これは保留。

 4つめは「祭壇石は供物をささげるために使用されていた」。
 祭壇石には大きく削られたような穴が複数あり、その間を溝が繋いでいます。自然にできないこともないでしょうが、確かに人工的な感じが強い。
 しかし人工的だとしても、削られた年代が全くわからない。
 やはり保留。

 最大の争点となる5つめ。
 「鏡石にはシュメール文字が刻まれている」はどうでしょう。
 確かに何かが刻まれていると思います。単なる雨による浸食として扱うには少し無理があるように思えます。
 問題は、いつ、何を描いたものなのかです。
 ここから東にある大分県では摩崖仏が非常に多いため、例えば江戸時代に仏様を描こうとしたのかもしれないし、同じく九州に多い隠れキリシタンがマリア様を描こうとしたのかもしれません。
 そうなるとせいぜい数百年前です。
 やはり時期が全くわからないので、シュメール文字であるという断定は難しいと思いました。もちろん否定もできません。

 こうして見てみると、現状ではこの地に関する情報が圧倒的に不足しているように見えます。
 例えばこの石の存在は、地域の人にいつから知られていたのか。
 この石に関して、どの地域にどのような伝承が残っているか。
 そういった情報を複合的に考慮する必要があり、今のままではなかなか判断が難しい状況です。

 ただし、「縄文の古代より信仰された神域である」という点については全く異論はありません。
 列石はかなり特徴的な形をしており、その大きさと言い、この周辺エリアに縄文集落があれば確実に信仰の対象となったでしょう。
 この点に関しては事実である可能性が高いと思います。
 しかし、ならば何故この列石は神社として引き継がれていないのでしょうか。このような神域にある石は「イワクラ」として崇められ、後の世に神社として引き継がれ、現代まで残るのが一般的です。

 私はこの原因は地理条件から「水」であると推測しました。
 この地域に全く水が無いわけではなく川もあるのですが、いかんせん水量が少なく、全域が火山性の丘陵であるため水の確保が十分ではなかった可能性が高いと思います。
 小規模な集落であれば全く問題ないでしょうが、次第に発展して人口規模が大きくなってくると、このエリアの水量は少々厳しい。
 さらに冬は寒く、標高が800mを越えるため、雪も降る。

 少し北に移動すれば高度が下がり豊富な水量の河川があり、もしくは南に下れば、阿蘇のカルデラ内は湧水が大量にあって水資源が豊富です。
 時と共にこの地は放棄されて、忘れられたのではないかという可能性が見えてきます。

 総合的な結論として少々怪しい部分があるものの、押戸石は十分に歴史的価値のある列状石遺構であると判断しました。
 今はネット時代によって、事の真偽が不明な情報が大量に垂れ流されています。今回のこの記事を読んでいただけると、実際に現地に行くことの大切さを知って頂けるのではないでしょうか。
 机の上だけでは何もわからないのです。

 この日は高千穂の夜神楽を見せて頂き、高千穂へ宿泊した後、無事に宮崎へと帰ってきました。
 とても有意義な旅だったと思います。

[ おしまい ]

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